戦場のピアニストのレビュー・感想・評価
全86件中、21~40件目を表示
プーチンと金正恩に見せよ。響かないだろうが。 独裁国家のトップがそ...
プーチンと金正恩に見せよ。響かないだろうが。 独裁国家のトップがその身に危機を覚えたら…戦争はなくならないだろう。そんな場合に備えて…核や兵器もなくならないだろう。理想と現実、難しい問題ですね。 戦争の過酷さ、悲惨さが描かれる本作。とうとう見つかった時はドキドキした。演奏させた後、「お見事」とか言って射殺すると思った。 全人類が鑑賞したら戦争は減るのだろうか。
エイドリア・ブロディが好きになるきっかけとなった作品
ストーリーの中盤はユダヤ人が団結して暴動を起こすのにシュピルマンは冷ややかにゲットーの外で見つめている、この光景がどうも納得いかなかったのです。しかし、途中で「これは反戦をメインテーマにした映画ではない!」と気づき、彼の究極の生への執着に対し徐々に惹かれていきました。ユダヤ人迫害の映画ならいくらでもあるし、反戦色や残虐性を訴えたものも数知れないくらいだ。どんなに惨めな体験をしても名誉ある死を選ぶわけでもなく、臆病者の烙印を押されようが、どん底にあっても生きる希望を持つことに感動しました。 しかし、実在のピアニストであることを知っていると、「何とか指を怪我しないように」とか「長い期間のピアノのブランクがあると後が大変だぞ」とか余計なことを考えてしまい、ピアノの置いてあるアパートのシーンでは、何とか弾かせてあげたいと祈るような気持ちになってしまいました。 好きなシーンはドイツ将校から食料を分けてもらうところで、缶切りが入っていたところ!細かな描写ではあるが、演奏を聞いた彼の感謝の念がよく伝わりました。。。 【2004年2月映画館にて】
ユダヤ人が何か悪いことをしたのか?
なぜこんな目に遭わなければならないのだ?そう憤りながらドイツ兵に理不尽な暴力を受け仕舞いには皆殺されてしまう。死刑囚より酷い扱いだし呼び止められれば死の恐怖だ。早く死んだ方がマシなのか?僅かな希望を持ち極限のストレスと飢えを味わいながら生きながらえた方が良いのか?終戦まで生き延びられた人は地獄も見ただろうけど本当に運が良かった。この主人公は運もあるけどピアニストだったから助けられどうにか免れたのだと思う。でも数年弾けなくていきなりあんなに指は動かなかったはず。ピアノが偶然ある部屋に匿われた時も葛藤だっただろうね。彼にとってピアノを弾くことが悲しみを紛らわす唯一の方法だっただろうから。 戦争は絶対にしてはならないし、加担してもいけない。今のロシアの暴走を世界が協力し合って止められないものかと思う。 2度目の鑑賞だけど戦争が現実味を帯び前回より心が揺さぶられたように思う。
生きることの意味と人間の残酷さ
事実は小説より奇なり、の如く、事実は小説より残酷でした。 映画で衝撃を受けた私は、映画の脚本ではなく、本人が書いたものが日本語に翻訳されたものを購入して読みました。 そして、さらに衝撃を受けました。事実は映画(原作本)よりも恐ろしく、人間の残酷さを実感しました。結婚後旦那に読ませたら、あまりの残酷さに途中でリタイヤしていました。 映画ではピアノも演奏されますが、ピアノがあれほど寒々しい旋律に聞こえたことはありません。 残酷で悲しい映画ですが、人のやさしさも垣間見える映画でもあります。 やさしさと残酷さを合わせもっているのが人間なんですよね。 なかなか映像化するのが難しい内容なのですが、そこを薄くならずに映画化できたのは本当にスゴイと思います(監督ロマン・ポランスキーだからかな?)。 映画見ていて実際に自分がその場所に今いるような錯覚にすら陥りそうになり、恐怖を感じながら最後まで見ました。音もリアルに響いた記憶があります。 生きることの意味と人間の残酷さについて、改めて考えました。 人間のさがとして、自分だけがよければ良いという感情は誰でもあると思うんですよね。 いじめとかそうじゃないですか?、見て見ぬふりする人もそうですよね? ユダヤ人迫害って、実際に関係していたドイツ軍関係の人たちも、すごくそれと似ているんですよね。 みんな傍観者というか、「任務を遂行しただけ」という意識が強くて、人を殺したり迫害をしたという意識が非常に低いというか、「無い」のです。 