「巨匠ブニュエルの脳内遊園地を探訪する、ナンセンス・コント満載の変態ごった煮お笑い道場。」自由の幻想 じゃいさんの映画レビュー(感想・評価)
巨匠ブニュエルの脳内遊園地を探訪する、ナンセンス・コント満載の変態ごった煮お笑い道場。
角川シネマ有楽町、ブニュエル特集鑑賞三本目。
NHK交響楽団の演奏会が、団員にコロナが出て急遽中止になったので、代わりに観てきた。
ブニュエル作品のなかでも、とりわけ不条理と笑いに特化した、ほぼ関連性のないショートコントを緩やかにまとめあげたようなキテレツな作品で、会場では何度も乾いた笑い声があがっていた。
ノリとしては『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』にいちばん近いが、あれはいちおう一貫した筋書とテーマがあった。『自由の幻想』は、まさに「自由」奔放である(いや「自由なんてしょせん幻想」って意味のタイトルなんだろうが)。
とにかく、くだらないネタを連発しては遊び倒すブニュエルの、いくつになっても衰えない稚気と悪戯心に圧倒される。
とはいえ、さすがに「ブニュエルだから許されてる」ようなところはあるよね、この芸風(笑)。
「不条理」というよりは「ナンセンス」に近いノリが横溢しており、別にこの映画に出てくるどのネタを今の吉本のシュール系ギャグの芸人がやってても全然おかしくない気がする。
そして、いうほど深いテーマ性があるようにも、僕には思えない。
このおバカな映画を観させてなお、「笑劇の形をとったシュルレアリスム」あるいは「巨匠のゆとりが生んだ至芸」みたいな感想が観客側から出るというだけで、ブニュエルの懐の深さと神通力が思い知らされる。
公園で遊ぶ美少女をつけ狙う、ペドフィリアっぽいオヤジ。
彼が少女のポケットに滑り込ませた写真を、家で少女から見せられた両親は激昂する。「なんて破廉恥な!! 不審者を見逃したベビーシッターは今すぐ首よ!」
で、これがなんの写真かというと、ただの観光用の建築写真。
エッフェル塔や、聖堂の写真を観ては、ふたりは「あああなんて卑猥な(形状)!」と叫び、そのうち発情してむさぼり合い始める。
あるいは、少女が誘拐されたと学校から連絡を受けて駆け付ける両親。
ところが、ふつうに教室に少女はいる。
でも、なぜか両親は、誘拐事件として「子供と一緒に」警察に赴き、
警察は「本人がいると特徴が分かりやすい」とか言いながら、その子供の捜索を開始する。
しばらくして「その子供を連れて」警察が戻ってきて、事件は解決する。
一事が万事、そんな調子で、ナンセンスなシチュエイション・コントが、ちょっとした偶然や、共通の登場人物を介して、数珠繋ぎにされていく。ようするに、やっていることは「モンティ・パイソン」とそう大きくは変わらない。
そこでは、嫁の像にちょっかいを出す男をポカリを殴る夫の石像(ハナ肇かよ!と思ったが、西洋だとこれ『ドン・ジョバンニ』の騎士団長が元ネタなんだろうな)だったり、叔母と甥の性行為だったり、飲んだくれて賭けポーカーに興じる聖職者たちだったり(構図にセザンヌやフランドル絵画の伝統が感じられる)、ケツに穴のあいたズボンをはいたマゾ「豚」男だったり、授業のてんで成立しない警察学校だったり(授業の内容がマーガレット・ミードwww)、居間の便器型の椅子でみんなでくつろぎ個室で食事する「排泄と食事」の逆転劇だったりの、いかにも「ブニュエルごのみ」のエロネタ、下ネタ、おバカネタがつぎつぎと登場し、われわれはブニュエルという知と妄想の巨人の脳内遊園地を引きずり回されることになる。
終盤にライフル魔が唐突に現れて、次々と街行く人々をほふっていく黙劇のようなテロリズムの発動は、『あいまいな欲望の対象』や『昼顔』でも見られたブニュエルお得意のショック演出だし、警視総監がふたり出てきて(片方がミシェル・ピコリ!)談笑する、ふたつの世界線が重複するような仕掛けも、ちょっと『あいまいな欲望の対象』を想起させる。
そもそも、この手の「ショートギャグの緩やかな集積」「ブルジョワジーと聖職者を揶揄するエロネタ、下ネタ」「イロジカルな話を大真面目にやる面白さ」「存在のあやふやさ、時系列の錯綜を根拠とする違和のシュルレアリスム」「唐突なテロリズム」といった要素は、そんまんま無声映画期の『黄金時代』(1930)でやっていたネタとまるでおんなじで、その意味では三つ子の魂百まで、といった感が強い。
総じて、重苦しいテーマ性や、難解なメッセージ性などをいっさい考慮せずに、ブニュエルの奇想天外な面白ワールドを趣味的に堪能できる、ファンにとってのご褒美のような映画だ。
もちろん、冒頭の警句(「自由はくたばれ」)やラストの動物園ネタから、何かしらのシリアスな意味性を見出してもいいんでしょうが……、まあ良いんじゃないの、この映画は? 「ブニュエルが面白いと思ったこと」をただ追体験して、こちらも童心にかえって楽しめば。
なお、勘違いする人はいそうなので、いちおう付記。
終盤で警視総監1号(『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』にも出てた、ザッケローニ監督みたいな顔のオッサン)が、4年前の追憶として語る、妹(『革命前夜』の若く美しい叔母、アドリアーナ・アスティが初老のおばはんになってる!)が全裸でピアノを弾くシーン。死後、彼女は納骨堂から電話をかけてきて、「最後にブラームスのラプソディ」を弾いた、というのだが、こちらはラプソディ 第2番 ト短調 作品79−2で、警視総監がスコアを差し替えてから冒頭のワンフレーズだけを弾いている。
その前、警視総監が部屋に入ったときに弾いているのは、シューマンの「謝肉祭」第12曲「ショパン」です。