戦場のピアニストのレビュー・感想・評価
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ずっと苦しいが最後の最後に・・・
この映画はドイツ兵から逃げながら飢えをしのいで耐えるシュピルマンが長い時間描かれずっと苦しい。
でも多くのユダヤ人が虐殺される中で最後まで生き残るシュピルマンの精神力の強さと運のよさはすごい。
最大の幸運は、ドイツ将校のホーゼンフェルトに会えたことだと思う。このシーンで2時間近くずっと苦しいところからようやく解放された。
ホーゼンフェルトはなぜシュピルマンを助けたのだろう、シュピルマンのピアノを聴いて、どういう気持ちだったのだろう?映像を観てるだけではわかりづらい。
気になったので後から調べてみると、ホーゼンフェルトはもともとポーランド人やユダヤ人を秘密裏に支援していたとのことでした。こんな鬼畜の所業がなされている中で、ドイツ人の中にもまともな精神をもつ人がいたのだということを知り救われる気持ちになった。
ぬるま湯の中でゆでられる蛙にならない為に
何を知った気になっていたのだろう…。
ナチスによるホロコーストを描いた映画。
アウシュビッツ=ピルケナウ強制収容所等を訪問して、現地のガイドからいろいろなお話を伺い、知った気になっていた。
映画・漫画・本で知った気になっていた。
けれど…。
平和な生活。それが、次々に発令される法律で、いつの間にか職を奪われ、生活の場を限定され、尊厳を傷つけられ、命すらも奪われる状況に陥っていってしまった。何がどうして?気がついた時には遅かった。その状況が淡々と展開していく。その中で生きる人々の変容が淡々と綴られていく。ドイツ軍に占領されて、いきなりユダヤ狩りが始まったのではなくて、少しずつ追いつめられていく様子に驚愕した。
この状況を止めるために何ができたのだろう。ユダヤの方々に、ユダヤ以外の方々に。ユダヤ以外の方々にとっては「この程度」の決定だったのか。ドイツ軍に占領されていたからポーランドの人たちには何もできない状況だったのか。とはいえ、坂を転がる雪だるまのごとく、気がついたら止まらなくなっていた。命かけてレジスタンスしなければいけない状況になっていた。
ぬるま湯に入れられた蛙は湯の温度が上がってきてもわからずに、結局ゆでられても、逃げ出すこともなく死ぬと聞いた。
次々に法令が発令されて追いつめられた様子に、そんな蛙をイメージしてしまった。
次々にきな臭くなってくる日本も、それほど重大じゃないと思っていたら、いつの間にかこのホロコースト・戦争に巻き込まれたように抜き差しならない状態になるのではと、この映画を見ながら怖くなった。
そんな尋常ならざる状況に翻弄される主人公。
普通に生きていただけの市民の一人。
幸いたくさんの人々のお陰で生き延びられた。ユダヤ教には詳しくないけど、宗教的に自死は禁止されているのだと思っていた。生への執着というより、どにかく生きるしかない。何のために生きるのか、このまま野たれ死ぬのか。良いことが起こるとは思えない状況。涙を流して泣くことすら拒否するような、感情が鈍麻してしまう世界。観ているだけで苦しくなった。”ピアニスト”というアイデンティティがあったから精神崩壊せずに生き延びられたのか。そう考えると、クライマックスでの演奏に身震いした。生きる屍から生還した瞬間。
「主人公が、有名でファンをたくさん持つピアニストだから助けられた」というレビューも拝見する。アウシュビッツ=ピルケナウ強制収容所行きの列車に乗らないように、主人公を引っ張った人の動機はそうなのかもしれない。
けれど、無名の普通の人々を匿い、助けた記録はたくさん存在する。実話、もしくは実話をベースにした映画もたくさん制作発表されている。そして何より有名な『アンネの日記』。アウシュビッツ=ピルケナウ強制収容所で、ユダヤの方の身代わりになってお亡くなりになられたコルベ神父(刑に服された部屋が、アウシュビッツ=ピルケナウ強制収容所に残っている)。
この映画は、シュピルマン氏の自伝をもとに脚色されている。だが、主人公を通して、映画で目にするナチスの行為は、監督自らが経験したものではないのか。父によって逃がされ、両親・姉と離れ、終戦まで一人で生き延びた少年。ローティーン(終戦時12歳)の少年に何ができたのだろう。ロマン少年と映画の主人公が重なって見える。映画でのシュピルマン氏を描いたかに見せて、ご自身の経験を描いたかのような。
そんな主人公の周りの人々。
より安全に生きるために、権力におもねる人々。
一粒のキャラメルを割ったように、「助け合って」をしようとした人々。
なす術もない人々。
命かけてレジスタンスする人々。
「逃げるよりも、生き伸びるのがつらい」逃げるって天国に逃げるってこと?
