シェルタリング・スカイのレビュー・感想・評価
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【”広大な北アフリカを彷徨う男女二人を大きな空は見守る。”今作は、悠久の大地の中で、お互いの相手ヘの気持ちを再生しようとする夫婦のエロティックな愛の物語である。】
ー 今作は24-25年度の”12カ月連続 名作上映プロジェクト”「12カ月のシネマリレー」で4月初めに名古屋のミニシアターの殿堂で鑑賞したかったのだが、年度初めだった事もあり断念。で、自宅のミニシアターで鑑賞。(涙)-
■北アフリカの砂漠地帯。
ニューヨークから来た作曲家・ポート(ジョン・マルコヴィッチ)と妻のキット(デブラ・ウィンガー)は、かつての愛も情熱も失っていた。
異国の熱気に誘われるまま、ポートは土地の売春女と快楽に溺れ、一方のキットも旅に同行した青年タナー(キャンベル・スコット)との情事にふける。
そんな中、二人はエリック親子(ジル・ベネット&太っているティモシー・スポール、ビックリ!)と出会い、車に乗せて貰いながら、放蕩の旅を続ける。
だが、ある街でポートは腸チフスに罹患し、死んでしまう。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・原作がポール・ボウルズ(今作でも、序盤とラストにモノローグを語る役として出演。)なので、難解なんだろうなあと思って観たら、ヤッパリ難解だった。
・今作が後年”名作”と言われた所以は、1990年の公開当時に、今作で随所で映される広大な砂漠の美しいショットの数々と、その中で様々な葛藤をしながら彷徨うポートとキット、そしてタナーの姿との対比が、衝撃を与えたのかなあと思いながら観賞。
・旅をする中で、冷え切った関係が変容していく作曲家・ポートと妻のキットが大きな空の下の広大な砂漠の岩陰で、セックスをする儚いシーンはちょっと凄かったな。
・そして、今作に趣を与えているのは、矢張り、故坂本龍一氏の美しくも哀切な劇伴のマッチングなのだろうなあ、とも思ったな。
<ベルトルッチ監督の作品としては中国の故宮を舞台にした「ラストエンペラー」が、個人的には好きだが、濃厚なエロスと詩情が交錯する今作も余韻が凄いなあと思った作品である。>
不可解な最終ターン
ベルトリッチ監督と坂本龍一音楽、それだけで興味がわく。案の定、砂漠シーンや街のシーンとかとか秀逸。雑踏やほこりっぽい街並みとかドキュメンタリータッチで良かったと思う。
夫婦はこのアフリカの地で結婚10年の倦怠期を少しずつ回復しつつあった。急病という事件で絆は戻ったかに見えて、不幸な死。いやあ、ここはある日奇跡の回復を期待したんだけど、残念。
さて、その後だよね。ヒロインの不可解な行動は想定外で理解もできない。ことばも通じないから、巨匠まで完全に傍観者になって、ドキュメンタリータッチもニュース映像のように興味半分になってしまう。この30分ぐらいのアラブの隊商に加わるシーンはどういう意味があったのか謎を残したまま、何とも切なく終わる。これ、ほんとに巨匠の作戦だったのか?
Are you lost?
三角関係で始まったが、夫が病気になり、妻が献身的に看病して、夫婦関係が修復して、次はどうなるか楽しみな展開だった。
だが、結局夫は死んでしまう。そこまでは許せるとして、夫の死後、妻のとった行動は理解できない。最後は三角関係の当事者タナーと結ばれるのか否か、よくわからないエンディング。しかも、旅の始まりと同じレストランで座っている老人に声をかけられる。Are you lost?(迷ったのかね?)。老人の哲学的な独白で終わるが、意味不明だ。
撮影がヴィットリオ・ストラーロで、アフリカ、特にサハラ砂漠を非常に綺麗に撮っており、劇場で観なかったことを残念に思うくらいだ。また、坂本龍一の音楽も素晴らしかっただけに、非常に残念なストーリー展開だった。
再生をかけアフリカ大陸とセックスする男女
本作は前半だけなら、倦怠期を迎えた夫婦が異国の地で愛を再確認していくロードムービーで片付けられただろう。しかし、後半になると訳が分からなくなる。
訳の分からなさの最大の理由は、キットがサハラ砂漠の民の中に身を投じ、そこから救出されながらも、友人と会おうともせず現地の町に彷徨い歩いて行ってしまうことだ。
誰もキットの心情をあれこれ想像するが、行きつくところは自暴自棄とか、欧米式生活に嫌気がさしたとか、現地に溶け込みたくなったとかの動機にしか辿り着けないだろう。そしてそれらの説得力、リアリティの希薄さに気づき、作品評価を放棄してしまう。
え、お前はどうなんだって? 小生もだいたいそのような結論に辿り着いたのですが…自分を納得させるために、ここで屁理屈を捏ね回してみましょうか。
キットとポートは自分たちを観光客ではなく旅行者だと規定する。それは、ことによっては旅行先に定住してしまうかもしれないことを意味する。
