それでもボクはやってないのレビュー・感想・評価
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やっぱり、26歳のフリーターって言ってしまうのが怪しいよ。
『だったら、男はみんな犯人だ』
『そうよ。全ての男には動機があるの。そして、近くにいたのだから、アリバイがない』
それが、現実である。
人権とかでは無い。
男社会の穴だネッ。空気の読めない男の盲点さ。
つまり、女性が痴漢から身を守る必要があるように、男性は、痴漢に間違われないように日頃から身を守る必要がある。
・『危うきに近寄らず』混んだ電車に乗るな。
・いざと言う時の履歴書を忘れるな
・股間を女性の臀部にあてる事に注意が行かない奴は相当に空気は読めていない。
・へんてこなDVDは、学校関係の仕事なら、持っているのが分かっただけで処罰される。
・チャラン・ポ・ランタンな友人は縁を切る。
・絶対にザックは手で持たない。携帯に気を取られるな
・男女に限らず、必ず吊り革を持つ。感染症を気にしたりして、吊り革を持たない奴が多い。
やっぱり、26歳のフリーターって言ってしまうのが怪しいよ。就活中って言わなけりゃ。仕事していないんだから、フリーターじゃないでしょう。自分から卑下している。つまり、裁判官から見ても、社会人としてのアイデンティティが無いし、モラトリアムと感じるはずだ。
まぁ、こんな目に合わないように注意して、もし、あったとしたら、この映画を参考にして無罪を主張しよう!
但し『それでも、ぼくはやっている』にならないように。
66年生きていて、駅員に背中を押される様な目に一度もあった事は無い。
配信映像を再度見ると、回れ右して、体の前面をドア側にして電車に乗れる余裕はあるし、『降りる時は乗った側が開くと思っていた』とあやふやな証言している訳だから、回れ右しかないと思う。
で、真犯人と被害者はどうなったの?
追記
髭面とハイヒールと背広とネクタイとスカートと携帯電話と手持ちバックはやめたほうが良いと思う。また、混雑時は優先席以外は座る座席を無しにして、吊り革をもっと増やす。出入口付近も含めて。あと、ザックは電車に乗る時は前に背負い直す(最近は増えたけどね。)。それで携帯見ていたら意味が無い。それでいて、出入口の両端には携帯を見ながら、狛犬の如くポールに寄りかかって立っている奴がいる。邪魔。つまり、乗る時のマナーが無いと思うよ。うるさい爺さんで申し訳ない。でも、僕は優先席に座らせて貰う様にしているので、席譲ってね♥
まぁ、この映画は真っ白いワンちゃんだ。まさか、演出家の実話?
日本裁判の恐ろしさ
痴漢をやっていないのに、やったとされて裁判になる。
やってなくても認めたら内内に処理してもらえ、前科はつくが自分以外には知られない。
でも認めなかったら容疑を誰もが知ることになる。
しかも99%くらいの確率で裁判には負ける・・・・
恐ろしいです。電車に乗るのがハッキリ言って怖くなった。
自分に恨みを持つ誰かが、女性をやとって自分を痴漢扱いしたら・・・恐ろしい・・
そういう局面に出会ったら、走って逃げるのが最良の策だそうです。
弁護士が言っていました。それがわかるような映画。
モヤモヤが止まらない、もはやホラー
疑わしきは罰せず、では無いのか。
状況証拠だけで有罪なのか。
痴漢はやって無くても腕を掴まれた時点で私人による現行犯逮捕なのか。
やってない事を証明する悪魔の証明をするしか無いのか。
公平な目線で判断しているように思えないあんな裁判官がいるのが現実なのか。
モヤモヤが止まらないよ。
有罪か無罪か、真実は本人のみぞ知る。
まさにその通りだ。
ともかくモヤモヤが止まらない。
怖すぎる。もはやホラーだ。
日頃の人としての在り方を考えさせられる映画
知人から面白いと聞いたのがきっかけで鑑賞しました。
事実、映画として面白く自分にも起こりうる身近な話であり
物語への入り込みは抵抗なく観る事が出来ました。
署での取り調べ、留置所での時間や他の勾留者からの言葉による不安、否認をあたかも悪い事の様に思わせる人々の言葉
しかし、掌を返した様に留置所を出る時の「よく頑張ったな、これからも負けずに最後まで諦めないで」あの言葉も
警察官?の立場と自身の本意との葛藤がある様に思いました(世間知らずで、そんな綺麗な場面ではないけもしれませんが)
「人は立場で物を言う時がある」という職場の上司の言葉を思い出しました笑
担当した弁護士、裁判官達の法廷外での会話や
傍聴席の友人、冤罪経験のある方々の協力など何より最初に主人公が電話した友人の助けがあって一審まで戦えたのだと思います。
主人公の日頃の真面目さや人格があってこそのあのストーリーなので自分も日頃の行動や関わりを見直すいいきっかけとなりました。
日本の司法制度のあり方や抜けについては詳しく知らないので分かりませんが、関わり執り行うのが人である以上
しがらみや忖度といった物が本当にあってはならない事だということが理解出来ました。
なるほど
いわゆる映画としての面白さみたいなものは、ほぼなかったと言っていいと思います。
どちらかと言うとドキュメンタリーだったかな。
ただ、この日本の法律の現状をわかってほしい!
