シザーハンズのレビュー・感想・評価
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バートン色と大衆性との絶妙なバランスが図られたファンタジー
30周年を迎えた本作は、ティム・バートンが幼少期に着想し、スケッチブックにデザインしたキャラ設定が原案となっている。人付き合いが下手で、疎外感や孤独感を抱きながら暮らしていたバートン自身が投影されているのはもちろんだが、それでいうと「バットマン」や「ナイトメア」を始めとするその他のキャラたちもまた、バートン自身だ。彼はそうやってぐるぐると自分について鏡の角度を変えながら描き続けている。
改めて鑑賞すると、パステルカラーの街並みにゴシック調の城、そこに炎をイメージする赤やオレンジの色合いが徐々に増え始めていく緻密な配色の構成に驚かされる。これは「フランケンシュタイン」をはじめとするモンスター・ファンタジーで民衆がたいまつを持って城へ押し寄せてくる描写の現代版か。バートン色をいかんなく発揮しながらも、あえて伝統的な物語運びや話法を用いて、大衆性と絶妙なバランスが図られた一作と言えるのである。
評価は苦手な自分の感想
朝10で映画館で観ました。
タイトル通りで、考察やらが苦手な自分の感想です。(何の参考にもならんかも)
ヒロインに惚れる感覚は解りませんでした。
おまわりさん、いい人だなあ。
台詞少ないのに表情やらで魅せるジョニデ凄いなあ。
そして、
また映画館で観て、色々感じ取れたらいいなあ。
この監督の他の映画も観てみたいなぁ。
ホント、参考にもならん感想でごめんなさい。
ジョニー・デップの演技は楽しいけれど
ギュッと詰まった不思議な世界観と時代感覚
ティム・バートンらしい如何にもヘンテコな作品ではある。ただし「ビートルジュース」や「チャーリーとチョコレート工場」のようなぶっ飛んだ感じはない。それはひとえにエドワード・シザーハンズという主役が純粋で、人への愛を十分持ち合わせていて、でも自分や他人を意図せず傷つけてしまう手を持っている、存在の哀しみが強調されているから。考えて見れば、この二律背反って奴は人間の営みには必ず付きまとうもので、その点、エドワードを創り出したのがマッドサイエンティストではなく発明家であるというところが興味深い。多分、発明家は悪意ではなく、人間の進歩を目指してこのようなものを造ったのだろうが、それが時として人間を不幸にもしてしまうというところ、例えば原子力なんかにも一脈通じる。
それはそうと、この作品の舞台、1950年代のアメリカの郊外がイメージされているんだろうけど、普通の街並みの隣に古いお城がそびえ立っているところ、これは「アダムスファミリー」なんかもそうだけど独特の世界観ですね。こちらの世界とあちらの世界が半径500m圏内に併存する宇宙ということになる。それとこの話はおばあさんになったキムが昔話を孫にしてやる設定なんだけど、じゃあ、今という時は何時なんだ、と時間のひずみも感じられる。面白いですね。この時間も空間も凝縮して押し込められたような感じ。ティム・バートンのヘンテコな感じというのは根本的にはそこに由来するのかもしれないね。
頭の中の世界を手作りで
静かな優しさが胸に残る物語
だいすきなこの作品を劇場のスクリーンで観ることができて、超超超感激しています!
午前十時の映画祭ありがとうございます!!
