劇場公開日 1991年3月30日

シェルタリング・スカイのレビュー・感想・評価

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3.5ヨーロッパ人の見た暗黒大陸

2024年6月30日
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暑さ、ハエ、ヤバそうなスープ、砂、熱病、奇妙な音楽。
昔絶賛されていたのを記憶していたのですが、私には苦痛でしかありませんでした。

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takantino

3.5「砂漠は清潔だ」と、かのロレンス少尉は言っていたけれど

2023年12月31日
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鑑賞方法:DVD/BD

2023年、
今年最後の映画鑑賞。
今年の物故者= 坂本龍一を偲んで ―
坂本が音楽を担当した本作品「シェルタリング・スカイ」をチョイス。

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【"理想郷”のイメージと化する砂漠】
前半の男女の絡みがようやく終わり、
ポートの死後から始まる砂漠のシーンが美しい。
ピンクの、薔薇色の砂のうねり。
いつまでも観ていたい、まるでローズクォーツの大海原。

砂漠を舞台とする作品群は、
小説家も映画人も、特段に意を決して取り組むものらしい。
大砂漠という、人間存在のちっぽけさを否が応でも突き付けられる、過酷なシチュエーションだからだろうか。
都会でいつの間にか着ぶくれしていた私たちは、体も精神も素っ裸にされて、あすこでは身ぐるみを剥がされるのかもしれない。

でも、意地悪な言い方をすれば
そこんところが、"意識高い系”には美味しくて、安上がりで、飛び付きたくなる題材なのだろう。
辺境の地「砂漠」への恐怖や畏怖。そして伝聞に知るその存在への憧れは、西欧文学の一ジャンルになっている。商品名もいくらでも思いつく、
・デューン(Diorのパルファム)、
・シロッコ(フォルクスワーゲンの車名、=地中海を渡って来るサハラ砂漠の熱風)、
・トゥアレグ(これもフォルクスワーゲンのRV車、キットを拾ったのはトゥアレグ族)、
・ギブリ(マセラティの車名、=リビア高地から地中海に吹き下ろす砂嵐) 、
・カサブランカ・サハラ(腕時計)等、
香水や車や時計の名前にも。

思えば、確かに、
乾き切った極限の地 =「砂漠」は、
安心で温かく、潤いに満ちていた母の胎の、それは対極にある存在かもしれないのだ。
生み落とされて、乾いた世界に放り出されて、乾ききった世の中を、僕らは数十年さまよう。
行く先を知らずに迷よい子となって生きる我々のこの世界を、「砂漠」は象徴的に表しているのかもしれない。

でも、けれども、
劇中で、キットの、作家としての混乱は、(そして敢えて言えば彼女の正常とは思われぬ様子は)、彼女が砂漠に入る前からすでに始まっていたものだったので、
だから、主役格が「砂漠」そのものなのか、この夫婦のどちらかなのか、
この映画のストーリーの展開は大変に理解が難しくて、複雑だった。

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【結婚の困難さ】
二人で、あるいは三人でいる時のほうが、主人公キットが独りである時よりも彼女の孤独は増幅しているように見える。
また
満ち足らぬ何かを埋めんとして、夫や情夫を激しく求めてみたりもする彼女の様子。また自分を失ってパニックになる彼女の様子。
水とシャンパンと、帰宅と安住を、そんな彼女はずっと旅行中も欲している様子。
「わたしは旅行者でもなく、観光客でもなく、半々よ」とモロッコの港で、確かに彼女は言った。

夫ポートは妻キットを掴まえることが旅の目的だった。だから彼は妻を追いかけ、力尽きて客死したが、
当のキットは、最後の最後まで、自分が何をしたいのかわからずに、ツーリストとして、観光客として、人生の地図を持たずにさまよっていたわけだ。
結婚についても彼女は半々。
夫婦関係においても、作家であることにおいても、そして自分自身であることにおいても。