なんならみんなこれ見て!!変えましょうよ!!と言わんばかりの強いメッセージ性を感じた。
リアリティあふれる演出が多かった。
誰にも知られず勾留され、心配になってから気づく母、やっと電話で知らされる友人、味方になってくれる最初に冤罪だと言う事実を知って進んでいくので
どんどん感情移入していってしまい、長かったが終始、没頭。
裁判官は中立で、弁護士vs検事であってほしいと思っていたのですが、どうやらそういう裁判官は仕組み的にいる可能性が低い。。それってどうなんだろ。
疑問に思った。
準備があって、1回法廷、準備があって1回法廷、のシンプルな連続も、再現動画撮影があったり、オタクが絡んできたり、弁護士の心情を描くなど様々な要素で飽きを感じることはなく、
こんなに勉強になるのに、心を動かされる映画としてがっつり見ることができた。
凄い映画を見たなと余韻に浸った。
日本の闇に挑んだ表現者・周防正行と加瀬亮を絶賛したい映画
日本における裁判制度が抱える問題点を鋭く批判し、法の番人たる裁判官の真実追求から逸脱し形骸化した仕事振りを告発した、メッセージ性の強い社会派映画。まず脚本が見事。演出と主演の加瀬亮が次に見事。この脚本、演出、演技は、兎に角素晴らしい。主人公が痴漢に間違えられるシーンを省略して、本筋とは無関係の痴漢事件のエピソードを挿んで、痴漢冤罪の関心を高める導入部が巧い。また、後進の司法書士に正義の理想を説く部下を左遷させて、自らが公判の裁判長に成り代わる狡猾な裁判官の暴露も興味深い。題材に対する取材力とその見せ方が練られていて感心してしまう。
法廷の過程と主人公の私生活の背景説明のバランスの良さ、オタク傍聴人の程よい絡み具合など、単調な流れに陥りやすい物語に引き寄せ飽きさせない技巧の高い脚本構成力。理知的な映画の視点が全編に行き届いた、映画監督周防正行と映画俳優加瀬亮の真価を知らしめる日本映画の秀作。日本の闇に挑んだ表現者の正義に拍手を送りたい。
イライラが止まらないリアル
終始イライラ。主人公がかわいそうだけど現実はこんなもんだろうな、と思いながら鑑賞しました。最初の裁判官だったら違う展開だったかもとか色々考えてしまいます。警察にもイライラ、新しい裁判官にもイライラ。入れ知恵された女子中学生にもイライラ、、、
悲壮感、徒労感、絶望感。加瀬亮はいい味出してました。
知性のある人がふりかざす刃
この映画で主人公が電車に乗り込むシーンを
私たちは見ているからこそ、
この人は無罪なのにと彼を心の底から応援できる。
主人公はちょっとパッとしなくて、面接に行かなければいけないけど、
履歴書忘れたことに途中下車した駅で気づく
上京したばかりのスーツが浮いてるちょっとインキャ気味の若者だ。
数多く映画を見た中で初めてこれには5をつけた。腑に落ちないハッピーエンドではない。重苦しい。世知辛い。この世は理不尽で生きづらい。女、子供がまず優先される。
そうだ、
この世は理不尽で、偏見ばかりだ。
現に、私たちが物事を述べる際には中立な立場では述べられないのだ。ゼロやミヤネ屋のアナウンサーを見ればよく分かる。50:50ではなく必ず49.999:50.001くらいでどちらかに偏る。
その偏りだけならいいが、人間社会ではそうではない。裁判官は国家資格。人を裁くだけでなく当然縦社会が有る。この映画でも無罪を出した裁判官が裁判途中で飛ばされた。
あれは辛い。
さらに被害者の中学生の女の子はプライバシー保護のために盾を裁判の際に用意してもらえていた。私は女子大生で電車の中でそーゆー目にあった?ことは一度だけある。井の頭線に初めて乗って、なぜか電車が揺れた時?におじさんがパッと私の胸にバランス崩して手を当ててしまって?気まずそうな顔をされた。家に帰って母に言ったら井の頭線はそーゆーので有名と言われた。
その時私が痴漢ですとその人の手を取っていたら多分有罪になっていたんだろうと思う。何しろ混んでいた車内だった。
でも実際に局所を誰かに触れられたら声が出ない。