『シザーハンズ』は、何度観ても心の奥にそっと触れてくる不思議な作品です。
ハサミの手を持つ青年エドワードは、見た目の異質さとは裏腹に、誰よりも純粋で優しい存在として描かれます。その優しさが、必ずしも世界に受け入れられないという現実が、この物語に静かな切なさを与えています。
ティム・バートン監督ならではの、パステルカラーの住宅街とゴシックな屋敷の対比は、エドワードの孤独を雄弁に物語ります。派手な演出や説明的なセリフに頼らず、映像と空気感で感情を伝えてくる点が印象的です。
特に心に残るのは、エドワードとキムの関係性。互いを想いながらも、近づくほどにすれ違ってしまう距離感は、恋愛映画としてだけでなく、人と人との「違い」を描いた寓話としても胸に響きます。
本作は、分かりやすいカタルシスを用意してくれる映画ではありません。しかし観終わったあと、雪の降る静かな余韻とともに、「優しさとは何か」「理解するとはどういうことか」を考えさせてくれます。
時代を越えて愛され続ける理由が、確かにここにある一本です。
切なくて美しい
34年振りに劇場で観賞
愛し愛される関係でなくとも
何度かこの映画を見る機会があったが、そのどれもに違った感想を覚える、おとぎ話のような映画。
最初見た時はサイコホラー映画のようなビジュアルとコミカルな内容のギャップに懐疑的で人間模様など全く見てなかった。しかしながら、今やそれらに対しても隅々まで見られる余裕が出来るようになり、エドワード・シザーハンズという人物の、奇怪でありながら妙に生々しい人間らしさを持つ人物に惹かれるようになった。
ヒロインに対しても、不良と絡んでる奴がこんなに優しい訳なかろうと思っていたが、自分の周りには案外ああいう不良のような強さに憧れながらも、どこかで優しさを求む女性は多かったと思う。彼女の周囲(特に家庭周り)がもたらした影響だろう。そう言ったキャラ配置が自然になされている所は素敵だと思う。
伏線周りの回収の仕方も見事で、本作だけでも物語を完結させられているし、広げようと思えば広げられる。主演のジョニーデップは続編を求めてはいるが、本作はこれで完結させる事の方が鑑賞者の人生において大きな糧となれるパワーを秘めている。
現実の恋愛において支え合う事も大事だが、この映画のように、誰かに姿形が見られなくとも、好きな人やものに対して行動を魅せ続けられる事の方が、生きるための本質を付いていると思わせてくれる、そんな美しく、切なく、笑えて泣ける1作。
「シザーハンズという名の、世界一切ない美容サロン」
ティム・バートン
白と黒に統一された風景のダークな屋敷。対して町はパステル調のカラフルな世界。おとぎばなしのようなストーリー。犬の毛のカットや髪のカットの技術の素晴らしさを見せつけけられたときにはもてはやし、人を誤って傷つけてしまったときには犯罪者扱いしてしまう。人間の愚かで浅はかな心の揺れ具合と純粋なハサミ男の対比。『美女と野獣』のような描写で、心打たれました。
最初に観たときは童心に帰って見たけど、改めて見るとやはりティム・バートンはいい。オートメーション工場でクッキーをつくるマッド・サイエンティストの雰囲気はチャップリンの『モダンタイムス』を思い出すし、機械に心を与えるなんてのはフランケンシュタインの物語のようだ。ファンタジー、恋愛映画としても楽しめます。
手がハサミ大喜利映画NO1
現代のお伽話とあったがまさにそんな感じだった
なんせ語り部おばあちゃん物語だから
案外簡単に下界に降りてきたシザーハンズにも、すんなり受け入れた近所も抵抗とかないんかい
だってエドワード遠くから見たらほぼリュークだし
ティムバートンはウィリーウォンカもそうだったけど、ジョニーデップを青白い肌にしたいらいい
病的な白さだった
手がハサミになってるやつあるあるを大量にやるんだけど全部に共感できなすぎて面白かった
・ズボンが履けない
・すぐ顔切る
・グリーンピースが食いづらい など
もう途中から手がハサミのやつ大喜利みたいになってた
レタスみたいなん給食くらいの量きったり、トリミングしたり、BBQの串にされたシーンが一番良かった
ゾロリみたいな話
終盤に行くにつれて雲行きが怪しくなってきたところは切なかった。切ないと感じてるのもちょっと悔しかったけどだいぶ感情移入してた
