「なにを「忘れるな」?」メメント すっかんさんの映画レビュー(感想・評価)
なにを「忘れるな」?
○作品全体
タイトルの『メメント』はメメント・モリから来ているという。メメント・モリは「死を忘れるな」という意味で、生きている限り必ず死が訪れることを覚えておかなければならない、という言葉だが、本作の主人公・レナードにとって、この言葉は真実が開示されていくと意味合いが変わってくる。これが鳥肌の立つほど衝撃的で、痺れる映像演出のギミックだった。
序盤から早速、レナードがモノローグやダイアローグで障害を説明するシーンで、この作品のルールともいえるレナードの障害が語られる…と、言うような捉え方をしてしまうとレナード(の後ろにいるクリストファー・ノーラン?)の思う壺なわけだが、そう思わせてしまうのは作品の構成力が成せる技だろう。過去に遡る時間軸と過去から近づく時間軸によって、シークエンス単位で切り取られていくが、このシークエンスがそのままレナードの記憶の保持していた時間と合致する。そうすることでレナードの「短期的な記憶のもろさ」がシークエンスの時間と同期して、映像からレナードの記憶の脆弱さを感じとることができる、という仕掛けだ。
ただ、一方でこの演出は事件前後の真実がどういったものだったのか、というところから目線を向けさせない演出にもなっていて、私たちを「レナードは短期的な記憶は怪しいものだが、事件前後の記憶をレナードは覚えている」と誤解させる。事件前後の記憶はシークエンスを跨いでもほぼ同じ内容でレナードから語られるから、対比的にそう思わせるのだと思う。そしてそれは「信頼できない語り手」としての役割を静かに強化させる要素だった。終盤になると事件前後の記憶や、事件前のことだったサミーの話はレナードによって都合良く改ざんされたものだと判明する。この映像演出によって作られた強固な真実への壁が崩壊した瞬間は、衝撃とともに真実に辿り着いた、というなんともいえない気持ちよさがあった。
妻の死に報いを、という動機から妻の死を生きる糧として、という動機へ復讐劇は変わった。レナードを騙しはしていたものの真相を知ってサポートしていたギャメルもその犠牲となり、後に残るのはナタリーのような単純に自己の利益のためにレナードを使う人物だけになってしまった。ギャメルが死んでからは本当に同じ「復讐劇という名の殺戮」を繰り返すだけなのだろう。でもレナードはそれでいいのだ。生きる理由が体に刻まれている限り、レナードは生きる目的を忘れないでいられるのだから。
○カメラワークとか
・映像におけるカット、シーン、シークエンスは意図的に制作者が物語のはじめと終わりを編集したものだ。この作品でももちろんそうなのだが、レナードの記憶が途切れるとシーン、シークエンスが終了してしまうため、レナードの記憶の限界がもう一つの時間軸へカットバックするというのが、ほんとに素晴らしいアイデアだった。
○その他
・真実がつまびらかになったところも面白かったけど、一番鳥肌が立ったのはナタリーが暴言を吐いた後、車の中でレナードが忘れることを待っているカットだ。ここのナタリーが作中で一番明確に悪意を持ってレナードの障害を利用しようとしていたと思う。ナタリーのじっとレナードを見る目線。めちゃくちゃ怖かった。やっぱり一番怖いのは幽霊でも化け物でもなくて、人間の悪意だ。映画の中でもそれは変わらない。