主人公が狂言回しのように、この異常事態で起こる様々なことや人が点描される。
そんな中での出会い。
ある方に教えていただいたが、ドイツの将校を誤解していた。
日本語字幕では、終盤現れるドイツの将校の、主人公への言葉使いが命令口調で乱暴だけれど、映画では日本語で言うところの丁寧語を使って、将校は主人公に話しかけているのだそうだ(ex字幕では「お前」と主人公に呼びかけるが、ドイツ語の台詞では「貴方」」と言っている)。他のドイツ兵は差別的な言葉使いを使って家畜か何かのように扱っていたのに、あの将校は、主人公のピアノを聴く前から丁寧語で呼びかけ、主人公を一人の紳士として扱っていた。それが日本語訳では表現されていないので、将校に対するイメージが違ってくる。
(教えていただきましてありがとうございました。)
尤も、日本語訳のミスがあっても、彼が、自分がドイツ軍であることを嫌悪しているのは伝わってくる(細かく言うと彼はナチ親衛隊ではなく、強制的に軍に駆り出された人、本来の職業は教師)。
原作未読。原作を読んだ方からこの映画はほぼ原作に忠実と聞く。
ただ、数点変えてある。そのうちの一つ、終盤出てくるドイツ将校は、主人公を助けただけではなく、何人も助けている。シュピルマン氏をはじめ、彼に助けられた人が助命嘆願を重ねていたが救えなかったというのに、この映画の中ではその様子が描かれない。それどころか、恩人の懇願に対して何もしなかった主人公と誤解している人すらいる。
なぜ、監督はそんな描き方をしたのだろう?戦争終結後に二つ目のクライマックスを描く必要はないと考えたのだろうか。ならば、あんな形で将校を再登場させずに、エンディングの字幕で説明すれば良いだけの話だ。
つい監督が『シンドラーのリスト』の監督を断ったところと関連付けてしまいたくなる。
ここに、監督の怒りのようなものが表現されているように深読みしてしまう。
善意あるドイツ人が、数名のユダヤ人を救ったからといって罪滅ぼしにはならないと。
ドイツ・ソ連と力関係が変転しただけで、同じことの繰り返しなのだと。
そして、
そもそも、このような異常事態を起こしてしまった大人への怒り…。
これは、天災ではなく、事故でもなく、一人の狂気によるものでもなく、彼の台頭を許してしまったことによる大勢の人による人災なのだと。
ぬるま湯の中でゆでられていく蛙にならないためにはどうしたらいいのか、
政治への無関心の代償は何なのか、
希望が見えない中でどう自分を保っていくのか、
人への尊厳を究極の状態の中でどう表現していくのか、
人との繋がりとか、
芸術の持つ力だとか、
壮絶なる経験とどう折り合いをつけ、相手をどう許すのか、
とか
いろいろなことを考えさせられ、心を大きく揺さぶられた。
心に残っている映画のひとつ
結局生き残るのは偶然なんだなと。
第二次世界大戦でかつ、ユダヤ人に焦点を当てた作品って、”シンドラーのリスト”とか”ライフ・イズ・ビューティフル”とか陰鬱な雰囲気で、救いのないお話なんだけど、必死に生き残ろうとする主人公たちをみて、頑張って生き残れ!って共感できるように演出して、如何に物語として成立させるかが、映画として大事になってくるんだけど、本作は僕の中で満点でした。
実際にロマン・ポランスキーがユダヤ人で、幼い頃に強制収容所で育った人って聞くと、彼のアメリカでの行いはともあれ、彼の経験を後世に語り継ぎたいっていう強い意志が、拘りが感じ取られて、素晴らしい作品に仕上がっていたと思う。
エイドリアン・ブロディ演じる主人公が、ただひたすらに周りによって生かされるってのも、主人公っていうより、ただの一般市民って感じが強くて良かっし、物凄くリアルに描けていた。彼が2時間半の間にただひたすらにボロボロになっていくのも引き込まれた。主人公が弱いってのも”戦場のピアニスト”の好きなところ。
