ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュのレビュー・感想・評価
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ゴミ廃棄場のようなゲス男と、カフェ暮らしの 薄い女の、数日
ポリ袋をいつも振り回してるやきもち焼き屋のパドヴァンが愉快。僕は出演者ではパドヴァンが一番好きでした。
《ポリ袋 VS エルメスのバーキンハンドバッグ》の闘いは、結局パドヴァンの「多目的再利用エコバッグ」の勝利で終わりましたね。
映画は、のっけからホンキートンクのピアノで始まります、
ファンキーな出だしです。
黄色いトラックも、寂れたバーガーショップも、お洒落でいい感じじゃないですか。
予告トレーラーでは、いいお年になったジェーン・バーキンさんがウフフと恥じらいながら薦めてくれたこの映画。
「トリュフォーがね、『俺の本など読まずにこれを観ろ』と言ったのよ」。
うひょー、ミーハーな僕にはこの台詞は格好良すぎて痺れるのだが。
さーて、
どんだけ眉間に皺寄せる難解な哲学映像かと思いきや、大したことなかった。
てか、いくらか嫌悪感が勝ったかもしれないです。
推しの映画館=塩尻市東座での せっかくの上映を見逃したので、なんだか支配人さんに申し訳なくて、で、こっそりDVDを買ってはみたものの、
頭を抱えてしまった。
2023.7.16.
ジェーン・バーキンの急逝後、YouTubeやTikTokはジェーン・バーキンの追悼動画で溢れかえり、時代のアイコニックだったという彼女の話題で巷は盛り上がっている。
でも、そこまでの映画かなー?
当時はいかにセンセーショナルブルであっても、時代は変わってゆくのだと今さらながらに思わせられた映画でもあった。
「アイズ ワイド シャット」では、別の男に裸身を委ねる実の妻=ニコール・キッドマンに、共演者=夫トム・クルーズが、「相当の苦しみとストレスがあった」と本人が語っていたが、そんなに嫌なら そんな映画やらなきゃいいのによ。
けれど本作の夫セルジュ・ゲンズブールにとってはそこは違うらしい
放埒は芸術なのか。
丸出しは美なのか。
芸術家が倒錯を成せば、それが時代を拓く前衛になるんだろうか・・
たぶんそれを平気でやっちゃう(?)ゲンズブールさんの生き様も、当時の世相に衝撃的に受け入れられたのだろうが。
アメリカの荒野で撮影されたフランス映画。
そのあたりの半分空想物語のようなフワフワ感とか。あれは当時若者たちを席巻したヒッピームーブメントを感じさせて、とても面白く感じた部分。
でも、
結局は、良いようにされて捨てられた女のおはなし。
男たちがゲイであったかどうかは どうでもいい関係ねー話。
女にはほとんど台詞が与えられない。
学生運動のセクトの中で、女子は「母ちゃん」と称ばれ、公衆便所なんて言い方もあった時代。
目を捉えて離さないジェーン・バーキンのファニーフェイスは、確かに本物だったけれど。
・ ・
なお、
ゲンズブール自作自演の主題歌
Je t'aime moi non plus は
いろいろ訳詞を見ていたところ「Je t'aime」と「moi non plus」を2つに区切ってあり、「non plus」を「さあね」と訳してあるものがあった。
ジェーン・バーキン「愛してるわ」
ゲンズブール 「俺かい?さあてどうだかね?」
ってこれ、どうなんだろよ・・
ジェーン・バーキンの台詞ならいざ知らず、男たちの側の言い分ならばあんまり良い感じはしないよ。
そう、
この映画からは愛が まったく感じられなかったです。
表題そのままに
愛の無い映画で《愛不在の世界》を描いているのなら分かる。
掘られた挙げ句、
もしかしたら「予告トレーラー」まで、男どものプロデューサーにああいう風に言わされて、
バッグにぶら下がるおもちゃのアクセサリー・チャームにされて、
あの年になるまで笑っているなら、
ジェーン・バーキンってなんだったんだろう。
はくちび?