男勝りな私でも声が出なかった。
裁判官が中学生が勇気を出して捕まえたと偏見を持ってしまうのも仕方がない。
人の偏見を全く取り払うということはできない。だからと言って諦めてしまう、冤罪でもいいやというのはおかしい。そう言わせる世の中はおかしい。
理不尽だから自分の身は自分で守る。
この映画は私に冤罪で戦っている人に興味を持たせてくれた。興味を持つと言い方は変だが、関心を持った。
殺人をしたとしてヨボヨボになってから出てきたプロボクサーのお爺さんをメディアは大きく取り上げていたことを思い出した。
人生の時間を牢獄の中で、取り調べの中で、任意同行の中で、1分でも無駄にしたのならそこに賠償金が発生してもいいものではないかと思ってしまう。
最後に裁判官が、中学生の多感な時期に与えた心理的影響は大きく。と述べていたが、その被害者の偏見の混じった無責任な発言によって1人の人の人生がめちゃくちゃになるというのが改めてわかった。
中学生も、無責任か多分この人だろうと思って親に言ったらこんなことになってまさか裁判まで行くなんて!!もう証言は戻せない!どうせ満員で見てた人もいないだろうし99.9パー勝つんだから大丈夫って
自分に言い聞かせて戦っていたのかもしれない。
とにかく人を裁くことは難しい。
しかし司法にとって最も大切なこと。忘れたくないこと。それは推定無罪の原則。原則どころではなく無罪だろうなという偏見から裁判官は物事を見ていって欲しいくらいだ...
疑わしきは罰せず。
面白いが、しんどくなる
私は女ですが、もし主人公のような立場になったとしたらやっていなくても示談で済ませてしまうな、と思いました。あんなの闘えないです。
やってもいないのにあんなに酷い取り調べを受けて、お金を払った方がマシではないでしょうかね…
本当に見ていて苦しかったです。
警察や裁判官にはもちろんイライラしましたが、被害者の女子高生にも私はとてもイライラしました。
覚えていない、わからない、そんな曖昧な記憶が通用し結局有罪だなんて…
痴漢冤罪の怖さたるや。
無罪を勝ち取るために仲間達と証拠を見付けて証明しようと暗中模索します。が、証拠不十分。
真犯人がいるのですが発見する事ができない。
罪を認めて示談で済ますこともできますが、冤罪なのでしたくないと もがく主人公。
痴漢をされた方々の心のダメージを考えると裁判が有罪になりやすいのも納得できますが、冤罪で捕まってしまった人もどうしようもない虚無を抱えたまま生きていくことがこの映画でわかります。
現実世界に潜む闇の一つを覗き見るような映画。
とても悲しいです。
つまらなさが面白さ
日本の裁判がいかに長々と時間を費やして行われ、にもかかわらず大した成果も得られないことを、何度も同じような手続きのシーンを観させる事で観客に伝えようとしています。
「観ていてイライラするでしょ?裁判ってこうなんですよ!」的な。
しかし2時間以上僕等にそんな教育させるために観させられるのは、ちょっとしんどかったです。
それでもボクは…
監督自らが新聞の記事に眼を止めた事から、痴漢冤罪被害にあった事件の裁判を傍聴し徹底的にリサーチした結果、日本の裁判の矛盾に行き当たった。
その思いは、冤罪被害者本人に事の顛末の出版を監督本人が促した出版物から、多くの矛盾点を作品中に色々とピックアップした脚本の巧さで、誰にも思い当たる怖さに結び付いています。(例えば取り調べ官の態度や収監中での出来事、男なら家にエロ本が有るだけで犯人扱いされてしまう恐怖等々)
更に、起訴されてしまうと日本の司法制度では99%“有罪”が確定してしまう“裁判官”の在り方の矛盾点にまで到達し、“それは何故か?”を観客に知って貰う為にあえて声高には叫ばず、裁判オタクを通して知らせる凄さ。
作品を観た観客には主人公の加瀬亮が無実であるのは解っているので、作品自体は痴漢冤罪を否定した作り方でありながらも、最後に“真の事実”を知っているのは《被告本人である》と言う括り方を示しているのが本当に凄い!