最後の方のポーランドの町が崩れているシーンも、ただひたすらに絶望的で良かったし、実際戦争があったら、あんなにぐちゃぐちゃになるんだろうなと思えた。ドイツ軍将校がユダヤ人を虫のように殺すシーンも、本当にこんなんだったんだろうなと思って、戦争が人を狂わすのが見ていて怖すぎた。ただ黙って殺されるユダヤ人も、色々あるけど、死んだ方が楽だと思ったのかなと捉えられた。
言葉にならない
辛い映画でした
この邦題なんとかなりませんか
ポラン君畢生のホロコースト大作です。場を収容所に限定してユダヤ人全体を描いたシンドラーに比較すると、場をワルシャワ全域に広げた上で個人の行動に焦点を当てているので、感情移入しやすく、義憤も倍増します。
しかし、いつも思いますが結論として特級映画であることは間違いないものの、それは原案ないし脚本、すなわちお話がよくできているからであって、そこそこの技術を持った監督なら同様に高水準の仕上がりになったんでしょうか?答は否ですが、ではどこがどのように具体的、技術的にポラン君が優れているのか私には説明できないし、その辺りをきちんと解明した評論やレビューに出会ったことがない。筋やテーマを批評するのは簡単ですが映像自体を語るのはむずかしいですね?
しかし、この邦題、なんで戦場のなんて説明的な修飾句をつけたのか、悲壮感押し付けがましくて安っぽいです。原題ママ、ザピアニストでよろしい。
タイトルなし(ネタバレ)
ポーランドでピアニストとして活動していたユダヤ人の男が第二次世界大戦のナチス・ドイツによる地獄を生き抜いていく話。
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ほぼ2時間ずっと地獄で、悪魔のようなドイツ兵と無残に殺されていくユダヤ人。そんな光景をずっと見せられていくとドイツ兵のことを完全に人と思えなくなっているんだけれど、その構成が最後に効いてくる。
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あとは主人公が生き延びられたのは色んな人の助けがあったからで、芸術家だから肉体労働は苦手でちょっと弱々しいぼっちゃん感のある主人公は、守ってあげたい系なんだろうなと。
重く考えさせられる。
重厚な映画でした。
シンドラーのリストも見ましたが、
やはりユダヤ人迫害の歴史は見ていて非常につらいです。
自分がドイツ人側だったとしたら、
ユダヤ人を差別せず生きていただろうか?
ユダヤ人側だったら、終戦後ドイツ人を
憎まずに生きていけるだろうか。
ラストシーンで、繰り返される戦争や
立場が変わると人は立場に従順になることを
思い知らされました。
人種で人や思考ををとらえることなんて出来ないのに
やはりしてしまう自分の脆さにも気づかされました。
またいつか見たい映画です。
主役を演じたエイドリアンは圧巻の演技でした。
黄疸?が出て食料にありつけず、衰弱する
シュピルマンには唖然としました。
演じられてから1年ほどうつ状態から抜け出せなかったとのこと。
戦争の悲劇
ナチスドイツに纏わる作品はたくさんあり、これまでもいくつも観てきたが、この作品は難を逃れた1人のユダヤ人にフォーカスされている。あの悲惨な状況下でも生き延びた人達が確かにいたという史実を描いた貴重な作品だと思う。
タイトルの通り主人公はピアニストだが、演奏するシーンはそれほど多くはなく、むしろ食べ物や飲み物を探し求める悲壮なシーンの方が多いと感じた。
残虐なシーンはこれまでも他の作品でも目にしたが、どれもよりリアルでショッキングである。
ユダヤ人への残虐な行為は戦争がもたらした悲劇の最たるものだが、皮肉な結果のラストは、いとも簡単に人を殺し合う戦争は悲劇しか生まない、繰り返してはならないという、戦争を生き延びた監督からの強いメッセージなのだろう。
残忍で残念
この教訓を今の世界にどういかす?