ただツッコミどころが1000個くらいある楽しい映画だった
スピってるスリリングなご近所さんとか結局なんだったんだよ
人の醜悪さが際立ち、再鑑賞をためらう気持ちと、クッキーマシン等に惹かれる気持ちの葛藤。
ヒロインが、良い人っぽくなっているけれど、一番醜悪。
小学生だって、もっとましな道徳観を持っている。
エドワードを想っているように描かれているが、エドワードを利用しようとするジムを非難して、一見、善人なのだが。
自分が逮捕される、犯罪者として見られるのが嫌だから、エドワードの冤罪を晴らさない。エドワードに「逃げて」とうやむやにする。
その時の気分に流されて行動するだけの、超自己中。
街の人たちの勢いに押されて言えなくても、ジムの問答無用のハラスメントに対抗できなくても、あの両親なら、両親に告げることはできるはずだ。そのチャンスはあった。
だのに、やらない。やれない気持ちは理解できるけれど。
でも、その罪悪感を愛と勘違いし、かばってくれた優しさに漬け込む。
最悪なのが、キムは自分のその醜悪さに気づいていない。
エドワードに合わせて「拾ったお金でプレゼントを買う」ことの正当性を主張する。
盗んだお金で買ったプレゼントを喜べない私とは価値観が違う。というか、価値観が違うで済ませてよい問題なのだろうか?
ジョイスも醜悪。
自分の思い通りにならぬからと言って、虚偽の噂をばらまく。
でも、これは一般社会でもよくあること。エドワードに事実を皆に暴露されて、自分が責められないように、先手必勝。
街の住民だって、長年知っているジョイスと、知り合って間もないエドワードの言うことのどちらを信じるか。長年知っていて、かつ敵に回したくない方の言い分を認めるふりをするのは、社交的なスキルの一つ。それを知っていて、やっているジョイス。
そして、エドワードの駆逐に一番熱心になるのもジョイス。自分の汚点を知っている人は排除したい気持ちも共感はできるが。
そして、すべて自分の欲求耐性の無い、問題解決スキルの無い、人への思いやりもないジム。
パワハラ男がそうであるように、自分より上と思う人には逆らえない。
ついでに、キムの想いが、エドワードに移ったことを認められないストーカーぶりも披露する。キムへの愛と言うより、自分のもので自分を飾るアクセサリーだったものを取られたから取り返すため。
街の人の反応をひどく言うレビューが多いが、ジョイスを除いて、私にはごく普通。
街の人は、”セキュリティを壊して家宅侵入した”エドワードを見ている。裏事情は知らない。
街の人は、怒りに任せて、街のオブジェを切り倒しているエドワードを見ている。
街の人は、ケビンの顔を傷つけているエドワードを見ている。それが、本当は助けようとしたとしても、実際には傷ついている。
最近、不審者情報がメールで送られてくるようになった。
たとえ、それが知り合いでも、情緒不安定で、よく切れる刃物を振り回している姿を見たら、安全を確保してほしいと願うのは、いけないことなのだろうか。当然の反応かと思うが。
それでも、魔女狩りのように積極的に排除しようとする人々と、ことの成り行きを見守ろうとする人々が混在して…。
それに対して、エドワードを街に連れてくるペグ。
この妻にして、この夫ありのビル。
そして、素直な反応で、たぶん、一番エドワードをニュートラルに見て受け入れていたケビン。
自分たちの常識の壁はなかなか破れないし、ちゃんと事実を確認せずに勝手に決め込んだりするが、その中で、みんなWinWinになるように、心を砕き、方法を探し、行動する。
そして、エドワードを心配する警官。
エドワード。
手が鋏というハンディキャップが目立ちやすいが、本当に、エドワードを社会から疎外させているのは、その知識の無さ。イノセントと言えば、ファンタスティックだが、社会ではやっていけない。
社会で生きていくためのルールや、感情のコントロールや、マナーを知らない。問題解決スキルもない。ジョイスが仕掛ける罠だって、街で暮らすティーンエージャーなら、気が付いて防御できるだろうに。あの修理屋のように。
創造主は、自分の趣味のスタイルで、エドワードを教育するが、エドワードに合わない。
マナーを学ぶのなら、実技だろうに!