自分は収容所へ運ぶための列車に人を何人運べるかを管理した。 自分は人数と名簿からリストを作成した。 などの、国家からの任務を遂行をしたという意識しかない。 学校での集団のいじめや、国家命令の恐ろしいところって、そこですよね。 人間の思考を奪う。 面倒だから傍観者になれるし、自分さえよければいい、という感じ。たぶん迫害も同じ。 ヒトラー政権時、レジスタンスのため地下組織で活動した人たちを尊敬します。 私は傍観者になってしまう人だと思うので。 同じ背景の映画としては、シンドラーも有名ですが、私には戦場のピアニストの方が胸に響きました。どこが違うのか?、もう一度シンドラーのリスト見てみよう。 映画を見る前にもユダヤ人迫害についてはアンネの日記や、アンネをかくまったミープさんが書いた本も読んでいました。 TVも見ていました。 (中学生頃に、NHKで放送した「キティアウシュビッツに帰る」というイギリスのドキュメント) 今まで見たもの以上の衝撃(ショック)が、この映画にはありました。 2003年に映画館で見ました。 仕事関係の研修会(という名の忘年会)で鑑賞券が当たりました。 1枚だったので珍しく一人で鑑賞。 当時は夜遅くまで働いていたので、最終上映にすべりこみ、良さそうなタイトルの映画を選んだつもりだったのですが、タイトルとは違いました。 生きていると辛いこともあります。 今でもときどき、生きることの意味を考えることがあります。 生きたくても生きることができなかった、多くの方々のことを忘れないようにしたいです。 悲しい映画なのですが、何故か、また見たいなと思える映画です。 希望の光が少し差し込んでいるような映画です。
ぬるま湯の中でゆでられる蛙にならない為に
何を知った気になっていたのだろう…。 ナチスによるホロコーストを描いた映画。 アウシュビッツ=ピルケナウ強制収容所等を訪問して、現地のガイドからいろいろなお話を伺い、知った気になっていた。 映画・漫画・本で知った気になっていた。 けれど…。 平和な生活。それが、次々に発令される法律で、いつの間にか職を奪われ、生活の場を限定され、尊厳を傷つけられ、命すらも奪われる状況に陥っていってしまった。何がどうして?気がついた時には遅かった。その状況が淡々と展開していく。その中で生きる人々の変容が淡々と綴られていく。ドイツ軍に占領されて、いきなりユダヤ狩りが始まったのではなくて、少しずつ追いつめられていく様子に驚愕した。 この状況を止めるために何ができたのだろう。ユダヤの方々に、ユダヤ以外の方々に。ユダヤ以外の方々にとっては「この程度」の決定だったのか。ドイツ軍に占領されていたからポーランドの人たちには何もできない状況だったのか。とはいえ、坂を転がる雪だるまのごとく、気がついたら止まらなくなっていた。命かけてレジスタンスしなければいけない状況になっていた。 ぬるま湯に入れられた蛙は湯の温度が上がってきてもわからずに、結局ゆでられても、逃げ出すこともなく死ぬと聞いた。 次々に法令が発令されて追いつめられた様子に、そんな蛙をイメージしてしまった。 次々にきな臭くなってくる日本も、それほど重大じゃないと思っていたら、いつの間にかこのホロコースト・戦争に巻き込まれたように抜き差しならない状態になるのではと、この映画を見ながら怖くなった。 そんな尋常ならざる状況に翻弄される主人公。 普通に生きていただけの市民の一人。 幸いたくさんの人々のお陰で生き延びられた。ユダヤ教には詳しくないけど、宗教的に自死は禁止されているのだと思っていた。生への執着というより、どにかく生きるしかない。何のために生きるのか、このまま野たれ死ぬのか。良いことが起こるとは思えない状況。涙を流して泣くことすら拒否するような、感情が鈍麻してしまう世界。観ているだけで苦しくなった。”ピアニスト”というアイデンティティがあったから精神崩壊せずに生き延びられたのか。そう考えると、クライマックスでの演奏に身震いした。生きる屍から生還した瞬間。 「主人公が、有名でファンをたくさん持つピアニストだから助けられた」というレビューも拝見する。アウシュビッツ=ピルケナウ強制収容所行きの列車に乗らないように、主人公を引っ張った人の動機はそうなのかもしれない。 けれど、無名の普通の人々を匿い、助けた記録はたくさん存在する。