初恋のきた道のレビュー・感想・評価
全5件を表示
良い人しか出てこない、厳しさの中の優しさに染みる映画。
”初恋”の映画と聞いていたので、日本でのJKもののような、韓国映画にあるような恋のさや当ての映画かと思っていたら、全然違った。
ひたすら、素朴な一途な愛が主旋律。
ベースに、教育格差、文革とか、村の現状(若者・壮年がいない≒現金収入が得られずに出稼ぎとして流出、今はまだ子どもがいるけれど、やがて過疎化…)等の社会情勢。
そして父への想い、母への想い、子への想い、人生のルーツがテーマ。
前半、厳しい状況が描かれる。
吹雪。医療機関のある町からは車で行き来しなければならない無医村地帯。学校も建て直す予算がなく、教員も一人きり。と言うことは、子どもはいても数十人か。若者・壮年のいない村。喪主の望み通りの葬式ができない苦渋が描かれる。
中盤、過去パート。父と母の恋物語となる。
ひたすら甘いパート。白樺の黄金に輝く紅葉をバックに、ディのキラキラ輝く表情、全身で嬉しさを表す動きが映える。教師が来てくれたことを村全体で喜ぶ姿。ルオ先生の、『二十四の瞳』を彷彿とさせる師弟関係描写も胸に響く。背景にのんびり羊の群れが動き、牧草と森と言う舞台も活きている。画面に余白が多く、大きく深呼吸したくなり伸びやかで思いが空へ飛ぶようだ。
現代日本に置き換えるのなら、中学生の初恋。ディのようなキラキラした目で、憧れの人を目で追う少女たち。出会えそうな場面を探って待ち伏せ。眼鏡男子にきゅんとするように、知性を感じさせる男子に憧れる女子も多い。
ストーカーとは違う。相手(ルオ先生)が嫌がっているのを知りつつ、自分の想いを押し付けるのはストーカーだが、ディとルオ先生の場合は。ルオ先生は「待ってて、帰ってくる」と言ったのに…。
そして、終盤。
現代に戻り、葬式はどうなるのか。母と父の願いはどうなるのか。学校の建設もどうなるのか。
過去パートを、華やぎつつも落ち着いたという不思議な配色のカラーで映し、
現代のパートを白黒でという、皆が絶賛の演出が活きる。
☆ ☆ ☆
☆ ☆ ☆
≪以下、若干ネタバレあり≫
この映画には、良い人しか出てこない。
ディの恋を邪魔するのは、当局だが、それも言葉で表現されるだけ。ルオ先生が帰ってこられないのは、家庭の事情としても成り立つくらい。
「身分が違う、諦めな」というディのお母様は、ナイスな質問をルオ先生にしたり、ディの恋心をそれとなく伝えたりする。そして極めつけが、「これくらい手元に残してあげたい」と、買った方が安く済むどんぶりの修理を頼む。
それを受けて、「それじゃあ、大切に直さなきゃ」という瀬戸物職人。
「母(ディ)の想いが村長に知られてしまった」から「村全体に知られてしまった」と言うが、噂話、邪魔するシーンは出てこない。
ディの命の危機には、村人が心配して、ルオ先生につなぐ。
ルオ先生が戻ってきたとき、ディが学校に赴くと、授業中にも関わらず、村人がルオ先生に声をかける。
皆ディのことを大切に思っている。そして、ルオ先生のことも大切にしている。
そんな思いを受けて、母の願いを叶えようとする息子。父と母への想い。
そのやりとりを見ているだけでも、この親子関係が想像できる。
お金で解決かと思いきや。
ボランティア。師への想いがあればこそ。新聞に訃報が載ったのか。口伝で広まったのか。
近年の日本では、教師に対しての敬意等が地の底に落ちた感があるからこそ、このシーンが胸にしみて、涙がにじみ出てきた。
教育への想い。過去パートでのルオ先生への態度。学校建設時の皆の働き。日本での教育はすでに飽和状態で、それにうんざりした子どもたちが不登校状態になっており、保護者からのカスハラに苦慮しているが、発展途上国などの地域では、”学校”への想いが溢れている。何をどう学ぶか。ルオ先生が作ったという教科書の文言が沁みる。基本、人間て、学びたいものなのだ。だが、自ら学びに行くか、ロボットのように強制されて学ぶかは大きな違いであろう。
40年間、教育に捧げた人生。それが、こんな形で実を結ぶのなら。なんと教師冥利に尽きることだろう。
ラスト。母と息子の会話。息子の配偶者への心配。こんな父と母の物語を見せられた後では、母の想いが素直に響く。
そして、もう一つの、父の、母の願い。父の軌跡を追体験する息子。この両親にして、この子あり。原題が生きてくる。
一見、素朴な淡々とした映画でありながら、人生と家族を考えてしまった。
『女はつらいよ』なんだけど、可愛いから初恋も成就するって事♥
スターリンの引き起こしたウクライナに於ける人為的大飢饉の事は、今や誰でも知っていて『ホロドモール』と言う。コルホーズによる経済の五カ年計画の歪による飢饉だ。
さて、中国に於けるこの映画(カラー部分)のこの時代は、文化大革命の6年くらい前の話。そして、同じ様に大飢饉が中国の各地で猛威を振るっている。まだ、歴史的な検証はされていないが、ソ連と同様の原因である可能性は高い。
少なくとも、この映画の様にのんびりした時代ではない。また、
この女性主人公はどう見ても、田舎の中国人には見えない。リップクリームとファウンデーション丸出しの化粧には閉口するのみ。要はアイドルを使ったプロバガンダ映画だと思うが、名作には到底思えない。日本の昔の映画にこう言った映画が多かった。これでもペルリン映画祭とはね?