だからこそ、「それでも、ボクはやってない!」のセリフが胸に迫る。
日本の司法制度の問題点を暴き出している
本編が始まる前に映し出される
「十人の真犯人を逃すとも一人の無辜(むこ)を罰するなかれ」
また、本編で何度も引用される
「疑わしきは被告人の利益に」
しかし、捜査・検察側の思惑は
「一人の無辜を罰しても十人の真犯人を逃すなかれ」
「疑わしきは我々の利益に」
これは、やはり
「99.9%の有罪率が裁判の結果ではなく前提となっている」ことの表れでしょうか。
被告人である主人公は、冤罪であるにも関わらず電車で痴漢したとして被害者本人である女子学生に現行犯逮捕される。
その後も主人公は一貫して無罪を主張し続けるが、
刑事・検察からの犯人と決め付けたマニュアル的・拷問的な取り調べを受け続ける。
主人公の担当弁護士、家族、友人などの協力に加え、
最終的に決定的な目撃者が名乗り出てくれるにも関わらず
途中無罪判決を出す公正な裁判官から頭の固そうな裁判官に引き継がれたこともあり
結果はハッピーエンドではなく有罪判決。
法曹三者の視点(検察、裁判官、弁護士)から思ったことを三点ほど。
一点目
捜査はどうあるべきか。
「言いたくないことは黙秘してよい」と
口では形式的・マニュアル的に言いながら
実質は拷問的に吐かせようとしているのはいかがなものか。
最近、司法制度改革の一環で
取り調べの可視化(録音録画)というのが義務づけられるようになるらしいが、
注意していただきたいことは対象となる事件は
殺人、放火などの重大事件(全刑事事件の2%にあたる)に限定されて痴漢は含まれていないということ。
殺人、放火だけに限らず痴漢事件などでも
映画で描写されているような取り調べがあることは
想像に難くないと思うのだが。
そしてもう一点、この取り調べの可視化というのは
限定的にとはいえ捜査・検察側も承認しているものなのだが、
それは無条件的なものではない。
つまり、捜査・検察側はこの承認と交換に
大きな武器を手にしている。
それは大きく二つ、司法取引と通信傍受の拡大です。
簡単に言えば、
司法取引とは、容疑者が他人の犯罪事実を明らかにすれば、見返りとしてその罪が軽くなるという制度。
通信傍受とは、捜査で盗聴を行うこと。
司法取引や通信傍受に関する提案はほぼ捜査側の要求通りとなっているため、追い込まれていたはずの捜査側が、終わってみれば大きな成果を得た形となっています。
二点目。
裁判官とはどうあるべきかということ。
一人目の裁判官は無罪判決をだすのを恐れることなく
「裁判で一番やってはいけないのは無罪の人を罰すること」
だと言っていましたが、結果的に左遷されてしまいました。
質より量?それで良いのでしょうか。
三点目。
弁護士とはどうあるべきかということ。
主人公の弁護士は、誤解を恐れずに
「民事だけを扱う弁護士は、弁護士ではなく代理人である」
と述べていました。
弁護士法1条の通り、
弁護士は社会正義を体現する仕事です。
社会正義の形は様々にあると思いますが、
近年あるエリート=渉外弁護士という風潮には
疑問を感ぜずにはいられません。
もちろん、エンディングはハッピーとはいきませんでしたが、
それもドキュメンタリーならでは。
司法制度の多岐に渡って問題点を炙り出した
良い作品だったと思います。
周りの制作関係者が困った映画
ドキュメントでやればいい作品。
ただ見やすくしている意味では映画でもあり。
おそらく周防監督はしこふんじゃった・シャルウィダンスの
ワンパターンな手法・イメージを脱却したかったようだ。
ただ周りの関係者はこんな作品を望んでいない。
奥様も望んでいなかったはずだ。
会った事はないが。
