「愛をなかったことにしないために記憶し続ける」花様年華 abokado0329さんの映画レビュー(感想・評価)
愛をなかったことにしないために記憶し続ける
ウォン・カーウァイ監督作品。
オールタイムベスト作品です。
物語は面白く、撮り方はお洒落で、トニー・レオン(チャウ)はかっこよく、マギー・チャン(スー)のチャイナドレスは見惚れる。全てが好き。
そしてお互いの伴侶の不倫が発覚するまでのショットの素晴らしさよ。何一つ不足なく、無駄がない。
チャウとスーの伴侶はカメラの前には一切現れない不在の存在である。唯一存在が確認できるのは、声のみである。しかし伴侶たちはチャウとスーが現れるカメラのフレーム外で彼らを裏切り、逢瀬を重ねているのである。不倫も結婚生活には一切現れない不在の関係である。だからカメラのフレームとそこから外れる不在によって巧みに不倫を描いていると思うのである。
しかし彼らは不倫の事実に落胆するのではなく、彼らも不倫に向かっていくのである。秘密の共有。彼らの愛は滾っていくのである。
ここで「遊び」の概念を導入する。
不倫とは生活のために行うのではなく、むしろ生活の日常ゆえの平凡さからの逸脱という意味で「遊び」のためなのである。
チャウとスーも不倫が遊びであることに自覚的である。自らの生活を破綻させるほど深入りをしてはいけない。部屋の管理人が麻雀に耽るように、秘密の共有による背徳感に楽しみを感じられればいいのだ。
チャウは小説執筆の仕事も始め、部屋も借りる。そしてスーに仕事の手伝いを依頼する。二人は密室での不倫に移行していくのである。即座に性愛がよぎる。しかし彼らはあくまでもプラトニックな愛を維持していくのである。その愛は小説の執筆という創作活動によって営まれる。だが私はこちらの愛の方が性愛よりも罪深いと思うのである。創作する上では、二人の感性が一致していなければならない。そして小説として形あるものが生み出される。そしてその小説はなかったことにはされない。性愛よりも高次な愛の気がする。
そしてごっこ遊び。スーが夫の不倫を問いただすシチュエーションで。スーがその遊びに耐え切れず、涙を流してしまう瞬間、不倫という遊びが本気になってしまったと思うのである。本気の不倫。だが彼らが密室の不倫に移行した瞬間、すでに終わりに差し掛かっていたのかもしれない。部屋番号は「2046」で、彼らの愛が時限付きであることが示唆される。そしてスーが管理人に遊んでばかりいるのではと指摘された瞬間、彼女は遊びに本気になっていることを自覚するのである。スーが我に返ったからーその顔の表情を確認できたのが今回劇場でみて大きな発見なのだがー彼女は生活に回帰したのではないだろうか。
だが彼らはふたたびごっこ遊びをする。二人が二度と密会しないというシチュエーションで。その時、決心したにも関わらず本気の不倫が浮かび上がってくるのである。私はそれこそ真実の愛だと思っているのだが、それが確かにカメラの前に現れてくるのである。帰りたくないとスーが告げ、彼らのタクシーがどこに行ったのかは分からない。けれどまた一つ誰にも言えない秘密が生まれてしまったのである。
秘密の時間は終わりを迎え、離れ離れになった二人。チャウはシンガポールを経由しつつカンボジアに行き着く。彼は秘密をアンコールワットの地に封印する。
彼らの愛はなかったことにはされない。スーに子どもがいても、彼らの部屋が、当時の香港が、微かな痕跡だけを残して変わり果てても。この映画が記憶し続ける。私たちが記憶し続ける。