「自由な欲望に支配された人間の可笑しさと生理を風刺したルイス・ブニュエルの傑作」自由の幻想 Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)
自由な欲望に支配された人間の可笑しさと生理を風刺したルイス・ブニュエルの傑作
普通の劇映画の枠には収まらないルイス・ブニュエルの面白い作品だった。この何処か澄ましていながら欲望と体裁が真逆になる不道徳でナンセンスな日常の社会風刺を楽しく見せてくれる。これは、これまでに色んな映画を創作してきたブニュエル監督の作品故の存在価値であり、他の監督では中々成立しない内容と表現力がある。
ナポレオン占領下のスペインで抵抗するスペイン人が射殺されるシーンで、“自由くたばれ”と叫ぶプロローグから、ラストの動物園の騒動場面では“鎖バンザイ”と閉じられるオムニバス形式のような構成は、連鎖するシチュエーションの自由気儘さで映画は進む。そのどれもが頓珍漢なお話ばかりで、観ていて驚きながら思わず笑ってしまう。こんなユーモアの描き方はコントのようだが、どれもが奥深い。もっとも先鋭的な知的ユーモアで遊んでいる、とても贅沢極まる娯楽芸術ではないだろうか。
子供が見知らぬ人から貰ったローマの観光絵葉書を観た、両親のジャンクロード・ブリアリとモニカ・ヴィッテが卑猥だと言いながら興奮する。ある看護師が泊まったホテルでは、様々な人々が欲望に自由な、精神が裸の人間の姿を露呈する。敬虔な神父たちの息抜きのカード遊び、学生の甥と中年の伯母のカップルの不道徳な愛の場面もどこか可笑しい。度肝を抜かれるのが、ある教授が憲兵たちを前に講義をする回想話だ。友人の家に招かれて居間に入ると、椅子の代わりに洋式便器がある。しかも食事は突き当りの個室で鍵を掛けて済ませるのだ。人間の生理についての何たる皮肉だろう。ケッサクは、そこに子供がいるのに行方不明と騒ぎ出し、話を肥大化する場面。このシーンの台詞のナンセンスさがいい。そして、一番印象に残るのが、死んだ妹から突然深夜電話があり翌日気になって墓場まで行ってみると墓石の傍らに受話器が置いてあるシーン。この兄と妹の関係性が温かい。
悪ふざけと真面目さの境界線を絶妙に辿り、自由に映画を作っているブニュエル監督の傑作。それは観客の立場からでも羨ましいくらいの、映画愛を感じるからである。
1978年 12月2日 高田馬場パール座
伊丹十三監督の「タンポポ」を観た時、先ずこの映画を連想した。このブニュエル映画に触発されて生まれたのではないかと勝手に思い込んでいる。ユーモアの質は違うが、どちらも映画と人間を愛しているのが素晴らしいと思う。