ジェーンはジェーンでもリブのジェーン・フォンダなら、この映画には激怒だろう。
·
【中性的なジェーン・バーキンの肢体が印象的な作品。セルジュ・ゲンズブールが愛した女性を美しく描いた作品。小学生時代に、ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュを聴いた時の衝撃は、忘れ難い。】
■トラックでごみの回収をしながら暮らすクラスキーとパドヴァン。
2人は立ち寄ったカフェバーで酒飲みの主人ボリスに反発しながら働くボーイッシュな少女・ジョニー(ジェーン・バーキン)と出会う。
その夜、クラスキーとジョニーはダンスパーティで意気投合するも、クラスキーはゲイで、いざというときに男になれない・・。
◆感想
・今作は、2021年に、4K完全無修正版として、劇場で観たが余り心に響かなかった。理由は明確で、物語構成が単調で”無修正”を前面に出しながらも、シンプル過ぎたからである。
・但し、ジェーン・バーキンが当時恋人だったセルジュ・ゲンズブールの初監督の映画だとして、全裸を晒した演技には敬服する。
更に言えば、日本の大島渚監督の「愛のコリーダ」の湿性溢れる映像とは異なり、同じく全裸なのだが、今作のジョニーと、クラスキーの性交シーンには、乾性があり、エロティシズムの描き方に、フランスと日本では、随分違うものだな、と思ったモノである。
・映画館で観た際にはレートは、R18+であったが、余りそれは感じなかったかな。
■小学生時代に、ジェーン・バーキンの喘ぎ声の入ったジュ・テーム・モワ・ノン・プリュを聴いた時の衝撃は、忘れ難い。(そりゃ、そーだ!)
当時から女子にはモテていたが(ホント、スイマセン・・)、”別の大人の世界がある!”と思ったモノである・・。
<私は、小学生時代にフレンチ・ポップに嵌り、ジェーン・バーキン&セルジュ・ゲンズブールの娘である、シャルロット・ゲーンズブールの“魅少女シャルロット”に嵌り、それ以来彼女の映画&音楽のファンである。そして、遡って彼女の母親のアルバムを聴いて・・。(以下、自粛)
今作を観ると、フランスの性分化の習熟度合は、随分前から出来上がっていたのだなあ、と思った作品である。
<2021年6月 センチュリーシネマにて鑑賞>
<2022年8月4日 別媒体にて再鑑賞>
セルジュ・ゲンズブール
監督は才人、セルジュ・ゲンズブール、主演がスレンダー美女のジェーン・バーキンの歌謡ドラマかな。
歌はいいのだが、映画は裸満載のちんぷんかんぷん。
中性的な魅力のジェーン・バーキンを楽しむだけかな。
今の感覚で言えばよくレンタル屋やネットの成人もの
今はNHKでもジェンダーを議論したり当事者が出演する慣用な時代になりこの作品を再公開に?R18なのでそっち方面も期待したがこの程度なら40年位前ならテレビ東京等で放送されてたレベルで制作時どの程度の評価があったのか気になるが過去の作品を観て評価する作品
ゲイとガリガリ女と美しい曲
ゴミの廃棄物運搬を仕事としているゲイのクラスキーとパドバンの2人は立ち寄ったカフェで、ウェイトレスとして働くノーブラ洗濯板のようなガリガリの女性・ジョニーと出会った。クラスキーとジョニーはお互いに興味を持つがゲイのクラスキーは正常なセックスが出来ずアナルで・・・てな話。
ジョニー役ジェーン・バーキンの体を張った演技に尽きる。
あんな洗濯板の様な胸の無いガリガリの女優はあまり居ないんじゃないかな。常にノーブラとタンクトップなのもエロかった。
45年も前にゲイを扱った脚本や全裸でアナルセックスに挑戦したジェーン・バーキンの勇気は素晴らしい。
監督が手掛けた音楽も色っぽくて素晴らしかった。
作品を一言で言えば、ゲイに負けた洗濯板の女なのかな。
一度は観賞したかった作品なので、とても満足です。
半世紀前には先進的過ぎ。どこまでも明け透けで赤裸々なほぼ洋ピンコメディ
ボロいダンプでゴミ収集業を営むクラスキーとパドバンは仕事帰りに立ち寄った寂れたカフェでウェイトレスのジョニーと出会う。クラスキーに惹かれたジョニーは近所の倉庫で開かれるダンスパーティにクラスキーを誘ったことからお互いに惹かれ合うが実はクラスキーはゲイで・・・。
確かに1969年という時代にしては衝撃的な内容、というかゲイのイケメンとボーイッシュな女子が試行錯誤を繰り返す結構のほほんとしたほぼ洋ピンコメディのプロット。洋ピンの全盛期は私が小学生だった70年代だったはずですので当時このまんま上映していたら洋ピンとしても先進的だったと思います。試行錯誤の上にジョニーが大声を出しては追い出されるという寸劇を延々繰り返すだけなので今同じことをやってもダダスベりするネタですが、これを半世紀前にやっていたということが画期的です。
映画が始まった瞬間に気付いたことですが、本邦初公開版を30年くらい前に深夜テレビで観てました。当時タイトルも何も知らずにぼんやり観てたので断片的な記憶しか残っていなかったこともありますが、本作はセリフがフランス語だというだけで、映像に映るのは広大な空き地やゴミ捨て場、廃墟みたいな倉庫や民宿ばかりでいかにもフレンチなものは何も映っていません。恐らく当時は英語吹替での放映だったでしょうからフランス映画であることすら判っていませんでした。
無修正版ですから無粋なボカシやモザイクはなくなっていますが、だからといって猥雑さが際立っているかというとむしろ逆で、全部何も隠されていないからこそ登場人物達の葛藤も全部見えているわけで、大胆で赤裸々な性描写がむしろ必然でありそれがカットされていたら実につまらないコメディにしかならないと思いますので、当時の記憶があやふやだったのも当然であり、今回本来あるべき形で鑑賞出来たのは光栄だったと思います。
ゲンズブール作品ということで敷居が高いイメージがありますが、本作にはそんな風格はどこにもなく、当時40代そこそこだったゲンズブールが好き勝手やった奔放な作品。馬に乗ってフラッと現れるラリラリのヘンなお兄ちゃんを演じているジェラール・ドパルデューのとぼけた演技も楽しめる結構ほんわかした作品。当時ゲンズブールのパートナーだったというジェーン・バーキンの今にもポッキリと折れてしまうそうなほどに華奢なのにずっしりとした存在感のある佇まいが印象的。
上映直前にバーキン本人によるコメント映像が流れ、当時トリュフォーが自分の作品じゃなくてこっちを観ろと言っていた等のエピソードを披露しながら、なんとなく戸惑っているような表情を浮かべていたような気がしました。それぐらい赤裸々な作品です。
フレンチ・ニューシネマ??
