「Don't panic! これSFなので」銀河ヒッチハイク・ガイド 因果さんの映画レビュー(感想・評価)
Don't panic! これSFなので
SFの真の妙味とは何だろうか。
科学を現実世界のコードに従って拡張させた未来世界を描き出すというのも確かに一つの味だが、私はむしろこう思う。
すなわち、人々の中にある固定的な価値観に新たな進路を提示すること。
本作のSF的オブジェクトは概して非科学的・非現実的で、もはやナンセンスと呼ぶ以外に分類法がない。しかしそれらの荒唐無稽さが「銀河ヒッチハイク・ガイド」とか「無限不可能性ドライブ」とかいったSFチックにキャッチーな弾薬に込められ、それを何の躊躇もなくBANGとやられると、見ているこちらもなんだか本当にそういうものが存在しているんじゃないかと思えてきてしまう。
極論によって価値観が変わることもないではないが、そこには何か正当な理由がなければいけない。たとえば「人は殺してもいいものです」という価値観を刷り込もうとして、「人は殺してもいいものです」とだけ発話したところでそれを間に受け内面化する者はほとんどいないだろう。
しかしその点SFはいい。先も述べたように「銀河〜」とか「無限〜」とかいったSF的述語で包括することさえできれば、あとは「これはSFである」というコンセンサスが勝手に正当性を付与してくれる。
本作はそういった「SF」というカテゴリを取り巻くコードを知悉したうえで、その範疇内を自由自在に飛び回っている。確かに表向きは荒唐無稽なナンセンスが次から次へと巻き起こるが、それらは「これ以上やったらシラける」的なラインを完全にわかったうえでの露悪芸なので安心できる。それどころか、作り手の巧みな語り口に乗せられ、ついついそれらのナンセンスにリアルな重みすら感じてしまう。『タイタンの妖女』『猫のゆりかご』で有名なSF作家のカート・ヴォネガットなんかもそういう巧みさがあった。
本作には撃ち手の価値観が撃たれた側に伝播してしまう価値反転銃なるものが登場するが、それってまさにこの映画そのもののことなんじゃないかと思う。我々は知らず知らずのうちにこの映画に射抜かれ、多かれ少なかれ自分の価値観を変えられていたのではないか。そんなことを考えてしまう。
本作が我々の価値観に提示する「新たな進路」とは、言ってしまえば虚構とナンセンスによって敷設された「存在しない道」だ。しかしそれを実際に存在するものとして踏み出してみたとき、我々はたとえ空中であろうとその上を歩くことができてしまうような気がする。
たぶんこれも価値反転銃のせい?