彼らはアフリカの不思議な色の空の下でセックスするのだが、それはあたかもアフリカ大陸そのものとセックスしているように見えないだろうか。
その時ポートは、「あの空はぼくたちを守っている。しかし、その先は虚無だ。夜があるだけ」と語る。2人を庇護する空(シェルタリング・スカイ)とは何を意味するか。アフリカ世界ではなかろうか。
彼らは2人に倦怠しかもたらさなかった米国の生活を捨て、新たな人生の可能性をアフリカに開こうとしたのである。
そして予想した形とは違っただろうが、2人はアフリカにおいて命懸けで愛と再生の夢を共有する羽目になる。だからポートが病死した後、キットはその夢を貫くために砂漠の民に身を投じていくのだ。
キットはサハラの昼も夜も身をもって体験し、砂漠の民の生活の基底にまで触れていく。シェルタリング・スカイのはるか先まで辿っていくのだが、それでも肌と言語の壁は乗り越えられなかった。
定住したかったのに出来なかった旅行者のキットは、それでも帰国するつもりはない。最後に「道に迷ったの?」「そうなの」という会話で見せる笑顔から、再生の実感を引き出すことはさして的外れとも言えまい。
このわかりにくい映画のテーマをまとめるなら、「キットとポートの文明を股にかけた再生の旅」となろう。
原作者ボウルズはラストで人生の有限さを説教しているが、それが主人公たちを非難しているのか、そのような冒険をしない観客を非難しているのかは、受け止め方次第である。小生は実際にアフリカを歴訪した原作者夫婦のアポロジャイと受け止めた。
完璧な芸術作品
アフリカを彷徨うポートとキット夫婦。彼らは旅をしているただのトラベラーではなく、死までを旅する私達人間の象徴として描かれています。
夫のポートが「汽車で旅しててやがてシーツの山に衝突する。僕は、衝突すると分かっている。だが、もう遅すぎた。」という夢の話をすると、妻のキットは前兆に聞こえる。と怯えて死を恐れます。このシーンは、今後の二人の運命を暗示していますが、これは私達の運命の暗示の様にも聞こえます。つまり、本作は死が本題なのだと。
サハラ砂漠の美しさが圧巻なフィルム。その砂漠で時を刻み続けたトゥアレグ族。絶対に絶対に、ベルトリッチしか撮れない唯一無二の本物の芸術。映像美に酔いしれました。素晴らしかった。
ラストは、P.ボウルズ本人が出演していました。
私は人生に迷ったら、必ず彼の問いかけを思い出します。
『迷ったのかね?
人は自分の死を予知できず、人生は尽きぬ泉だと思っている。だが全て物事は数回起こるか起こらないか。
自分の人生を左右したと思えるほど、大切な子供の頃の思い出もあと何回心に浮かべるだろう。4〜5回思い出すのがせいぜいだ。
あと、何回満月を眺めるか。せいぜい20回。
だか人は無限の機会があると思う。』
私はあと、何回子供の頃を思い出すのだろう。
私はあと、何回満月を見られるのだろう。
私はあと、何回映画を観られるのだろう。
死を実感させてくれたら、迷ってる暇なんかありませんね。哲学的にも感銘を受けました。
極上の美しき冒険譚
久しぶりに最高の映画と出会う事ができた。
圧倒的な映像美。
色使い、カメラワーク、アフリカの大地の妖しくリアルな描写、僕はまさにこの映画のような色彩が世の中で一番好きかもしれない。
2012年にマラケシュのリゾートホテルに長期滞在したことがある。
連日気温40度を越える圧倒的な暑さ、時折起こる砂嵐、新日を装いながら中身はモラルも教養も宗教的敬虔さもなくぼんやりとした薄っぺらな愛しかないモロッコ人達、モロッコは腐った救いようのない国だったという記憶が、この映画の描写と共にリアルに蘇るようだった。念のため言うが、もちろん愛に溢れた人間もいて、旅行はとても最高な思い出である。あの退廃的で過酷な環境がアフリカの魅力でもあるのだと思う。
夫婦関係を新鮮なものにするために、環境をガラッと変えることにより、愛が新鮮化することを求めた2人。お互い愛しあいたいという感情を確かに持っていたのだ。
男は直ぐに現地の女を買い、女は周期的にくる生物学的性衝動にマッチするタイミングでモテ男と関係を持ってしまう。腸チフスでの死の直後、ラクダの民の権力者に寝取られ、性の奴隷化されるがその男に刹那的な愛を持つこともできる。
男の愛はフォルダー分け、女の愛は上書き保存。この男女差をリアルに描写したように感じた。
ナチス思想の奇しいイギリス人親子もこの冒険にスパイスを与えてくれる。旅行中ってこういう白人いるいる感が半端ない。
例えば一人暮らしの皆さん、実家の親と話すこと、永遠に続くことができると思うが、人生であと何回あるのだろう、せいぜい100回くらいじゃないか。満月を見るのはせいぜいあと20回くらいじゃないか。日々当たり前にある事象を享受し、感謝し、過去や未来に囚われるばかりでなく、今を大切に生きる。グランドホテルの老人はそんなことを教えてくれる、ベルトリッチの分身であることは明らかである。
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