実話、もしくは実話をベースにした映画もたくさん制作発表されている。そして何より有名な『アンネの日記』。アウシュビッツ=ピルケナウ強制収容所で、ユダヤの方の身代わりになってお亡くなりになられたコルベ神父(刑に服された部屋が、アウシュビッツ=ピルケナウ強制収容所に残っている)。 この映画は、シュピルマン氏の自伝をもとに脚色されている。だが、主人公を通して、映画で目にするナチスの行為は、監督自らが経験したものではないのか。父によって逃がされ、両親・姉と離れ、終戦まで一人で生き延びた少年。ローティーン(終戦時12歳)の少年に何ができたのだろう。ロマン少年と映画の主人公が重なって見える。映画でのシュピルマン氏を描いたかに見せて、ご自身の経験を描いたかのような。 そんな主人公の周りの人々。 より安全に生きるために、権力におもねる人々。 一粒のキャラメルを割ったように、「助け合って」をしようとした人々。 なす術もない人々。 命かけてレジスタンスする人々。 「逃げるよりも、生き伸びるのがつらい」逃げるって天国に逃げるってこと? 主人公が狂言回しのように、この異常事態で起こる様々なことや人が点描される。 そんな中での出会い。 ある方に教えていただいたが、ドイツの将校を誤解していた。 日本語字幕では、終盤現れるドイツの将校の、主人公への言葉使いが命令口調で乱暴だけれど、映画では日本語で言うところの丁寧語を使って、将校は主人公に話しかけているのだそうだ(ex字幕では「お前」と主人公に呼びかけるが、ドイツ語の台詞では「貴方」」と言っている)。他のドイツ兵は差別的な言葉使いを使って家畜か何かのように扱っていたのに、あの将校は、主人公のピアノを聴く前から丁寧語で呼びかけ、主人公を一人の紳士として扱っていた。それが日本語訳では表現されていないので、将校に対するイメージが違ってくる。 (教えていただきましてありがとうございました。) 尤も、日本語訳のミスがあっても、彼が、自分がドイツ軍であることを嫌悪しているのは伝わってくる(細かく言うと彼はナチ親衛隊ではなく、強制的に軍に駆り出された人、本来の職業は教師)。 原作未読。原作を読んだ方からこの映画はほぼ原作に忠実と聞く。 ただ、数点変えてある。そのうちの一つ、終盤出てくるドイツ将校は、主人公を助けただけではなく、何人も助けている。シュピルマン氏をはじめ、彼に助けられた人が助命嘆願を重ねていたが救えなかったというのに、この映画の中ではその様子が描かれない。それどころか、恩人の懇願に対して何もしなかった主人公と誤解している人すらいる。 なぜ、監督はそんな描き方をしたのだろう?戦争終結後に二つ目のクライマックスを描く必要はないと考えたのだろうか。ならば、あんな形で将校を再登場させずに、エンディングの字幕で説明すれば良いだけの話だ。 つい監督が『シンドラーのリスト』の監督を断ったところと関連付けてしまいたくなる。 ここに、監督の怒りのようなものが表現されているように深読みしてしまう。 善意あるドイツ人が、数名のユダヤ人を救ったからといって罪滅ぼしにはならないと。 ドイツ・ソ連と力関係が変転しただけで、同じことの繰り返しなのだと。 そして、 そもそも、このような異常事態を起こしてしまった大人への怒り…。 これは、天災ではなく、事故でもなく、一人の狂気によるものでもなく、彼の台頭を許してしまったことによる大勢の人による人災なのだと。 ぬるま湯の中でゆでられていく蛙にならないためにはどうしたらいいのか、 政治への無関心の代償は何なのか、 希望が見えない中でどう自分を保っていくのか、 人への尊厳を究極の状態の中でどう表現していくのか、 人との繋がりとか、 芸術の持つ力だとか、 壮絶なる経験とどう折り合いをつけ、相手をどう許すのか、 とか いろいろなことを考えさせられ、心を大きく揺さぶられた。
心に残っている映画のひとつ
アカデミー賞も受賞した有名な映画で ケーブルテレビで放送されるから観てみようと たまたまリビングで家族と寛いでいる時に見始めて 皆んな夢中になって最後まで鑑賞した、ユダヤ人に対する差別は有名だけど、とても残酷で胸が締め付けらる 大作だけあって全ての映像がとても壮大でそして、国と国が争っていても決して人と人同士が憎みあっている訳ではない。きっかけは音楽によって人の心を動かすシーンが印象的だった。
