バッドランズのレビュー・感想・評価
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若さと愚かさと底なしの虚無
主人公のひとりであるホリーのナレーションと、映像として描かれていることにズレがあって、つまりはいくつかの主観が入り混じっており、逆に言えば映画は誰にも寄り添っておらず、どれだけ惹かれ合っていたとしても、結局は自分本位なキットとホリーの束の間の逃避行が淡々と綴られていく。そもそも元になった事件から共感を呼ぶようなものでもなく、劇中の2人を見ていても、一切申し開きができる要素はない。しかし荒涼とはしていても、映画は冷え冷えとはしておらず、独特の詩情を湛えている。もう何度も観ているはずだが、初めて映画館のスクリーンで観ることができて、改めてなんだこの映画は?と、奇妙で不可解な感覚に襲われた。若い頃は、なんとかここからクールさや反骨精神のようなものを見出そうとしていたが、改めて、若さと愚かさと虚無とが際立つ、底冷えのするような傑作でした。しかし、やっぱり捕まる前に石で記念碑を立てようとするキットの姿は、哀れさを通り越して笑ってしまうな。その後のスター気取りも含めてクソなりの愛嬌があって、比べるもんでもないがホリーの方がこわい。パンフ代わりの書籍を読むと、モデルになったフューゲートも映画を観ていたという。一体どんな感想を述べたのか、誰か教えてほしい。
刹那的で絶妙なバランス
目的なんてないものね
キットは朝鮮帰還兵だけれど明らかにベトナム戦争を意識して作られたのだろう
1973年製作のリバイバルで日本初公開。1958年に実際にアメリカで起きた若者が連続殺人を犯す事件をベースにしていてハーバード大学哲学科を首席で卒業したテレンス・マリックの初監督作品である。後に「地獄の黙示録」のウィラード大尉役でブレイクするマーティン・シーンがゴミ収集員をしていて見染めた15歳の少女の父親を撃ち殺し、二人で逃げながら2か月間でさらに10人を殺す「ジェームズ・ディーンに似た殺人犯」役で主演しており、日本では「地獄の黙示録」のヒットにあやかり「地獄の逃避行」という邦題でテレビ放送されたそうだ。驚いたのは私が映画にはまる原点にして1976年キネ旬1位となった「青春の殺人者」との類似である。千葉県での実話をベースに父親を殺して店に火を点けて逃げる順とケイ子がこの二人に重なり、しかも長谷川和彦は「ジェームズ・ディーンをやらないか?」と言って水谷豊を口説いたという話は有名なので暗闇に燃えるホリーの家を観ながら「パクリ疑惑」がどんどん膨らんだ。一緒に観た友人が指摘したように主人公は朝鮮戦争の帰還兵らしいのだが、その説明(というか言い訳)を一切せず劇中キットがホリーに「アイスキャンデー食う?韓国にこういうのがあったよ」と尋ねる一言にとどめているのがいさぎよい。人殺しが当たり前になる戦場より帰還後のフラッシュバックに襲われる平穏が辛いであろうことは想像に難くない。今回の鑑賞を前に名作「天国の日々」も配信で見たのだけれど、やはり少女のモノローグで進行させるのがテレンス・マリックの持ち味か。隠れて付き合っていた罰にホリーの愛犬を撃ち殺す親父があまりにひどくその後の二人の行動を受け入れやすくしている脚本が上手い。
地獄の逃避行 はちょっと違いますね
【”俺たちに明日はない、若きテレンス・マリックバージョン。”特に意味もなく虚無的に生き、人殺しを続ける青年と、彼にボンヤリとついて行く少女の姿を、牧歌的な雰囲気の漂う中、描いた作品。】
■1959年、サウスダコタ州の閉塞感溢れる小さな町。
15才のホリー(シシー・スペイセク)は、ある日、ゴミ収集作業員の青年キット(マーティン・シーン)と出会い、恋に落ちる。
が、交際を許さないホリーの父(ウォーレン・オーツ)をキットが射殺した日から、ふたりの逃避行が始まった。ツリーハウスで気ままに暮らし、金が無くなれば大邸宅に押し入り、銃を撃ち話し、次々と人を殺していくキットの姿を、ホリーはボンヤリと見つめていた。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・ハッキリ言って、トンデモナイ話なのだが、作品全体に漂う牧歌的な雰囲気が不思議な作品である。
