愛しのローズマリー : 映画評論・批評
2002年5月15日更新
2002年6月1日より日比谷映画ほか全国東宝洋画系にてロードショー
アメリカの自由、最大の武器はこれだ!
昔、フランク・キャプラという巨匠がいた。シチリア移民の彼はアメリカ民主主義の矛盾と頽廃を憂いた苦く激烈な作品を撮り続けたが、外ヅラはあくまでハートウォーミングで理想主義的。「アメリカの正義」を体現する監督として愛されたのだった。
……ってなことをなぜ冒頭で語ったかというと、本作「愛しのローズマリー」が下ネタと差別ギャグが売りのファレリー兄弟らしからぬ“泣ける”作品だから。案の定「変節」といったネガティブな声も聞こえるが、僕にしてみりゃ彼らこそ、今にはびこるキャプラもどき(「マジェスティック」とかね)よりよっぽど“末裔”の名にふさわしい。兄弟にしてみりゃ、ようやく本音を吐く用意が整った、ってことだろうか。
ファレリー映画に頻出する性別・性癖・身体的特徴・人種的なマイノリティは、キャプラ映画において正義への覚醒を促す愚直な田舎者に相当する。つまりファレリーはイデオロギーを越え、よりパーソナルな地点でアメリカの……いや人間の精神的自由を拡張し続けているのである。ま、その最大の武器が「バカ」だってところが最高なんですけどね。
(ミルクマン斉藤)