結局生き残るのは偶然なんだなと。
第二次世界大戦でかつ、ユダヤ人に焦点を当てた作品って、”シンドラーのリスト”とか”ライフ・イズ・ビューティフル”とか陰鬱な雰囲気で、救いのないお話なんだけど、必死に生き残ろうとする主人公たちをみて、頑張って生き残れ!って共感できるように演出して、如何に物語として成立させるかが、映画として大事になってくるんだけど、本作は僕の中で満点でした。 実際にロマン・ポランスキーがユダヤ人で、幼い頃に強制収容所で育った人って聞くと、彼のアメリカでの行いはともあれ、彼の経験を後世に語り継ぎたいっていう強い意志が、拘りが感じ取られて、素晴らしい作品に仕上がっていたと思う。 エイドリアン・ブロディ演じる主人公が、ただひたすらに周りによって生かされるってのも、主人公っていうより、ただの一般市民って感じが強くて良かっし、物凄くリアルに描けていた。彼が2時間半の間にただひたすらにボロボロになっていくのも引き込まれた。主人公が弱いってのも”戦場のピアニスト”の好きなところ。 最後の方のポーランドの町が崩れているシーンも、ただひたすらに絶望的で良かったし、実際戦争があったら、あんなにぐちゃぐちゃになるんだろうなと思えた。ドイツ軍将校がユダヤ人を虫のように殺すシーンも、本当にこんなんだったんだろうなと思って、戦争が人を狂わすのが見ていて怖すぎた。ただ黙って殺されるユダヤ人も、色々あるけど、死んだ方が楽だと思ったのかなと捉えられた。
言葉にならない
名作だと知ってはいたけど、なかなか機会がなくて、やっと今更の鑑賞。 もう終始言葉にならなくて、圧倒されました。これが過去に実際に現実に起こっていて、悲しいとかつらいでは全然足らない… けど、ちゃんと知らないといけないし、こういう作品がちゃんと残っていってほしいなと思います。
辛い映画でした
日本兵やソ連兵の蛮行も日本への原爆投下も愚かしいが、ドイツ兵のユダヤ人迫害も相当な愚行ですよね。本映画では生々しく描かれていて辛くなりました。何人かの善良な人、最後は命の恩人となるドイツ兵将校など登場しますが、背景にある無慈悲に失われた命のことを考えると、温かい気持ちにはなれませんでした。ピアノは美しく生き延びたユダヤの人達が二度と迫害されることなく幸せな未来が続いていくことを願わずにいられません。人種差別って本当に酷いですね。、
この邦題なんとかなりませんか
ポラン君畢生のホロコースト大作です。場を収容所に限定してユダヤ人全体を描いたシンドラーに比較すると、場をワルシャワ全域に広げた上で個人の行動に焦点を当てているので、感情移入しやすく、義憤も倍増します。 しかし、いつも思いますが結論として特級映画であることは間違いないものの、それは原案ないし脚本、すなわちお話がよくできているからであって、そこそこの技術を持った監督なら同様に高水準の仕上がりになったんでしょうか?答は否ですが、ではどこがどのように具体的、技術的にポラン君が優れているのか私には説明できないし、その辺りをきちんと解明した評論やレビューに出会ったことがない。筋やテーマを批評するのは簡単ですが映像自体を語るのはむずかしいですね? しかし、この邦題、なんで戦場のなんて説明的な修飾句をつけたのか、悲壮感押し付けがましくて安っぽいです。原題ママ、ザピアニストでよろしい。
ピアノを全面に出して欲しかったな😣
タイトルから、ピアノを中心の戦場を考えていたが、とにかく逃げ切っただけの感じ。 ナチス、ユダヤ人、ゲットー、ホロコーストのくくりで比較すると、「シンドラーのリスト」を超えてこなかった。
残忍で残念
高校生の娘が借りてきたので一緒に見た。 見てなかった名作?だったので「リビングで見よー」と夫も誘った 途中から娘は「怖い怖い…ヤダヤダ…」と言い出して お父さんとお母さんと一緒じゃなかったら見れなかったわ~って(笑) 「世界史で習ったけどひどいね。」「トラウマになる」と あたしも正直こんなに残酷なシーンばかり見せつけられるとは思ってなかったし 家庭内名作鑑賞会になると思ってたのに…しんどかった 歴史的に、とは言っても1940年、あたしには最近の話だ つい最近まで人間はこんな非人間的であったのだ…
この教訓を今の世界にどういかす?
