「アメリカ兵の精神的苦悩に日本兵の悲惨さが薄められ…」シン・レッド・ライン KENZO一級建築士事務所さんの映画レビュー(感想・評価)
アメリカ兵の精神的苦悩に日本兵の悲惨さが薄められ…
1999年のロードショー以来だったが、
TV放映を機会に再鑑賞。
戦場の内外を通して「天国の日々」から続く
映像も音楽も静かに美しいタッチは
他の戦争映画にはない雰囲気の作品だ。
ある意味、戦闘シーンよりも非戦闘シーンに、宗教的哲学的観点から戦争の悲惨さを、
また死の意味を浮かび上がらせようとした
作品なのだろうが、問題も感じた。
我々は例えば吉田裕さんのノンフィクション
「日本軍兵士」等からガダルカナル島での
約7割の死者の多くが餓死だったり、
撤退に際し動けない闘病兵の射殺だったこと
を知ることが出来るし、
映画の中で海・川・雨の描写はあっても、
ジメジメ感のないジャングルでの戦いの
描写に、ガダルカナルの戦場とは
感じ取れなかった。
リアリティという点では、
例えば何故か7人の小隊が
5つもの機関銃があるトーチカを
攻略出来てしまうシーンや、
日米双方のバランスをとるためなのか、
監督の人間性を信じたいとの表現なのかは
分からないが、日本の小隊がたった一人の
アメリカ兵を追いかけ回し
「俺はお前を殺したくない」と語らせる
場面もリアリティには欠けた
安易なシーンに感じる。
冒頭の母親の死の意味に重ね合わせて
設定されたシーンなのだろうが、
もう少し自然な設定は出来なかったのか。
前半のリアリティ溢れる戦闘シーンに
比べて、終盤の日本軍陣地攻撃のシーンも
含めて後半の脚本の練りが気になった。
また、哲学的宗教的観点が前面に出過ぎると、
本来の戦争の罪・悲惨さのリアリティを
霞ませて仕舞わないだろうか。
「この大きな悪、どこから来たのか」などの
神との対話モノローグなど、
キリスト教世界のアメリカ兵の
神との対話などの心的葛藤も、
食料医療品の供給を絶たれたことにより
飢餓や病魔の地獄絵図の中に放り込まれ、
せいぜい家族や身内への想いに終始せざるを
得なかったであろう日本兵に想いを寄せる時、
アメリカ兵の悩みが
まだ恵まれたものに感じられてしまう。
戦争に夫を奪われ、
寂寥から離婚してしまう妻のエピソードも、
例えば戦争が引き裂く恋愛劇の名作
「シェルブールの雨傘」を思い出す時、
取って付けた感を受けざるを得ない。
また、強引な戦闘を強いる上官と
その命令に悩む部下達との繰り返し描かれる
葛藤も、よく描かれる話で
画一的にしか感じ取れない。
かつてアポロ計画を揶揄した「宇宙0年」
というノンフィクション映画があり、
宇宙開発計画の光と平行して、地上での
ベトナム戦争などの陰を描いていた。
この作品では光と陰の設定が逆なものの、
自然とそれと共存する人々のシーンの挿入も
同じ意味合いなのだろうが、これも
ありがちな手法にしか感じられなかった。
テレンス・マリック監督にとっては
ガダルカナルの戦いは背景を借りたに
すぎなく、非常時における人間性の在り方を
描いた作品なのかも知れないが、
戦争映画としては、総じてアメリカ側からの
哲学的宗教的アプローチが、
ガダルカナルの戦場の悲惨さを
薄めてしまったような印象を受ける。
軍曹は「この狂気の世界で何が出来る」と
語った。そう、戦場では哲学も宗教も
無意味だ。戦争は始まる前に防がなくては
全てが無力になり意味を失ってしまう。
マリック監督の満を持しての
20年ぶりの作品とのことだが、
愛したくとも愛しきれないマリック作品で、
彼の美しい映像スタンスでの
哲学的宗教的観点からの
戦時での人間性へのアプローチも、
戦争そのものが持つ地獄性の構造の中では、
真実に迫りきれてはいなかった
ように思えた。