スミス都へ行くのレビュー・感想・評価
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現在の日本の政治家たちへ
『スミス都へ行く』が政治家の映画だとは思わなかった。純粋な人物が周囲の助けも得て、巨悪に立ち向かう議会映画である。最後の最後にペインの良心が戻る所が大事だった所である。慣れてしまった人達をこそ動かせる事。または慣れてしまっている人達が気づく事。そうして動く。直近で思い出すのは、山本太郎議員が安倍晋三総理たちに立ち向かったような時を思い出したが、この映画と違うのは、安倍晋三総理たちは、変わらなかったと言う事であり、東日本大震災の経験後でさえ、日本はトップダウンで変わる事が出来なかった。こういう風に書くと反自民かと単純に思われてしまうような所こそが、頭が固着してしまった人達ばかりの日本という訳なのだ。そんな意図では無い。そんな人は与党だろうが野党だろうが、政治活動家だろうが蔓延した。昭和14年当時にアメリカが悩んでこのような映画が出来ていたのだから。それから別のこの国で随分月日が経過した
100年前の感性が理解できる人向け
棚ぼたで議員になったスミスと、悪の親玉テイラーと、
その間で揺れ動くペイン議員の3人を軸に
アメリカの正義と、困難に立ち向かい続ける勇気を描いた映画。なのだが…
今までなんの努力もしてこなかったスミスが、
怠惰をむさぼってきた人生の中でたった24時間だけ我慢して、
どこから湧いてきたのかもわからない白々しいアメリカの理想論をぶち上げただけで、
全国民がその努力を褒めたたえ、感動して涙する。
共感…できない。
せめてテイラーとの攻防自体に面白みがあれば楽しめたろうが、
駆け引きもないただの我慢比べだし。
しかも、負けたところで元の生活に戻るだけというノーリスクの戦いである…。
これだけアメリカ万歳な内容ならアカデミー賞レースは賑わすだろうが、
民主主義や正義を主張すること自体に価値のあった頃の映画として歴史的な意義や
普遍性はあっても、そこを考慮しないとすると、ただただアメリカの理想論、アメリカの良心を
ゴリ押しするだけの内容である。
前半は退屈だったが、後半は一転して盛り上がった
総合:65点
ストーリー: 65
キャスト: 70
演出: 65
ビジュアル: 60
音楽: 65
理想に燃える世間知らずが堂々と正面から不正を暴いていく、昔ながらの勧善懲悪映画。だが前半はワシントンにのぼせ上った田舎者丸出しの主人公のおのぼりさんぶりに、なんとものんびりとしていて退屈してしまった。
後半からは一転して緊迫してくる。邪魔者を排除するためにあの手この手で追いつめてくる敵と、一度は心が折れかけながらも崖っぷちからの反撃を試みる主人公が出現して、がぜん緊迫感が増して盛り上がってきた。こういう昔ながらのお約束映画は、今となっては単純すぎて時代を感じてしまったのも偽らざる本音。物語も青臭い。しかし前半とうってかわって生まれ変わったように議会で孤軍奮闘しながらも強引に不正と戦う姿に、主人公の青臭いけれども英雄的な資質とアメリカの良心が見て取れたので良しとしよう。
政治家はどこの国もかっぷくがいい
1939年アメリカ映画。129分。フランク・キャプラという監督の名前は今まで知りませんでしたが、知る人のなかでは「キャプラ的」という表現が成立してしまうほどの凄い人だそうです。本作はそんなキャプラ監督の代表作であるポリティカル・コメディでございます。
内容は田舎から出てきたドンキホーテ、若きスミス上院議員が、それまで心に暖めていた「児童キャンプ法案」を議会提出し、夢を叶えようするお話。だがその候補となる場所は、彼の恩師であるベテラン上院議員がダム法案を施行させようとしている場所。
かくして見るに忍びない「スミスつぶし」が始まり、それに猛然と闘う主人公とその秘書の姿が描かれている按配でございます。
そのつぶし方がなかなかおぞましいのですが、こういうのって本当なのだと思う。政界の影のドンがありとあらゆるメディア工作で世論を扇動していく様を見ていると、洗脳というのは権力の賜なのだと思います。
世の中みんながそろって洗脳されている内は幸せとはいえますが、そこに違いが生まれると「人間性」(これわたくしの嫌いな言葉です)すらも否定されなねないところが、社会生活する上でもっとも恐れることの一つだと思います。
展開がいささか劇的すぎるとは思いましたが、キャプラ監督は笑わせながら本質に鋭くメスをいれてきます。お見事な手腕でした。
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