この映画は私にとって傑作の一つであり、いつまでも心に残っていて、性犯罪でますます有名になった監督だが、また別の側面で、彼の作品を捉えたく、ヴィデオを借りてきた。それに、ポランスキー自身がポーランドで過ごしたナチの被害者であったわけだし、『経験者は語る』であるから興味深い。ポーランド語とドイツ語と(ロシア語もふくめて)で作品を作ればもっと良かったが、多分アイドリアンは採用されなかったし、。。。。 以前鑑賞した時はナチス体制の中で、ナチ党員を一括りに捉えてしまって、個人個人の倫理観で考えて党員をみることは難しいと思った。 ナチスに属したなら、敵からみれば全ての党員がヒットラーのようだと思ってしまうと思う。 その考えは怖いことで、ひとり一人、十人十色を考えていないから。また、当時の全体主義思想からそういう個人の見方が育たなくなってしまっているとも思った。 でも全体主義国家の中で個人個人のなかで、倫理観を持っている人がいるということ。 それが素晴らしく心に残った。これはまず、以前にこの映画を見たときに、感じていた。 改めて、この映画をまた、今日、観てみた。(11/26/20) この映画のあらすじは説明する必要がないようだ。 ドイツでのクラッシックは有名で、作曲家もベートーベン、モーツアルト、メンデルスソーン、ワグナーなど(ショパンはポーランド)がいる。ドイツ将校ヴィルム・ホーゼンフェルトはウワディスワフ・シュピルマンのピアノに惚れ込み、この人材を殺したくないと思ったと私は思った。、シュピルマンがピアノが引けなくても命を助けると信じたいとも思った。 https://www.youtube.com/watch?v=n9oQEa-d5rU これはシュピルマンが弾いている。 大切じゃなないことで、勝手に判断しているようだが興味があった。 シュピルマンが最後の隠れ家に使ったところはドイツ区域で病院があるところだった。その裏手に彼は這いずって行き、ある家に入り込んだ。その家で、ピクルスを開けようと四苦八苦しているところに、ドイツ将校、ヴィルム・ホーゼンフェルト(Wilm Hosenfeld) が入ってきた。仕事はなにと聞かれピアニストだと答えたら、こっちに来いと隣の部屋に連れて行った。ドイツ将校がなぜ、ここにピアノがあると分かったのか?監督が細かいところに焦点を置いていないので、私が勝手にこの家は将校の元の家だと踏んだ。その後、彼は事務所に戻ったら、皆が敬礼するから明らかに位が上なのに違いないと。彼が自分の机に戻って書類にサインをする前に、二つのことに気づいた。まず、奥の部屋にピアノがあった。その次に彼の家族の写真は5人家族?(でも七人家族だったらしい)だが、子供はまだ小さかった。昔の写真を自分の机の上に置くより、今の写真を一般的におく。それで、憶測でドイツ将校がピアノを演奏する人か奥さんがピアノを弾く人かと思った。だからピアノ曲の醍醐味を知っているからプロのように上手に弾けるシュピルマンを助けたと思ったとおもった。(しかし、ヴィルム・ホーゼンフェルト将校についての情報もかなりあるので、信憑性は二の次にして、私のわかる範囲で調べて見たところ、ピアノがどうかという記事は一切出てこない。それより、カトリックで当時のドイツのユダヤ人やポーランド人などの扱いに反対していたと分かった。そして、シュピルマンだけでなく他にも助けていることがわかった。) この映画を観て、ああユダヤ人が可哀想、ひどいことをしたなどと簡単にこの歴史を考えられない。この歴史は教訓であって、このようなナチス体制を二度ともりあげないようにするため、我々はなにができるか? 根本的に私たち個人個人にかかってくる問題であり、基本的には『人間を殺す』という人の命を奪っている。それが、民族浄化であっても、侵略戦争であっても、政府の都合の良い正義や大義名分ということで、人の命を奪っていることだ。 それに、日本が中国、台湾、など、アジア圏で犯した罪ももう一度、世界の歴史の文献も踏まえて、かんがえてみることもいいことだ。はっきり言って、私の父も、親族もこの侵略戦争に加担したものだから、もっと、無慈悲な行為は身近に感じられる。 https://www.yadvashem.org/righteous/stories/hosenfeld/hosenfeld-writings.html からの抜粋 Excerpt from Hosenfeld's diary, 16 June 1943: (ホーゼンフェルトは日記をつけていた。