「【「自由よ、くたばれ!」で始まるもの/“林檎”、“ゴリラ”、“ラッパ”、“パリ”、“林檎”】」自由の幻想 ワンコさんの映画レビュー(感想・評価)
【「自由よ、くたばれ!」で始まるもの/“林檎”、“ゴリラ”、“ラッパ”、“パリ”、“林檎”】
シュールで、さまざまなメッセージを詰め込んだ作品だ。
ただ、よくよく考えると、“シュール”と単純に呼んでいいのか分からなくなる。
この作品は、「自由よ、くたばれ!」と言いながらも、結構“自由”な作品だ。
もう言い古されていることかもしれないが、それぞれの場面の最後の部分を引き継いで綴られる“しりとり”のような展開だ。
でも、これが僕たちの世界の現実ではないのか。
関連性がないようで、関連しているのだ。
ある行為があったからこそ、次のイベントに繋がるのだ。
僕たちは、それについて気が付いていないだけなのではないのか。
そして、映画の構成としては、しりとりの“林檎”から始まって。“ゴリラ”、“ラッパ”、“パリ”、そして“林檎”に戻ってくる、そんな感じだ。
だから、戻って、エンディングの叫びになるのだ。
分かってもらえたかしら?
映画をご覧になった方は、なんとなく分かってもらえるように思うが、要は、僕たちの世界はさして変わっていないと云うことのような気がする。
ただ、こうした構成の中でもテーマとして重要なのは、一見、何も関連性がないように見えて、実は、結果には必ず、きっかけや原因があると云うことなのではないのか。
そして、自分たちや、その行為が独立して存在しているのでない……、つまり、“自由”とは“独善”や“自分勝手”とは明らかに異なると、そんなことも示唆しているように感じる。
更に、それぞれの場面に皮肉が込められているのも見どころだ。
世の中でテロだのが懸念されるなか、変わらず残る偏見や因習はもとより、
ギャンブルに興じる聖職者、
近親相姦の甥と叔母だが、裸を見られることを恥じらう叔母。恥じらいとはいったい何なのか。
目の前に娘がいるのに見えていないのか、意識的に見ていないのか分からない両親。
そして、無差別殺人者を称賛するような人々など。
自由ではなく、独善や自分勝手が支配的な僕たちの世界の矛盾や暗い部分を示唆しているのだ。
シュールなように見えて笑えるけど、よく考えると実は、背筋がゾッとする作品だ。