ホリーは、キットが凄い好きというわけではないが、彼がジェームス・ディーンに似ているという理由で惹かれて行くのである。
そういわれると、マーティン・シーンの端正な顔つきが、ジェームス・ディーンに被・・らない・・。けれども、この作品の魅力は矢張りマーティン・シーンと、そばかすだらけのシシー・スペイセクに尽きる気がする。
・キットは次々に人を銃で殺害していくが、そこには悲壮感はない。まるで彼が首になった清掃員がゴミを清掃車にポイポイ入れるように、殺して行く。
ホリーも、父親が射殺されても取り乱す様子はない。
・追いかける警察側も、何だかノンビリしている。懸賞金を掛けたりするが、3人の懸賞金ハンターは、アッサリとキットに射殺される。
因みに、キットは後ろからでも、何の躊躇もせずに撃つのである。
<キットが、警察に捕まる時も、アッサリしている。そして、相変わらずホリーは手錠を嵌められても、涙を見せずにボンヤリと立っている。
キットは、電気椅子で処刑された事が告げられるのみである。
今作は何だか、”バッドランズ”というよりは、”バッドドリームランズ”とでも名付けたくなるような、牧歌的な雰囲気が不思議な作品である。>
<2025年3月23日 刈谷日劇にて観賞>
こんなのロードムービーじゃない
ロードムービーっていうのは、旅に人生を仮託すること。つまり旅を通して、生きることと同じ経験をすること、もっと具体的にいうと何かを得て何かを失うことが描かれている作品のことを言います。例えば「スケアクロウ」や「パリ・テキサス」のように。
この作品は違います。描かれているのはジェームズ・ディーンに似ていることが自慢の幼稚で軽薄な男と、主体性のない女の単なる逃避行です。
面白かったのはツリーハウスまでで、それ以降は無軌道な人殺しの連鎖に過ぎません。
もちろん感情をもたない冷血漢の犯罪を描いた映画作品もあるし、そこまでいかなくても突発的な感情の爆発を抑えられなかった犯罪者の姿を描く映画作品もあります。でもこの作品の登場人物たちの行動はひたすら無意味でありそれだけに不快感をもたらします。
映像的にもみるべきものはないし、どこといって良いところがある作品だとは私には思えません。
セックスシーンが全くないところは良いかな。
途中から人殺しに慣れちゃって飽きてきちゃう
淡々としていて、私はあまり面白いと思わなかった。
バンバンと簡単に人が殺されて、それは衝撃的なのだけれど、途中から人殺しに慣れちゃって飽きてきちゃう。
1950年代に、アメリカで実際に起きた事件に基づく物語だから仕方がないのだろうけれど、物語性に深みを感じなかったかな。
無気力で無軌道
無軌道な青春の果て、伝説的アメリカン・ニューシネマ・ロードムービー シシー・スペイセクが強烈な印象を残す
「地獄の逃避行」のタイトル(何と酷い…)で深夜テレビ放映された作品が劇場初公開。
アメリカン・ニューシネマと言えば荒涼とした砂漠、ロードムービー、犯罪、荒んだ青春、悲惨な末路、そして、バッド・エンドというイメージそのままだった本作。
少女の目の前で父親を射殺、二人の逃避行が始まるというショッキングな幕開け。
二人は犯罪を重ねながら旅を続ける。
無軌道な青春の果て、とでも言うのだろうか。
主演は若きマーチン・シーン。
それよりも際立っていたのが、これまで「キャリー」の印象ばかりが強かった、シシー・スペイセク。
そのそばかすの顔が美しく、切ない表情がとても印象に残る。
父親役で「デリンジャー」「ガルシアの首」のウォーレン・オーツが出ているが、出演シーンは短各見せ場が無い。
当時、流行っていたアメリカン・ニューシネマを、名画座やテレビで観て、その暗い内容と結末に暗澹たる気持ちでいっぱいの日々だったことを思い出す。
タイトルなし(ネタバレ)
鑑賞するのは今回が2度目。初鑑賞は2014年にDVDで。
25歳のキット(マーティン・シーン)はサウスダコタ州でゴミ収集の仕事に就いている。
彼はどこから来たか不明の流れ者。
ある日、町で看板描きをする男(ウォーレン・オーツ)の15歳の娘ホリー(シシー・スペイセク)と知り合い、恋に落ちる。
ホリーの父親から交際を禁じられたキットは、父親を激昂の末に射殺して、ホリーとふたりで逃亡するのであった・・・