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【ニーチェもポール・ボールズも女を弱い生き物と見る】
『荷物を背負って砂漠へいそいで行く駱駝のように、精神は彼の砂漠へいそいで行く。しかし、もっとも荒涼たる砂漠の中で第二の変化が起こる。ここで精神は獅子となる ―』
これはニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」の一節。ドイツのニーチェも かように「砂漠」を語った。
ポール・ボールズも、このニーチェから原作の構想をインスパイアされていたかもしれない。
ニーチェは、神と他人ヒトへの依拠を捨てて、汝こそ意志の主役たれ、という勧めなのだが。
ツァラトゥストラは読み進むと"女には哲学は無理だ”というドン引きの一文に出くわす。

夫を失い、
山程のスーツケースを失い、
単身となったキットの前途や如何に。

映画は後半に突入。

【砂漠万能説の破綻】
そして映画の後半は、キットのその後を追うには、あまりにも丹念さも、尺も足りていない。
ポートが死んだあとの彼女のエピソードは、あまりにも撮影も演出もおざなりで、付け足しのオマケの扱いだ。
「そこから何かが始まる」のではなく、「彼女には何も起こらなかった」というつまらない幕切れだった。
これがこの映画だ。

ラクダの隊商の主人から熱いお茶を勧められ、肉片を与えられ、新しい庇護者を見付けて精気を回復していく(かのように見えた)キットの顔が、見ものだったのだが・・
(「原作」では、オアシスで水浴びをした彼女は、現地の男たちからレイプされて村へと連れ去られる流れとのことだが )。

けれど、
キットは、やはりこの映画では人生の主人公にはなり切れなかった。
隊商の妻になることもせず、新しい夫と折り合うこともせず、
自身の小説の下書きを、部屋のデコレーションにして切り刻んで、まるで物狂いだ。

砂漠に聖いものを探し、そこに偶像を求めたのが「アラビアのロレンス」だったが、
けれどもその砂漠でさえ浄化しきれぬ我々の自我の喪失とか、他者依存とか、そういう「業」と表現できるものが「キットの頭上のシェルタリング・スカイ」には有るのではないかと思えた。
大量のトランクを数え数え、
悪い夢見や過去の様々を引っ提げたまま、
ポートに追従し、オンボロのバスで揺られ、蝿にたかられ、赤毛の親子には付きまとわれ、三角関係の泥々をそのままにしょい込んで
キットの旅は偶然に流されるがまま。

ポートと結婚しようが、砂漠の民の第4夫人になろうが、キットは自分を発見しない。

砂漠の上空には《シェルター=蓋》など、本来は無いはずなのだが、映画の描くこの女性には、自己喪失の、息の詰まる落し蓋が重くのしかかっている。

結局、大使館員に保護されてふる里アメリカへ帰ることになるキット。
何も見つけられずに故郷へ戻るだけの、実りのない旅路を見せつけられた映画の作りだった。
監督ベルトリッチと、相方マルコビッチの組み合わせなら、このようなサイケな映画になることは仕方がないか。

作家キットが、自らの旅を振り返り、後に紀行文として著したのなら印象はガラリと変わる。
彼女がこの小説の原作者であったのならば、だ。

しかし
・人間は、あと何度満月を見ようとも、
・あと幾度幼き日の思い出に浸ろうとも、
人間は、さ迷い続けて、それで結局終わりなのだと、原作者ポール・ボールズは
キットの旅路を睥睨し、カフェに座って、彼女について嘆息するのだ。

この映画からは何かを学ぼうとするのは、無理だと思う。
女からは学ぶものは何も無いという見下した視線を、この映画は示して終わる。

おそらくは、編集や演出や脚本がいけないのだ。
僕がもし監督をやるのなら、男のポートに対してもその都度、女のキットに対してもその都度、「迷ったのかね?」の言葉を双方にイーブンに与えたい。それによって「旅と迷い」という普遍的なテーマが、よりわかりやすくなるはずだ。
これこそ原作を読んで、著者の本意を確かめておかねばなるまい。

