劇場公開日 1980年12月23日

「そもそも凄かった」シャイニング R41さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5そもそも凄かった

2025年6月1日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

ずっと昔に見たきりだったこの作品を、「ドクタースリープ」を見たことでもう一度見る必要になった。
映画『シャイニング』における原作者のスティーヴン・キングとスタンリー・キューブリック監督の意見の相違は、映画史においてもクリエイティブな対立として有名な話だ。
この物語のテーマと解釈に意見の相違があったとされる。
キングの意図
家族愛、父性、アルコール依存症との闘い、そして人間の再生を描いた心理的ホラー
キューブリックの解釈
人間の内に潜む暴力性や狂気を描く、冷徹で象徴的なサイコホラー
つまりキングは、キューブリックが原作である「人間ドラマ」と「心理的恐怖」を無視し、「視覚的で抽象的な恐怖」に偏りすぎたと批判した。
また、ジャック
原作ではジャックは複雑で共感できる人物
アルコール依存症に苦しみながらも家族を愛しており、狂気に陥る過程が丁寧に描かれる。
映画ではジャックは最初から不安定で狂気じみており、家族への愛情がほとんど描かれない。
キングは「映画のジャックは最初から狂っている」として、キャラクターの深みが失われていると不満を述べていた。
その他ウェンディや超自然現象の表現に相違があった。
特にラストシーン キングは「映画のラストには希望がない」として、原作の持つ救済のメッセージが失われたと感じていたようだ。
映画ではさらりと流されたアルコール依存症だが、ジャックの飲む酒は「ジャックダニエルズ」 つまり、ジャックとダニーだ。
ここにも意味深さが伺える。
自分自身を飲むという暗示 アルコールに飲まれてしまうこと 自己破壊 このことが「ドクタースリープ」ではっきりと描かれていた。
さて、
改めてこの作品を見て感じるのが映像の「美しさ」というのか、映像からにじみ出る意味深さだった。
キングはノーと言ったようだが、ジャックニコルソンが持つ雰囲気とジャックはとてもマッチしているように思う。
冒頭 ダニーのイマジナリーフレンド 映画「イマジナリー」と同じく、幼少期に子供がする言動 セルフトークという場合もある。
しかしダニーの「トニー」は、ダニーの空想ではなく霊的な第三者でもなく、おそらくギフト的なものだろう。
もう少し妄想すると、トニーとは未来のダニーのようにも思えてくる。
ダニーはすでに悪い予感をキャッチしていた。
既にそこからジャックの中には狂気が巣くい始めている。
小説と映像描写は時に相容れなないほど対立するのだろう。
それを作家とひざを突き合わせて修正するのが一般的だと思うが、当時のアメリカではかなり強引だったのかもしれない。
ただ、
キングの主張は彼独自の考え方で、キューブリックのアレンジは映像としてとてもいいものになっていると思う。
映像化することになった時点で、作品が姿かたちを変えるのは、今となっては当然のことだろうが、当時は相違が遺恨になってしまったのだろう。
さて、、
キングの書いた原作は、キングらしさが詰まっている。
ホラーを通して伝えたかった彼のテーマは、家族の再生であり邪悪さとギフト そして父としての責任だった。
キューブリックのそれは、ホラーそのものが持つ世界観を楽しんでもらいたいことだったように思った。
ジャックの孤独 一人で抱えている責任 それが狂気となり暴力になる。
象徴や謎めいた演出があり、明確な答えを提示しないことや時間のループ(最後の1921年舞踏会の写真)という謎。
基本的な内容は同じでも、まったく違う感じがする。
1980年当時
最後のシーン ジャックの凍死 今では考えられないほどあっさりした終わり方をしている。
当時怖いと思ったものも、今では平気で見ることができる。
でもやっぱり面白い。
冬季閉鎖するホテルの管理人
過去の不可解な出来事
インディアンの墓地
これから何か起きることを視聴者に予期させる手法
やはりあのタイプライターで書いたものをウィンディが発見するシーンは怖すぎる。
タイトルのシャイニングという言葉とその意味もはっきりと描かれていた。
不穏を予期し、飛行機に乗ってまでホテルまで行ったハロラン
その彼がたった一撃で殺されてしまう。
彼の予感 シャイニング
それはギフトでもあるが、恐怖に飲み込まれると自分自身の破滅になってしまう。
幽霊らしからぬ人々
キューブリックが当時視聴者に委ねた解釈
これが「ドクタースリープ」になった。
しかし、ドクタースリープもキューブリックの解釈で、彼の独断の解釈による映像化で良かったように思う。
書く才能と映像にする才能は別で、読むのと観るのもまた頭の使い方は異なるだろう。
卓越した才能を持った人たちは面倒くさいものだ。
オリジナルに被せた独自の解釈
当然印象はまるで違ったものになる。
原作の内容がまったく別物だと知れば、人は原作も読みたくなるのではないか?
原作の出来が良ければ映画も面白くなる。
映画のために書く脚本よりも、原作を元に書き直された脚本は、映像としての表現を伴った最高の作品になるようにも思う。
その、2つが存在していいと思った。

R41
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