女性がこの映画見て、とう思うか聞きたいものだ。男目線な映画だと思うが。
なお、文化大革命と中国の大飢饉含めて、5000万人位亡くなっている。何が原因か分からないが、当時6億人位いた中国人の12人に一人が亡くなっている。
タイタニックの映画ポスターが光っていた。つまり、中国も脱亜入欧♥なんだ!
このおばあちゃん1940年生まれだから、まだ59歳だし、亡くなった旦那は61歳だから『PLAN75』まで、まだ15年以上ある。勿論、中国も一人っ子政策で、今持って、日本と同じ様に少子高齢化な社会だ。中国の産児制限が現実だった事を考えると、中国なら本当にそんな事考える?!イヤイヤ、中国人は反論するだろう『そんな事考えるのは日本人だけだよ』って。どちらの国であっても、実現されないだろうが、そんな事考える事自体が、脱亜入欧には程遠いって事だ。
「好き」と言わずとも
DVDで鑑賞(吹替)。
父の死の報せを受け、故郷の母の元へ帰った息子が、村の語り草になっている父と母の恋愛を紐解いていく…
チャン・ツィイーのかわいさが爆発していました。教師への初恋に揺れる純粋な乙女心を体現し、「好き」と云うセリフを一度も言っていないのに、ちょっとした仕草や行動から想いが明確に伝わってしまう素晴らしい演技だなと思いました。
初恋も、喜びも悲しみも、全て連れて来た一本道を、村の伝統に従って愛した夫の亡骸と共に歩いた母と息子…
過去のシーンがあったことで伝統の葬儀に拘った母の想いが明らかになり、息子の心境の変化へ繋がる構成が見事…
誰しもが共感出来るであろう初恋に思いを馳せ、家族の絆についても考えさせられる、心温まる素敵な作品でした。
珍しく良い邦題(原題は『我的父亲母亲』~私の父と母~)
①何をさておきチャン・ツィイーが可愛い。それにつきるほど可愛い。若い頃の薬師丸ひろ子の笑顔に通じるところもあるが、モンベを穿いていても綿入れを着ていてもあの可愛いさはやはり尋常ではない。②ラブ・ストーリーというよりも乙女の一途な想いをこれでもかと描いた映画だと思う。ただ好きな人を見ていたい、そばにいたい、声を聴いていたい、ご飯を作って食べてもらいたい、それだけをただひたすら描いている。そういう意味では逆に珍しい映画ではないだろうか。③乙女の一途な想い・行動の描写が前景とすると、背景となるのは、生涯一寒村の一教師であった男と、その男を生涯支えた女との、世界の片隅の名もない夫婦の物語。そしてその父と母との若き日を思い出しながら、二人の願いを最後に叶えてあげる息子の姿。良い話ではないか。
純映画
甘いセリフも抱擁もなく姿・表情だけで想いが描かれる恋愛映画は初めて観ました。
回想という手法も見事です、思い出は心の中で美しく浄化されるものですから。回想というと普通は過去の場面をセピアやモノトーンにするのですが本作は思い出がカラー、それはそうでしょうメインなのですから、四季の映像の美しさ、赤色の活かし方も素晴らしかったです、現在の場面は冬で悲壮感と相まって白黒画面が生きていました。
チャン・ツィイーのデビュー作、どうりで初々しくも麗しい、まさに鄙(ひな)にも稀な美人さんです。恋路を阻む偏屈な村人が出てこないかとはらはらしましたが登場人物も善人ばかり、貧しい中での健気さが一層胸を打ちます。
陳腐な邦題が多い中、「初恋のきた道」とは秀逸、凄いセンスですね、どんぴしゃりです。
小説における純文学という表現を借りるなら、まさに純映画、万人の魂を揺さぶる一級の芸術作品でした。
チャン・イーモウ監督は本作はイランのアッバス・キアロスタミ監督へのオマージュと言っていますがアッバス監督は小津安二郎監督のフリークとしても有名ですから、私たちと感性が近いのでしょうか人種を超えて心が響きあうという好例なのかもしれません。
老婆心ながら頭でっかちになる前に若い人たちに観ておいてもらいたい映画のひとつです。
全5件を表示