「こんな生き方は望んでこうなったわけじゃあない。」単騎、千里を走る。 Socialjusticeさんの映画レビュー(感想・評価)
こんな生き方は望んでこうなったわけじゃあない。
内向きで口数が少なく多くを言語化できない性格の父親(高倉健)、また息子も父親と同じような性格。この二人はお互いに向き合うことを避けて逃げていたことに気づく。『千里走単騎』を中国人作家ので、脚本家の鄒静之(すうせいし)がストーリーを担当したわけだが、日本でよくありそうな親子関係、そして、雲南でのストーリーの展開がよく描かれていると思った。雲南での経験などから寡黙な父親が息子との関係を見つめなおしていく。向き合って話し合えなく蟠りを作った関係の心の修復がここに現れていて、言葉に表せない、人との繋がりが下手な人の心の動きをよく伝えていると思った。
脚本家は、日本で見かける(偏見かもしれない)人間関係の文化(気持ち、言語での伝え方が、下手)に対するの洞察力が強く、中国の脚本家というイメージを与えなかった。内向的な人間はどこにもいるからユニバーサルな心理かもとも思った。ただ、『千里走単騎』という、小説も知らないし、『三国志演義』の第27話にある関羽(Guan Yu)が劉備(玄徳)にもとへ帰った話も記憶が定かでないので、脚本家の意図が完全に理解できたわけではない。こういう深い背景なしでこの映画のレビューを書いた。
最後のシーンだが、息子が父親と向き合いたいと決心した時は父親は中国にいて、そのチャンスを逃してしまったと言おうか、これがまたストーリーの良さで、教訓を我々に与えているのかもしれない。個人的には親として、息子の最期の時に『向き合いたい』と言われ、そばにいけなかったことは後悔になるかもしれない。この親子は『蛙の子は蛙』だから理解が違うかもしれないが、私なら10年以上も断絶していた息子に一眼でも会いたい。海辺に佇んでいる父親の後ろ姿の最期のシーンには二人の蟠りは取れても、父親の後ろ姿には何も達成感は感じられなかった。父親はただ、息子の生き方、息子の気持ちが理解できた。複雑な心境だ。
雲南で人々と接した父親の感想にもあるが、自分の気持ちを率直に表せないというこの父親タイプの人間と、必要なことは言語化するという人々の態度の違いは対照的である。そして、両文化で上司に決断を委ね、自分の行動は組織の一員と考える思想は似ている。