「青いカーディガンを着た少女が『さようなら』」リトル・ダンサー マサシさんの映画レビュー(感想・評価)
青いカーディガンを着た少女が『さようなら』
青いカーディガンを着た少女が『さようなら』それだけが良かった。
ストーリーと全く関係ないが、それだけが良かった。
全く出鱈目の話で、ストーリーに感動しようがないが、こんな馬鹿親父(ピアノを壊すなんて最低!)のDNAを受け継いだ息子が、普通に考えて、成功しないと思うし、ロイヤル・アカデミーの選考委員も何故?この子に合格を出したか。それが理解できない。『踊ると気持ちよく、頭の中が真っ白になる。』つまり、ボクシングやるのと一緒だと思うが。ボクシングやサッカーはスポーツ。バレーは芸術。その違いを説明しなければ。
首相が女性になったが、女性だから、良いと言う訳ではない。この映画の時もサッチャー、今度も女性の首相。しかし、平和には程遠い。彼女はサッチャーと同じだと思う。
今日で3回目の鑑賞になるが、今日、この映画の欠点が分かってしまった。がしかし、踊りのうまさに魅了されるのと、『グッバイ、ビリー。』『シーユー。』
初恋の少女の話。
はじめまして
フォローありがとうございます😊
共感もたくさんありがとうございます。
ビリーを演じたジェイミー・ベルが22年後の現在も活躍してるのが
嬉しいですね。
『ロケットマン』の心優しい親友役が素敵でしたね。
『ビリー・エリオット』というミュージカル映画のDVDがあるのですか?
(お孫さんから帰ってこない・・・コロナですものね、会えませんね)
私もTSUTAYAをやめましてAmazonプライムで課金したり、家のテレビがJ:COMなのでオンデマンドで観ていますが、貴重な映画は中々配信では観
れない状況です。
いつか観れたらいいです、宿題にします。
よろしくお願いします。
マサシさんへ、コメント有難うございます。
母親が使っていた想い出のピアノが暖炉で焚かれて気分を害されたようですね。音楽愛故の正直な感想と推察致します。私も初見の時は驚きました。参考までに私なりの解釈で説明したいと思います。
物心付くか付かない頃に母親を亡くしたビリー少年の母の形見は、成人になった時に読んで欲しいと遺してくれた手紙でした。宝物としてウィルキンソン先生に紹介した時、空で言えるくらいに何度も読み返して頭に沁みついている場面がいいですね。ビリーは普通のおかあさんだったと答えますが、それ以上の思い出はなかった。母親が幽霊で現れるシーンでは、お行儀の悪さを優しく指摘する母親像が表現されています。ピアノは、父親の亡き妻への想いの象徴として扱われてます。ストにより最悪の寂しいクリスマスの日、そのピアノを破壊して薪代わりに暖をとる展開ですが、おかあさんのピアノなのに何故とのビリーの問いに、父親は自分に言い聞かせるように、おかあさんは死んだんだ、と吐露します。家族の中で、このお父さんが一番妻の死を乗り越えていない。それは、長男トニーの台詞にもありますね。
ビリーがバレエをやりたいのに家族全員が猛反対する設定が、この映画の要です。唯一フレッド・アステアファンのおばあちゃんが居ますが、認知症なのが味噌です。このユーモアの味付けが巧い。男の子二人に恵まれた父親は、妻に頼りきりだったことが想像できます。でも、このピアノを火葬することで、父親は男としてより人間として強く成らざるを得なくなる。その涙も描かれています。妻が生きていれば、ビリーが望むバレエの道に進むのに賛成していたでしょう。ビリーが意を決してバレエを踊るのを観た時、父親の中に亡き妻が入り込んでいたからこそ、それまでの頑固さが瓦解し、子の将来を応援する親として最高のクリスマスプレゼントをビリーに与える覚悟が生まれる。そのためには男の恥なんて、どうでもいい。それが、この映画の泣かせどころのシーンに繋がるわけです。
とても大切な人が居なくなるのは、誰でも辛く悲しい。でも残された者たちは生きて行かなくてはならない。この映画の夢に向かって強く生きるメッセージは、主人公ビリーのダンスで具体的に表現されていますが、このお父さんの心境変化と人間的な成長も背景に丁寧に描かれていることが素晴らしいと思いました。 長文失礼致しました。