前作を知っている客は期待していない。
自己満足の作品といわれるわけです。
言われているかどうか知らないが。
多分作り手はラストのどんでん返しが書きたくて
周りに迷惑をかけた感がある。
この作品で利益が出たとしてシャルウィダンスの
おかげと理解してほしい。
次作ははみんぞ。無料のテレビであっても。
シャルウィダンス2なら借りてでもみるが
今まで見てきた法廷モノの価値観が覆る、これが法廷のリアル
劇場公開されたのが2007年1月。
見た時点で年間ベストワンだと確信した。
(7月に公開された「河童のクゥと夏休み」も良かったが)
とにかく、今まで見てきた法廷モノの映画やドラマは何だったんだ!?と思った。脳天をガツンとやられ、衝撃を受けた。
法廷モノのよくあるパターンは、正義感溢れる弁護士もしくは検事が悪事や不正を暴き、正義を掴み取る…というモノ。サスペンスたっぷりで、法廷モノにハズレ無し!とさえ思っていた。
しかし、本作で描かれていた事は全然違った。
法廷には善も悪も無く、ただ裁かれる者と裁く者だけの無情な世界。
全ての物事は淡々と進み、被告には人権もプライバシーも無く、弁護士も検事も大声を上げて正義を訴えたりせず、裁判長も小槌を叩いたりせず、被害者(この場合は痴漢を受けた女子高生)は囲いで覆われた証言台でボソボソと話す。
こんな法廷劇は見た事なく、新鮮と言うより、これが法廷のリアルなのだろう。
お陰でイイか悪いか、他の法廷モノをまともに見れなくなってしまった。どうしても本作と比べてしまう。
キムタクの「HERO」なんて漫画。「ダークナイト」で証人席のマフィアが突然拳銃を取り出し、それをハービー・デントが殴って奪い取るシーンさえ失笑しそうになった。
徹底的に取材・調査したであろう脚本の力。
展開は淡々と進むが、緊張感はたっぷり、思いのほかテンポも良く、エンターテイメント性も抜群。
役者からも名演を引き出し、全てを見事にまとめ上げた周防正行監督の手腕に感服。
ラスト、結局主人公は有罪となるが、そこにこの映画を作った意義を感じた。
正真正銘の傑作。
朝に来て、午後には出て行く、サラリーマン
映画「それでもボクはやってない」(周防正行監督)から。
現在の刑事裁判の問題点に真正面から向き合い手がけた
異色の社会派映画、として話題を呼んだ作品である。
以前、紹介した国民健康保険がないアメリカの実態を、
ドキュメンタリーで表現している映画「シッコ」
(マイケル・ムーア監督)と同じような感覚で、観終わった。
気になる一言は、警察署のワンシーンを川柳にしたフレーズ。
朝の通勤ラッシュで痴漢行為をし、その容疑をあっさり認め、
午後には、取り調べを受けていた警察から、職場に復帰する。
そんな皮肉を込めた、川柳となっている気がした。
身に覚えのない痴漢容疑で逮捕されても、
「やってないことの証明は、非常に難しい」ことを知ったし、
「本当に無実でも、無罪になる保証はない」ことも理解した。
ますます、裁判制度に不信感を持つようになったのも事実。
最後に画面に映し出されるテロップが物語っている。
「裁判所は、真実を明らかにする場ではない。
裁判は、被告人が有罪であるか、無罪であるかを、集められた証拠で、
とりあえず判断する場所にすぎないのだ。
そして、僕はとりあえず、有罪になった。それが裁判所の判断だ。」
PS.不謹慎かもしれないけれど、同じ痴漢行為でも
「パンツの上から触れば、迷惑防止条例違反、
パンツの中へ手が入れば、強制わいせつ罪」という知識は、
飲んだ時のネタに使えるなぁ、と思ってメモをした。(汗)
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