バッドランズのレビュー・感想・評価
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若さと愚かさと底なしの虚無
主人公のひとりであるホリーのナレーションと、映像として描かれていることにズレがあって、つまりはいくつかの主観が入り混じっており、逆に言えば映画は誰にも寄り添っておらず、どれだけ惹かれ合っていたとしても、結局は自分本位なキットとホリーの束の間の逃避行が淡々と綴られていく。そもそも元になった事件から共感を呼ぶようなものでもなく、劇中の2人を見ていても、一切申し開きができる要素はない。しかし荒涼とはしていても、映画は冷え冷えとはしておらず、独特の詩情を湛えている。もう何度も観ているはずだが、初めて映画館のスクリーンで観ることができて、改めてなんだこの映画は?と、奇妙で不可解な感覚に襲われた。若い頃は、なんとかここからクールさや反骨精神のようなものを見出そうとしていたが、改めて、若さと愚かさと虚無とが際立つ、底冷えのするような傑作でした。しかし、やっぱり捕まる前に石で記念碑を立てようとするキットの姿は、哀れさを通り越して笑ってしまうな。その後のスター気取りも含めてクソなりの愛嬌があって、比べるもんでもないがホリーの方がこわい。パンフ代わりの書籍を読むと、モデルになったフューゲートも映画を観ていたという。一体どんな感想を述べたのか、誰か教えてほしい。
とんでもない不条理殺人&逃亡ロードムービー
1950年代末に実際におきた事件を題材にしているとのことだが、
実に不条理極まりない殺人であり、逃亡ロードムービーだ。
ごみ収集で生業を立てていたキット(マーティン・シーン)が
ホリー(シシー・スペイセク)に一目惚れし、
ホリーとの交際を認めないホリーの父親(ウォーレン・オーツ)を
殺害してから逃亡劇となるのだが、
まずもってキットは躊躇なく愛するホリーの父親を殺しているので、
シリアルキラーであることは間違いない。
そして、ホリーも父親が殺されているのに、ふつう殺した男と一緒に逃げるか?
と考えると、人間的に何かが欠落しているか、あるいは、父親から離れたかったのではないか。
そういう節があることは描かれているので、間違いなさそうと認識。
シェリフや知り合いを躊躇なく殺しながら逃げていくキットには
やはりドン引きしてしまうが、途中までついていくホリーもいかがなものか?
おかしいよ、あなたたち。異常だよ。と思いながら観ていた。
ヘリ🚁で追われたときに、ホリーはもう逃げたくないと言い、キットと決別。
キットは捕まってからも、劇場的な語り口調で警察に対して受け答えしている。
そういう自分に酔っているのだろうと思うし、そういう生き方がしたかったのかなと。
警察から「ジェームズ・ディーンに似ている」と言われ、にんまりしていたので、
彼はジェームズ・ディーンになりたかったのだろう。
だから自分も若くして死ぬことに躊躇しないのではないか。
テレンス・マリック初監督作品であり、さすがの映像美。
『天国の日々』も素晴らしいが、こちらも素晴らしかった。
その映像美の中でも人、ホリー役のシシー・スペイセクの美しさ&キュートさは
際立っていて眼福だった。
ひどい話の中でも、シシー・スペイセクの存在に救われた気持ちだ。
先週、今週とテレンス・マリック監督作品を劇場鑑賞できてうれしい。
途中から人殺しに慣れちゃって飽きてきちゃう
淡々としていて、私はあまり面白いと思わなかった。
バンバンと簡単に人が殺されて、それは衝撃的なのだけれど、途中から人殺しに慣れちゃって飽きてきちゃう。
1950年代に、アメリカで実際に起きた事件に基づく物語だから仕方がないのだろうけれど、物語性に深みを感じなかったかな。
無軌道な青春の果て、伝説的アメリカン・ニューシネマ・ロードムービー シシー・スペイセクが強烈な印象を残す
「地獄の逃避行」のタイトル(何と酷い…)で深夜テレビ放映された作品が劇場初公開。
アメリカン・ニューシネマと言えば荒涼とした砂漠、ロードムービー、犯罪、荒んだ青春、悲惨な末路、そして、バッド・エンドというイメージそのままだった本作。
少女の目の前で父親を射殺、二人の逃避行が始まるというショッキングな幕開け。
二人は犯罪を重ねながら旅を続ける。
無軌道な青春の果て、とでも言うのだろうか。
主演は若きマーチン・シーン。
それよりも際立っていたのが、これまで「キャリー」の印象ばかりが強かった、シシー・スペイセク。
そのそばかすの顔が美しく、切ない表情がとても印象に残る。
父親役で「デリンジャー」「ガルシアの首」のウォーレン・オーツが出ているが、出演シーンは短各見せ場が無い。
当時、流行っていたアメリカン・ニューシネマを、名画座やテレビで観て、その暗い内容と結末に暗澹たる気持ちでいっぱいの日々だったことを思い出す。
タイトルなし(ネタバレ)
鑑賞するのは今回が2度目。初鑑賞は2014年にDVDで。
25歳のキット(マーティン・シーン)はサウスダコタ州でゴミ収集の仕事に就いている。
彼はどこから来たか不明の流れ者。
ある日、町で看板描きをする男(ウォーレン・オーツ)の15歳の娘ホリー(シシー・スペイセク)と知り合い、恋に落ちる。
ホリーの父親から交際を禁じられたキットは、父親を激昂の末に射殺して、ホリーとふたりで逃亡するのであった・・・
といった物語で、1958年に米国で起こった事件をもとにしていますが、ハナシとしては、それだけです。
それ以外に何もない、何もないがゆえに、遣る瀬無い、と初鑑賞のときに感じました。
今回もそれはそうだったのですが、途中から「キット、アホすぎるんちゃう?」と思ってしまう。
それはホリーも思っていたわけで、そういう意味も含めて、ホリーのモノローグで進む意味は大きいでしょう。
キットにとっては、ふたりだけの生活という夢へまっしぐら。
ホリーににっとも、同じであったが、途中から現実へと回帰してゆく。
あぁ、「絆」って、こういうことよねぇ、なんてことを思ってしまう。
父殺し(権威殺し)と、夢の崩壊というアメリカンニューシネマの王道。
だたし、アメリカンニューシネマで多く描かれたような主人公(キット)の死は派手に描かれなく、惨めったらしく死刑になったことだけが語られるのみ。
また、ホリー視線で描かれることから、後の女性映画の萌芽とも言えるかもしれません。
ビックリするような映像美(つまり傑出したシーン)もあり、その意味では「傑作」と呼ぶにふさわしいかもしれないのですが、個人的には評価が難しい類の作品でした。
なお、DVDで観たときにはもっと評価は低かったです。
アメリカは広い
ためらいなく人を殺すところにびっくりした。あまりに短絡的なのだが、開放感も感じた。女の子がけっこうブスで、とてもリアルだった。そこをリアルにしなくてもと思った。いくらつきあっていると言っても父親を殺されるのはたまったものではない。それにしても主人公の男が物騒すぎるし、あんな危険人物が身近にいたら治安悪すぎる。
石油のパイプラインの漏れているところからガソリンが補給できるのか疑問だった。アメリカがいかに広大か非常に伝わった。新潟もかなり広くて県外に達するまでほとほと嫌になるのだが、アメリカの州は比較にならないほど嫌になりそうだった。
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