「万能なシステムはないので」それでもボクはやってない ひらつかさんの映画レビュー(感想・評価)
万能なシステムはないので
たまたま仕事でこの半年間に30名くらいの現役弁護士のみなさん・裁判官・検事の卵の方々にインタービューをする機会があり、そのインタビュー目的とは別のところですっと腹落ちしたことが2つあって。
1.これまで「弁護士」の知り合いが一人もいなかったので・・・「弁護士」が総体的な「職業」としてしか理解できていなかったのが、具体的な「人」と紐づけて実感として理解できるようになったこと。
2.「裁判」という制度(現場)が「人」によって動いていることは知識としてはわかっていたけれど、そこに関わる「人」が自分の頭の中では無機質なシステムの一部だったのが、はっきりと血の通った「人」によって動いているんだという実感が備わったこと。
この映画は「痴漢えん罪」という理解しやすい事例を使いながら、それ以外のあらゆる刑事裁判における問題点を伝えている。監督である周防さんも、この映画に関するあらゆる評論も、それについてはほとんどが触れているところ。
映画の中で語られる、裁判は「それが真実かどうかを見極めて正しい判断する場でなく、今ある限定的な情報の中で、とりあえず白か黒かを決める場所だ」という現実。
正しいかどうかはわからないけれど、その問題点は、「裁判」という領域だけでなく、「政治」でも、「医療」でも、もっと近い僕らの「会社」や「学校」でも、すべてのシステムが内包しているんじゃないかという感じさえする。
「システム」というのは自分から縁遠い存在であればあるほど、目にすることがない領域であればあるほど、「システム=あるインプットに対してできるだけ正しい1つの答えを出している」という期待を抱きがちだけれど、実際にはその「システム」のほとんどが不安定で、常に真実だけを目指して動いているとは言えない、さまざまな思惑の結果としての「人間の感情」で成り立っているんだということを、しっかりと認識したほうがよさそう。
今日電車で乗り合わせた2人分の席を占領して大いびきをかいて居眠りしている人が、いつか自分を裁く弁護士かも知れないし、自分を治療する医者かも知れないし、自分の子どもを教える学校の先生かも知れないということ。
たとえば「テレビ」についてもそう。「お菓子会社」についてもそう。
この映画を見て、多くの人が憤りを感じると思う。ただそれは「痴漢えん罪」を始めとした刑事裁判制度に対する憤りにだけではなくて、ひとつひとつのシステムに対して向けなければいけない感情なんだ、と思ったりもする。
それに対して、さあ、明日から何をすればいいんだろう、なんて考えることがしっかりとできれば、世の中もっと良くなっていくのかもしれないなあ、と。
ま、そんな重い話はさて置き、娯楽としてとても楽しめる映画でした。そぎ落とす作り方をしていて、テンポが素晴らしい。2時間30分という長尺ながら、尿意を忘れるおもしろさという触れ込みだけれど、この日はすごい寒くって、紅茶をがぶ飲みしながらみてたので、さすがに最後はきつかったっす。うう。