この映画は私にとって傑作の一つであり、いつまでも心に残っていて、性犯罪でますます有名になった監督だが、また別の側面で、彼の作品を捉えたく、ヴィデオを借りてきた。それに、ポランスキー自身がポーランドで過ごしたナチの被害者であったわけだし、『経験者は語る』であるから興味深い。ポーランド語とドイツ語と(ロシア語もふくめて)で作品を作ればもっと良かったが、多分アイドリアンは採用されなかったし、。。。。
以前鑑賞した時はナチス体制の中で、ナチ党員を一括りに捉えてしまって、個人個人の倫理観で考えて党員をみることは難しいと思った。 ナチスに属したなら、敵からみれば全ての党員がヒットラーのようだと思ってしまうと思う。 その考えは怖いことで、ひとり一人、十人十色を考えていないから。また、当時の全体主義思想からそういう個人の見方が育たなくなってしまっているとも思った。
でも全体主義国家の中で個人個人のなかで、倫理観を持っている人がいるということ。 それが素晴らしく心に残った。これはまず、以前にこの映画を見たときに、感じていた。
改めて、この映画をまた、今日、観てみた。(11/26/20)
この映画のあらすじは説明する必要がないようだ。
ドイツでのクラッシックは有名で、作曲家もベートーベン、モーツアルト、メンデルスソーン、ワグナーなど(ショパンはポーランド)がいる。ドイツ将校ヴィルム・ホーゼンフェルトはウワディスワフ・シュピルマンのピアノに惚れ込み、この人材を殺したくないと思ったと私は思った。、シュピルマンがピアノが引けなくても命を助けると信じたいとも思った。
https://www.youtube.com/watch?v=n9oQEa-d5rU これはシュピルマンが弾いている。
大切じゃなないことで、勝手に判断しているようだが興味があった。
シュピルマンが最後の隠れ家に使ったところはドイツ区域で病院があるところだった。その裏手に彼は這いずって行き、ある家に入り込んだ。その家で、ピクルスを開けようと四苦八苦しているところに、ドイツ将校、ヴィルム・ホーゼンフェルト(Wilm Hosenfeld) が入ってきた。仕事はなにと聞かれピアニストだと答えたら、こっちに来いと隣の部屋に連れて行った。ドイツ将校がなぜ、ここにピアノがあると分かったのか?監督が細かいところに焦点を置いていないので、私が勝手にこの家は将校の元の家だと踏んだ。その後、彼は事務所に戻ったら、皆が敬礼するから明らかに位が上なのに違いないと。彼が自分の机に戻って書類にサインをする前に、二つのことに気づいた。まず、奥の部屋にピアノがあった。その次に彼の家族の写真は5人家族?(でも七人家族だったらしい)だが、子供はまだ小さかった。昔の写真を自分の机の上に置くより、今の写真を一般的におく。それで、憶測でドイツ将校がピアノを演奏する人か奥さんがピアノを弾く人かと思った。だからピアノ曲の醍醐味を知っているからプロのように上手に弾けるシュピルマンを助けたと思ったとおもった。(しかし、ヴィルム・ホーゼンフェルト将校についての情報もかなりあるので、信憑性は二の次にして、私のわかる範囲で調べて見たところ、ピアノがどうかという記事は一切出てこない。それより、カトリックで当時のドイツのユダヤ人やポーランド人などの扱いに反対していたと分かった。そして、シュピルマンだけでなく他にも助けていることがわかった。)
この映画を観て、ああユダヤ人が可哀想、ひどいことをしたなどと簡単にこの歴史を考えられない。この歴史は教訓であって、このようなナチス体制を二度ともりあげないようにするため、我々はなにができるか? 根本的に私たち個人個人にかかってくる問題であり、基本的には『人間を殺す』という人の命を奪っている。それが、民族浄化であっても、侵略戦争であっても、政府の都合の良い正義や大義名分ということで、人の命を奪っていることだ。
それに、日本が中国、台湾、など、アジア圏で犯した罪ももう一度、世界の歴史の文献も踏まえて、かんがえてみることもいいことだ。はっきり言って、私の父も、親族もこの侵略戦争に加担したものだから、もっと、無慈悲な行為は身近に感じられる。
https://www.yadvashem.org/righteous/stories/hosenfeld/hosenfeld-writings.html からの抜粋
Excerpt from Hosenfeld's diary, 16 June 1943: (ホーゼンフェルトは日記をつけていた。これはかれの日記の一部を抜粋)
"Innumerable Jews have been killed like that, for no reason, senselessly. It is beyond understanding. Now the last remaining Jewish residents of the ghetto were annihilated. An SS-Strumfuehrer boasted that he had shot the Jews who jumped out of the burning houses. The entire ghetto is a burned ruin. This is how we want to win the war. These animals. With this horrible mass murder of the Jews we have lost the war. We have brought an eternal curse on ourselves and will be forever covered with shame. We have no right for compassion or mercy; we all have a share in the guilt. I am ashamed to walk in the city….