これはかれの日記の一部を抜粋) "Innumerable Jews have been killed like that, for no reason, senselessly. It is beyond understanding. Now the last remaining Jewish residents of the ghetto were annihilated. An SS-Strumfuehrer boasted that he had shot the Jews who jumped out of the burning houses. The entire ghetto is a burned ruin. This is how we want to win the war. These animals. With this horrible mass murder of the Jews we have lost the war. We have brought an eternal curse on ourselves and will be forever covered with shame. We have no right for compassion or mercy; we all have a share in the guilt. I am ashamed to walk in the city…. クーグルの翻訳(よく訳されていると思う) 「無数のユダヤ人が理由もなく無意味に殺された。それは理解できない。今やゲットーに残っている最後のユダヤ人居住者は全滅した。SS-Strumfuehrerは燃えている家から飛び出したユダヤ人を撃ったと自慢した。 。ゲットー全体が焼けた廃墟です。これが私たちが戦争に勝ちたい方法です。これらの動物。ユダヤ人のこの恐ろしい大量殺戮で私たちは戦争に負けました。私たちは自分自身に永遠の呪いをもたらし、永遠に覆われます。 恥ずべきことです。私たちには思いやりや憐れみの権利はありません。私たち全員が罪の意識を持っています 付け足しだが: WFDiFのアーカイブはすごい。ナチスが撮影した現状がよく残されている。これはLebel Documentary and Feature Film video Production と言ってホーランドワルシャワにある。
150分の長作ながら、まったく長さを感じず集中して観られた。戦時下...
150分の長作ながら、まったく長さを感じず集中して観られた。戦時下のドイツ兵の心をも動かしたピアニストの魂の演奏。そして、戦争が終わるとドイツ将校と逃亡していたポーランド人の立場が180度逆転する、そこに世の中の常ならざることを感じた。この作品を鑑賞して、平和な今に生きてることを本当に感謝した。
人生に一回は見なきゃダメ。
学校の授業で第二次世界大戦を勉強し、annefrankを知りアンネの日記を読みました。 そこからユダヤ人の大量虐殺について深く興味が湧き、たくさんの資料や動画を見ました。 目を背けたくなるような事実があり、当時の人のことを思うと本当に胸が痛くなった。 "戦場のピアニスト"は、ユダヤ人大量虐殺の生々しい事実がしっかり描かれていて最後まで見るのがつらくなり途中で見るのをやめようとしました。 でも、ピアニストがあんな悲惨な状況の中でも生きることに一生懸命な姿にすごく背中を押されました。 あんな差別、二度とあってほしくない。絶対に。 話を聞いたり見たりするだけでも辛いのに、実際にそんな体験をした人達はもっと辛い。 いや、辛いという一言だけで表せられるようなことではないと思う。 あんな平気で人を差別する人にはなりたくない。 公園に入れなかったり、店に入れなかったり、 ベンチにさえも座ってはいけなかったり。 私なら、ドイツ兵に捕まってでもユダヤ人を匿う。 最後まで戦い、粘り続けた全てのユダヤ人に愛を捧げます。 この映画を見て、今をもっと一生懸命生きようと思った。
ピアニスト
かりに、ヒトラーがドイツではなく他の国にいたら やはりその国は恐ろしい殺戮をしたのだろうか ドイツという国が悪いのではない、一部の人が兵士や国民を騙し唆し洗脳してしまったのだろう 日本もアメリカも世界中どこの国でも同じだと思う 彼はワルシャワ・ゲットー蜂起の時 「ドイツ兵もよく戦った」と言っている 彼の心がほんの少し見えた気がします 彼もまたよく闘った 見ていて途中どうしても辛くなってしまったので止めてしまいました でも、やはり最後までしっかりと見なければと 辛くて苦しい作品でした。
悲惨で観てられない…
が、一度見なきゃと頑張った。強い信念を持つということは一歩間違えばこういうことにつながる。かわいそうだと思う普通の心も信念が押し隠してしまう。人間がしでかす残酷さを描き出したロマン•ポランスキー入魂の作品。この状況を生き抜いたピアニストの体験記だから説得力が違う。エイドリアン・ブロディも演じ切った。信じたくないけど日本人もアジア諸国でこういうことをしてきた史実。人ごとではない。
全86件中、21~40件目を表示