「良い人しか出てこない、厳しさの中の優しさに染みる映画。」初恋のきた道 とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)
良い人しか出てこない、厳しさの中の優しさに染みる映画。
”初恋”の映画と聞いていたので、日本でのJKもののような、韓国映画にあるような恋のさや当ての映画かと思っていたら、全然違った。
ひたすら、素朴な一途な愛が主旋律。
ベースに、教育格差、文革とか、村の現状(若者・壮年がいない≒現金収入が得られずに出稼ぎとして流出、今はまだ子どもがいるけれど、やがて過疎化…)等の社会情勢。
そして父への想い、母への想い、子への想い、人生のルーツがテーマ。
前半、厳しい状況が描かれる。
吹雪。医療機関のある町からは車で行き来しなければならない無医村地帯。学校も建て直す予算がなく、教員も一人きり。と言うことは、子どもはいても数十人か。若者・壮年のいない村。喪主の望み通りの葬式ができない苦渋が描かれる。
中盤、過去パート。父と母の恋物語となる。
ひたすら甘いパート。白樺の黄金に輝く紅葉をバックに、ディのキラキラ輝く表情、全身で嬉しさを表す動きが映える。教師が来てくれたことを村全体で喜ぶ姿。ルオ先生の、『二十四の瞳』を彷彿とさせる師弟関係描写も胸に響く。背景にのんびり羊の群れが動き、牧草と森と言う舞台も活きている。画面に余白が多く、大きく深呼吸したくなり伸びやかで思いが空へ飛ぶようだ。
現代日本に置き換えるのなら、中学生の初恋。ディのようなキラキラした目で、憧れの人を目で追う少女たち。出会えそうな場面を探って待ち伏せ。眼鏡男子にきゅんとするように、知性を感じさせる男子に憧れる女子も多い。
ストーカーとは違う。相手(ルオ先生)が嫌がっているのを知りつつ、自分の想いを押し付けるのはストーカーだが、ディとルオ先生の場合は。ルオ先生は「待ってて、帰ってくる」と言ったのに…。
そして、終盤。
現代に戻り、葬式はどうなるのか。母と父の願いはどうなるのか。学校の建設もどうなるのか。
過去パートを、華やぎつつも落ち着いたという不思議な配色のカラーで映し、
現代のパートを白黒でという、皆が絶賛の演出が活きる。
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≪以下、若干ネタバレあり≫
この映画には、良い人しか出てこない。
ディの恋を邪魔するのは、当局だが、それも言葉で表現されるだけ。ルオ先生が帰ってこられないのは、家庭の事情としても成り立つくらい。
「身分が違う、諦めな」というディのお母様は、ナイスな質問をルオ先生にしたり、ディの恋心をそれとなく伝えたりする。そして極めつけが、「これくらい手元に残してあげたい」と、買った方が安く済むどんぶりの修理を頼む。
それを受けて、「それじゃあ、大切に直さなきゃ」という瀬戸物職人。
「母(ディ)の想いが村長に知られてしまった」から「村全体に知られてしまった」と言うが、噂話、邪魔するシーンは出てこない。
ディの命の危機には、村人が心配して、ルオ先生につなぐ。
ルオ先生が戻ってきたとき、ディが学校に赴くと、授業中にも関わらず、村人がルオ先生に声をかける。
皆ディのことを大切に思っている。そして、ルオ先生のことも大切にしている。
そんな思いを受けて、母の願いを叶えようとする息子。父と母への想い。
そのやりとりを見ているだけでも、この親子関係が想像できる。
お金で解決かと思いきや。
ボランティア。師への想いがあればこそ。新聞に訃報が載ったのか。口伝で広まったのか。
近年の日本では、教師に対しての敬意等が地の底に落ちた感があるからこそ、このシーンが胸にしみて、涙がにじみ出てきた。
教育への想い。過去パートでのルオ先生への態度。学校建設時の皆の働き。日本での教育はすでに飽和状態で、それにうんざりした子どもたちが不登校状態になっており、保護者からのカスハラに苦慮しているが、発展途上国などの地域では、”学校”への想いが溢れている。何をどう学ぶか。ルオ先生が作ったという教科書の文言が沁みる。基本、人間て、学びたいものなのだ。だが、自ら学びに行くか、ロボットのように強制されて学ぶかは大きな違いであろう。
40年間、教育に捧げた人生。それが、こんな形で実を結ぶのなら。なんと教師冥利に尽きることだろう。
ラスト。母と息子の会話。息子の配偶者への心配。こんな父と母の物語を見せられた後では、母の想いが素直に響く。
そして、もう一つの、父の、母の願い。父の軌跡を追体験する息子。この両親にして、この子あり。原題が生きてくる。
一見、素朴な淡々とした映画でありながら、人生と家族を考えてしまった。