エドワードがかわいいのは画面から溢れてくるが、自分が死んでから、エドワードがどのように暮らすのかは考えていない。必要な躾は行っていない。
エドワードを見ているうちに、本人の特性に合わない教室にいて、本当に学ぶべきことを学べない子どもたちを思い出してしまう。
人生に大切なのは偏差値・学歴だけではない。ワークシートをこなすばかりで人生経験が足りず、生きる力がない。
見通しを持って行動できないから、その場の気持ちで、損な役目を押し付けられてしまう。
自分を認められて大切にしてもらう感覚がないから、信頼できる人・信頼できる行動をとれる人を見極められずに、利用されやすい。そして、貧困や犯罪に堕ちていく。トクリュウや詐欺とかにも引っかかってしまう。このエドワードのように。
そして、エドワードは引きこもる。
世にたくさんいらっしゃる引きこもりしている人達ともかぶる。現実に引きこもっている人達も、エドワードのように、世間からどれだけ傷つけられているのか。
そこに、ペグやビルやケビンのような人がいれば、まだ、一緒に暮らせるのか。でも、最終的にペグも、近所の人たちの動向に、「どうなるか考えなしに、やっぱり連れてくるんじゃなかった。」と言っていた…。ディナーのメニューだって、鋏の手では、超食べづらいもののオンパレード。世間の当たり前/マジョリティの好みを押し付ける。ハンディへの思いやりはない。ギャグのつもりか、風刺のつもりか?
街ははパステルカラー。家のインテリア・エクステリアも、女性たちの衣装も、基本、パステル色調の、ワンカラーか、バイカラーが主流。家具等には最小限の差し色はあれど、服に飾りや模様等の差し色はない。幼い頃に遊んだままごと・人形ごっこの家、ディズニーランドの街並みを彷彿とさせる。
エドワードが住む城との対比かと思い、最初はその色合いにもファンタジーの世界観と思っていたが、物語が終盤になるに従って、パステルカラーが、内に醜悪なものを隠し、表面だけ美しく見せている象徴に見えてきて、異臭を放つような醜悪なものに見えてきてしまった。
監督は何を描きたかったのだろうか。
ハンディキャップがあるもの/コミュ障の純粋さ?傷ついた心?
盗んだお金でプレゼントすることを、あれだけ尊いと主張されても、それを純粋な気持ちとは思いたくない。尤も、エドワードには落としたものを使う=盗みとは思えないだろうけれど、少なくともキムにはその判断は欲しかった。
社会で、やっていい悪戯・ズルと、やってはいけない悪戯・ズル。
聖人君子では生きられないが、それでも、人が人と一緒に生きていくためには、その線引きはあるはずだ。
現実的には人柄が良いから好きになるわけではないところが妙ではあるが。
それでも、エドワードのように、自分を傷つける人を好きになると、こういう結果になる。
そして、キムが、老いた年齢になっても、自分がどれだけエドワードを窮地に陥れているのか、それを解消する方法があるのに取らないでいる自分の卑怯さに気が付かずにいるところが悲しい。
★ ★ ★
それでも、心くすぐられるシーンは多い。
誰が掃除するの?と突っ込みながらも、見ていて楽しいクッキー製造マシーン。
鋏の手で皿の料理を食べようとするエドワードは、ギャグの演出?ナプキン使いまであって、”マナー”をおちょくっているのだろうか?
そして、ペグを演じるウィーストさん。声、ふるまい、お姿。あのスーツと帽子も、おとぎ話の世界を作り出してくれる。
ビルを演じるアーキン氏の包容力がありながらもすっとぼけた常識。強いお酒を「レモネード」と言って、ストローで一気に飲ませる父!
創造主を演じるプライス氏。エドワードがかわいくって仕方がない表情。クッキーマシンを見ているときのわくわく感。こちらも楽しくなってくる。
全93件中、1~20件目を表示
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