といった物語で、1958年に米国で起こった事件をもとにしていますが、ハナシとしては、それだけです。
それ以外に何もない、何もないがゆえに、遣る瀬無い、と初鑑賞のときに感じました。
今回もそれはそうだったのですが、途中から「キット、アホすぎるんちゃう?」と思ってしまう。
それはホリーも思っていたわけで、そういう意味も含めて、ホリーのモノローグで進む意味は大きいでしょう。
キットにとっては、ふたりだけの生活という夢へまっしぐら。
ホリーににっとも、同じであったが、途中から現実へと回帰してゆく。
あぁ、「絆」って、こういうことよねぇ、なんてことを思ってしまう。
父殺し(権威殺し)と、夢の崩壊というアメリカンニューシネマの王道。
だたし、アメリカンニューシネマで多く描かれたような主人公(キット)の死は派手に描かれなく、惨めったらしく死刑になったことだけが語られるのみ。
また、ホリー視線で描かれることから、後の女性映画の萌芽とも言えるかもしれません。
ビックリするような映像美(つまり傑出したシーン)もあり、その意味では「傑作」と呼ぶにふさわしいかもしれないのですが、個人的には評価が難しい類の作品でした。
なお、DVDで観たときにはもっと評価は低かったです。
恥ずかしながら初めて観たのですが、旧作ですが「日本では劇場初公開」...
ふたりには必要な時間だった
不思議な清涼感に満ちた映画だ!
この映画は1973年に製作され、我が国では「地獄の逃避行」として知られていた。主人公を演じたマーティン・シーンのその後の出演映画のタイトルの影響だろう。
ロードムービーの傑作と呼ばれることがある。ただ「ロードムービー」という言葉は、川本三郎さんに教えていただいたように、1984年のパリ・テキサス以降に、ヴェンダース監督が自作について呼び始めた名称だ。それに先駆けたということだろうが、ヴェンダースの映画が、ロードムービーの発展とも考えられる「パーフェクトデイズ」でもそうであるように、たとえ移動しても、さしたることが起こるわけではなく、その人の内面で起きる変化をロケ映像中心に忠実に追ってゆくのに対し、この映画では、逆に、起きたできごとが即物的に語られてゆくのみで、心の内を推し量ることはむずかしい。
1959年に実際に起きた事件によるこの映画のストーリーを述べる必要はないと思うが、音楽の使い方にも目覚ましいものがあった。
予告編でも流れているカルミナ・ブラーナで有名なオルフが編曲したGassenhauer(街の歌)が注目された。マリンバと打楽器などの演奏が素朴で、主人公の二人に寄り添っていた。私の大好きなナット・キング・コールの歌う「A blossom fell」(花は散ってしまった)がラジオから流れて、二人が踊るところも良かった。何と言ってもエリック・サティの「梨の形をした三つの小品」、エンディングロールにはグノシェンヌと書かれていた。この映画の不条理、シュールレアリスムにもつながるような性格をいちばんよく表していたように思う。
もちろん、テレンス・マリックによる作品そのものが素晴らしいことは言うまでもない。殺伐としたストーリーが、アメリカ中西部の広大な荒地(バッドランズ)を背景に、これ以上ないほど静謐に描かれる。是非、劇場で、ご覧いただきたい。
25-036
ノれなかった。
1958年、アメリカはネブラスカで実際に起きた事件を基に作られたそうで、
『テルマ&ルイーズ』や『俺たちに明日はない』を思い出す、破滅型の逃避行の物語です。
序盤から、犬、牛、ニワトリ、魚、など、動物の扱いが酷くて、不快でイヤな気持ちになった。
脚本的には起伏あるんだけど、なんか単調に感じた…
熱量が低いのか、薄味なのか、淡々としてる感じを受けて、イマイチ…
同じようなシーンばかり続くし、途中から、かなり眠くなった(笑)
まだ終わらない?まだ終わらない?と思いながら観てました。
楽しみにしてたけど、ガッカリ(笑)
マーティン・シーンは、チャーリー・シーンにもエミリオ・エステベスにも似てる。
シシー・スペイセクは『キャリー』のイメージが強いけど、やっぱり個性的でいいと思った。
この映画の良いとこは、彼女かな。
素晴らしかった
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