グッドナイト&グッドラック : 映画評論・批評
2006年5月9日更新
2025年2月7日よりヒューマントラストシネマ渋谷、新宿武蔵野館ほかにてロードショー
ジョージ・クルーニーの本籍はブラウン管なのだ
時の権力に立ち向かったTVジャーナリスト、エド・マローを描くドラマとして、共産主義弾圧を大義名分に自由が死んだアメリカ暗黒史として、優れた“1950年代の物語”である。しかし、大上段に構えた伝記映画ではない。むしろ、メガホンを執ったジョージ・クルーニーのささやかなプライベート・フィルムとして見るべきかもしれない。
クルーニーはニュースキャスターの父の子として育ち、テレビドラマでブレイクし、初監督作「コンフェッション」もテレビに材を取った。彼にとっての本籍は、銀幕よりもブラウン管なのだ。モノクロの画面に引っきりなしに映し出される紫煙の立ち込めた閉塞的な局内。マローの理解者であったプロデューサー役を演じるクルーニーが、本番中にカメラから見切れる位置に伏せるようにして身を隠す。それはまるで、父の職場によく遊びに行っていたという幼少期の彼が、真剣に仕事に取り組む大人たちを見上げていた視線を再現するかのよう。
信念を貫いたマローも、視聴率一辺倒へと傾く趨勢には勝てなかった。その産物としての虚構に満ち弛緩した現在の画面。これは、表現の仕事に全人格を懸けて挑んだ者たちの緊迫感を肌で感じ、その精神を“仰ぎ見る”作品だ。
(清水節)