ロスト・イン・トランスレーションのレビュー・感想・評価
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失われた訳 そう言えば、この映画の日本人の女性通訳は役立たず♥
日本がまだ世界から相手にされていた頃のお話である。
また、
日本に限ったことではないが、TVが許容を超えた時代だと思う。つまり、コンテンツの数が人間の数と時間の数値よりも上回ったと言う事だ。一人の人間に対していくつものチャンネルが存在した時代。つまり、コンテンツと言う物欲に市場主義は人類を追い込んでいたと言える。演出家には言いたい。アメリカだって同じだろって。
だがしかし、日本はそう言った事を何一つ疑問に思う事なく現在に至っている。
そして、例の震災で世界のお立ち台から降りる以外道は無くなってしまった。つまり、世界経済に於ける日本のキャピタリズムの役割が、日本人には、間違って伝わってしまっていると言う事だと思う。そして、悲劇は世界よりも早く訪れたと言う事だ。
さて、エネルギー産業も含めた現在の産業界も、一部の経営者を除いて、未だに旧態依然の産業を残そうとしている。そして、それを容易にする為の短絡的な手法だけにこだわっている。
本来は、産業そのものの形を変えねば日本の産業は再生しない。アメリカ欧州中国そして韓国の後追いしていても今更遅い。だからこそ、日本に取っては良い機会なのである。いずれ、世界のキャピタリズムは現在の日本の様な事態に陥る。日本は運良くそれを先進している。言い換えれば、キャピタリズムの先進国なのだ。
アメリカの俳優はTV番組すら出たがらない。言うに及ばず、アジア系の映画やテレビ番組なんてもってのほかで、コマーシャルに至っては芸を削るようなもの。らしい。
最後の細魔◯晴臣さんの歌を聞くと太田◯彦さんの日本◯酒屋紀行(?)を思い出す。あの頃はまだ良かったよ。そろそろ陰りは見えていたが。
ラストの囁きはなんだったのかな?
2023年に映画館で鑑賞。公開時は田舎にいたので観られず、その後レンタルとかしてまで見ようとはしてなくて。
字幕翻訳は松浦美奈さま。ヴァージンスーサイズに続いて。
ほぼ20年前だからビル・マーレイの若いこと!スカヨハはもちろんのこと、中高年男性の50代と70代って、当然ながらこんなに違うんや…という。
2004年って、わたしもまだ22才だからさ。
東京の夜景が、きっと2023年とは違うんだろうけど、はたちごろの私が憧れた“かっこよくておしゃれなTOKYO”に近かった。ソフィアコッポラが異国として味わったイメージと、地方の女の子が憧れたイメージが近いって、なんなんだろうか。異国くらい遠く感じてたのかな。
ダイアモンドユカイ演じるCMの監督のセリフを、ほぼ無視した翻訳が酷いなぁって思った。そこがミソなんだろうけど。監督がわめいてることと、二流感のある通訳者のいうことの差を、意味がわからんまま感じる違和感みたいなものが、多分テーマだもんね。
すっごくおもしろかったかというと、そうでもないんだけど、テーマ的なものを、直接的な言葉ではなく、会話でもなく、状況の描写の中から浮かび上がらせるのが上手なんだなぁっておもった。
ラストの雑踏の中で、ビル・マーレイがスカヨハに囁いたのはなんだったのかなぁ。
ひとときの出会い、そして永遠の想い出
どこかに1人でポツンといるのも孤独ですが、大都会にポツンというのも孤独ですよね。僕自身が夜に街に繰り出すというタイプではなく、暗くなったら家にいたいタイプなので(笑)、ナイトクラブなどに行く場面より、ホテル内のバーや部屋、廊下などでの2人の時間が好きです。 切ない気持ちになりますが、いい物語でした。 特別な絆というか、最後キスをしてもお互いの伴侶を裏切った感じがしないのがよかったです。 できればシャーロットが日本を発つまでいてほしかったですが、それだと作品の質が少し落ちちゃうのかな(笑) どちらかが先に帰っちゃうからいいのか(笑) 僕も誰かとゆっくりお話しをしてみたいです。 家族と暮らしていますし仲はいいですが、それとは別に全くの他人とゆっくりお話しをしてみたいです。 僕は独身なので誰かを裏切ることにもなりませんし(笑)
alone in confusion
普段から日本の変な所に目をつぶって溶け込んで来たので、西洋目線でまじまじと描かれると心苦しくなります。また、自分らを基準とする西洋人の上から目線もイラっとします。しかし東京文化を、茶化し過ぎず、美化もせず、ただ「違う」のだと、ありのままを映しているほうかなと思いました。Bill Murrayのリアクションで、笑いに変えてくれて救われます。
滞在ホテルの部屋の散らかり具合が、CharlotteとBobの心の有り様のようでした。大学卒業して結婚したは良いけど夫は仕事に夢中で孤独なCharlotte。家族との距離を感じ、仕事も下降気味、映画ではなく、ギャラの良さだけで日本のCMに出演しているハリウッド俳優のBob。これから先の人生どうしたらいいか分からない、と悩む2人が、これまたグチャグチャした都心で彷徨います。
大都会には、遊ぶ所、時間を潰す所が沢山あります。しかし何をしても孤独は埋まるのではなく、忘れるだけなのです。混沌の中でも、人の孤独を癒すのは人でしかない、ということでしょうか。
日本の商品を国内で宣伝するのに、わざわざハリウッドスターを使う日本企業。黒髪を脱色して街を闊歩するギャル達。似合いもしない?格好をするロックンローラー達。何故バーのミュージシャンやスポーツインストラクターが外国人なのか。西洋への強烈な憧れから、アイデンティティを失い、このグチャグチャに混雑した風景同様、日本人も血迷っているように見えるのでしょうか。しかし外国人が思うほど、迷ってはいないのですよ。取り入れて発展させるのが上手いのです。古都へ行けば、日本にしかない静寂と伝統は残っています。(今や京都も年中混雑してますが。)
都心の風景、と言っても建築物や看板ですが、結構変わったな、と思いました。
Scarlett Johansson、ピンクのウィッグが似合い過ぎ(o^^o)。
ファザコン映画の傑作
別にS.コッポラのお父さんが有名監督だからとか、そういう理由ではなく、本作、ストーリー的にファザコン映画だと思う。
本作の主役マーレイとスカヨハは、年齢的にも、関係性からいっても(性的な相手はそれぞれ他にいる)、疑似父娘のように見える。
各々の伴侶は仕事や家事に追われ、マーレイやスカヨハの孤独に気づいてくれない。
真に孤独を分かり合えるのは、夫婦ではなく、(疑似)父娘の関係性においてのみ。
この臆面のないファザコンっぷり、面白いなあと思う。
(S.コッポラの『SOMEWHERE』でも、父の孤独を理解できるのは元妻や愛人ではなく実の娘だ。)
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同時代の監督さんたち、PTAやW.アンダーソンも、別の角度から、ある種のファザコン映画を撮り続けていると思うのだけど、S.コッポラのストレートさも、興味深いなあと思う。
相互理解の難しさ
冒頭から画面の隅々まで多い尽くす"東京"という奇妙な街の放つ疎外感。
まるで街そのものが生き物で全てを拒絶するかのよう。
孤独や疎外感をテーマにしたこの作品は東京でなければ撮れないそんな思いさえ持たせる。
相互理解の難しさ、メキシコの名監督イニャリトゥにも通ずるこの現代社会にとって不偏のテーマをソフィアは鮮やかに描ききる。 徹底的に人の温かさを廃した演出は冷酷だからこそたった1人の人間と繋がり合うことをより美しく温かいものにする。
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