半分、笑いのネタとも受け取れる、ここには美しさの欠片も無い、どの場面も不衛生な世界観。
セルジュ・ゲンズブールが描くアメリカン・ニューシネマな如き、クラスの佇まいが「断絶」のジェームズ・テイラーを彷彿とさせ70年代のアメリカ映画の雰囲気と濡場のシーンはフランス映画らしい映像が。
嫌味なオヤジ、ボリスのオナラ攻撃やパドヴァンのビニール袋、湖での周りながらのケツ、ケツ、ケツのどアップ、場所を変えながらの穴違い絶叫シーンとギャグなのか?って笑いどころが満載!?
全てをシュールな笑いで掻っ攫ってしまう感覚、最後に残される全裸のジェーン・バーキンの姿にもギャグ要素がチラついてしまう!??
曲は好きなんですよ。。
セルジュ・ゲンスブールのこの曲は昔から知ってるけど、映画の方は未見だったので、過度な期待を持って出かけたわけですが。
ジェーン・バーキンの妖精のような美しさは堪能しましたけど、それでもちょっとやっぱり生々しすぎて、どこをどう楽しめばいいのやら、という感じで帰ってきました。。
いや、曲は本当にいいんですよ、バカっぽくて。わたしが言うところのバカっぽい曲っていうのは「頭空っぽのまんま演奏してそうだな」っていう、例えばフォガットとかみたいなバンドの曲なんですけど、ゲンスブールのは「頭の中ピンクで染まってんのかこいつは」みたいなバカさ加減で。でもそれを画にしてしまうと、途端に即物的で下世話になってしまうのが悲しいところ。
そもそもの話、ゲイの人ってボーイッシュな女の子の後ろだったらできるものなんですか? わたしゲイの知り合いがいないのでなんとも言えませんが。なんかそういうところが気になってしまい集中できず。
でも決してつまらないわけでもないのが不思議なのよね。なんだろうこの映画。
泥沼に咲く蓮の花
俳優陣の背景は悲惨であり、画像の中は汚れた汚物で占められている。美しいものなど何も無い。糞尿、ゴミ、蠅、体臭…それらのすえた臭いがスクリーンから漏れ出す。それでも、この透明な美しさは何だろうか?ジェーン・バーキン、ジョー・ダレッサンドロの穢れることのない美しさ。そこにある愛の形。世間を突き抜けたところに愛をまとった美しさが現れる。素晴らしい作品だ。
スクリーンで見られて幸せ
時代が追いついた、早すぎた傑作と言われて見たけど納得の素晴らしさだった!今見たら、斬新で鮮烈。
見られるうちに後何回か劇場で観ておこうと思う。
ロビーに飾ってあったお宝グッズに、感激❣️
ジェーンバーキンが可愛すぎた。ダレッサンドロが素敵と聞いてたけど、超美形だった❣️でもやっぱり圧巻は、ゲンズブールの音楽。いつまでも聴いていたい。
ジェーン・バーキン主演の傑作、4Kでよみがえる!
ゴミ運びをすることが仕事のクラスキー。パワハラ気質の職場にいざるをえないジョニー。あらゆる不条理や理不尽さばかり。
それでも2人がが愛する瞬間のみが美しく描かれ、セルジュ・ゲンズブールが愛することの素晴らしさを描きたかったことがよくわかりました。さらに愛し合うシーンになるとセルジュ・ゲンズブールによる美しい楽曲が映像を盛り上げる、、
DVDで観たことがあったけれど、スクリーンで見ると一層美しく、胸が締め付けられました。
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