クーグルの翻訳(よく訳されていると思う)
「無数のユダヤ人が理由もなく無意味に殺された。それは理解できない。今やゲットーに残っている最後のユダヤ人居住者は全滅した。SS-Strumfuehrerは燃えている家から飛び出したユダヤ人を撃ったと自慢した。 。ゲットー全体が焼けた廃墟です。これが私たちが戦争に勝ちたい方法です。これらの動物。ユダヤ人のこの恐ろしい大量殺戮で私たちは戦争に負けました。私たちは自分自身に永遠の呪いをもたらし、永遠に覆われます。 恥ずべきことです。私たちには思いやりや憐れみの権利はありません。私たち全員が罪の意識を持っています
付け足しだが:
WFDiFのアーカイブはすごい。ナチスが撮影した現状がよく残されている。これはLebel
Documentary and Feature Film video Production と言ってホーランドワルシャワにある。
壮大且つ見事なポーランド・ユダヤ芸術家の第二大戦史
ポーランドのユダヤ中産階級家庭に襲い掛かったホロコーストの理不尽さが、冷酷なまでに描写されていた。そして後半、ピアニスト・シュピルマンの危機脱出劇では戦車まで登場し、大迫力で唸らされた。また、ユダヤ人のみならずポーランド人からの命がけの援助があったことも、丁寧に描かれていた。
ピアニストを助けるドイツ人将校の存在は、戦火の中での人道的な救い。そう、戦争は人間の営みであり、巨悪だけでなく、善行や善人も存在する。そして、二人の間で、人種、国籍、立場を超えて伝わるショパンのピアノ旋律の凄み・美しさ、ひいては高い技能レベルでの芸術の感動と普遍性。
ただ、将校の方は、ピアニストの活躍と対照的に、その後ロシア獄中で亡くなったことが示される。その不条理さは、やはり戦争のなせるところか。その戦火の中であっても、ユダヤ人とポーランド人とドイツ人の協力があった史実、それを映画として見事なまでに見せつけるポランスキーの監督技量は普遍性が有り素晴らしく、感動させられる。
衝撃
胸が締め付けられる事ばかり💧
この悲劇からまだ100年も経ってないなんて、、、。
現在も世界の政治情勢は不安定。
ただただ世界平和を祈るだけ✨
スープにパンはご馳走。
蛇口から出た水が飲める。
ドイツパンとジャムがとっても美味しそう。
当たり前の日々に感謝。
ドイツ兵へ演奏した時のライティング、本当に素敵でした。
そして、エンディングのピアノは最高でした。
忘れられない映画になりました。
音楽が紡いだ縁 一 残虐な戦争の記憶
エンディングの「原作 ウワディスワフ・シュピルマン」との記載を見て実話だと知り、とても驚きました。
多くの人々の善意により生き延びる事が出来た事に対する敬意と感謝、そして戦争のおぞましい体験を記録として世に残す為、本を執筆されたのでしょうか。
エイドリアン・ブロディ( シュピルマン役 )の研ぎ澄まされた迫真の演技が、涙を誘います。
そして、リアルな映像は、逃亡生活を経験されたロマン・ポランスキー監督だからこそかも知れません。
ショパンのノクターン第20番の旋律が心に沁みました。
NHK - BSを録画にて鑑賞
150分の長作ながら、まったく長さを感じず集中して観られた。戦時下...
名作
主人公は、重なる局面で生き残るための嗅覚と取り巻く人々の協力で奇跡の生還を果たした。彼は戦うわけでなく、抵抗するわけでなく、ひとり必死に隠れていた生活は、不安の連続であったに違いない。幾多の同胞が命を落とす中、彼は神に選ばれし者であったとしか思えない。
忘れない描写は、一つのキャラメルを家族6人で分けて食べるシーン、解放され崩壊したワルシャワの市街地にたたずむ主人公。彼のピアノを黙って最後まで聞き、食料を差し入れするドイツ人将校。辛い映画ではあったが、彼の良心は一片の救い。
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