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僕はあしたから近場の安い温泉で数泊。お正月の骨休みです。
キットさんは、頼むからもうちょっと踏ん張ってください。ポール・ボールズのおっさんを驚かしてやってください。
よろしくお願いします。

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きりん

2.590年代のお洒落映画の粋内

2022年12月25日
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幸せ

全編通して何らかのメッセージがあるか?と言うことを考えた。

夫婦の変わった恋愛及び人間模様をベースに話が進む。紆余曲折、くっついたり離れたりだが、ラストは互いに一定の結び付きを得る、というもの。そこにメッセージは??

答えとして、メッセージ、カタルシスは無い。

90年代に流行ったお洒落映画。これに関して言えば、アフリカをお洒落に撮りたかったのだろう。特に後半はわざとらしいカットが多数。

アフリカキャンペーン映画。

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ho

3.0途中から見始めたような映画

2022年9月5日
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アメリカ人の夫婦が友達らしき人とアフリカに来て、よくわからないマザコン親子が出てきてどっかに向かう話ですが、夫婦の背景や、他の人たちの正体や、なぜ来たのか、どこに何しに行くのかをまるで説明しないので、途中から見始めたTVドラマ的な消化不良が続きます。そういうのが気になる人にはダメでしょうね。

ただストーリー的には倦怠期の夫婦の感情の出入りが主題なので、ハマる人にはハマります。まあ、この手なら成瀬選手の浮雲の方が肌に合いますが、好みの問題ですね。

文句なしにいいのは映像としての構図と色彩です。カメラマンが上手いのか監督の指示がいいのかはわかりませんがラストエンペラーを彷彿する映像美であることは確かです。

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越後屋

3.5見る人によって・・・

2022年1月21日
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鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

スターチャンネルでたまたま見だしたら・・・
最後まで見てしまった
見る人によって全く違う映画になる作品!!
デブラ・ウィンガーがとても魅力的で美しかった
退屈なようでとても奥深い映画でした

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小梅

4.0愛と夫婦について。大人のための濃い傑作

2020年6月16日
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公開当時観て、また何十年ぶりかに観賞。古びない美しさに、圧倒された。本物。ベルトルッチ監督の哲学と美学が凝縮されて、また坂本龍一の忘れられない旋律、切ないくらい美しい。砂漠の波紋、そこを行くキャラバン。圧倒的自然美。全ての相乗効果で出来上がった傑作。大人の映画。
夫婦といえども、男女の愛情の真実というものを濃く深く求めていくところが、切なすぎて辛過ぎて、もう一度観るのはきっと耐えられないだろう...

「男女の愛」と夫婦という制度は、本当は全く別物。それを一つにしていこうというのは、人間の理想というか、幻想信仰。でも現実と思いたい気持ちは、西洋文化の方が色濃いのかもしれない。人間の中にある性愛。野性的部分と知性的部分は、現実の世の中にも交錯している、本当は怖い部分。この映画に出てくる砂漠、通りすがりのキャラバンは、心象風景でもある。

有限の、脆い命。共に生き抜いていく連れ合いがいたら、どれだけ心強いことだろう。夫婦とはそうであってくれと思う。しかしその二人が信じ合うことが、いかに難しいか。変わらぬ愛、など本当にあるのか。いや本当の相手は他にいるかも。見つけなくては。と、なんか本物の愛を見つけ「なくてはならない」と無意識の強迫観念が、映画を通して、じわりと覆いかぶさる。

主人公たちは相手の愛を試すかのように、壊してしまいかねないことをして、強度を確かめている。
でもそんなお試しも、疫病というまさに今に通じるような予期せぬ事態に、本当の危機に晒され、うろたえる。

死を前にしてはじめて、人は本当の姿を現す。

でもたとえ、信じ合えるとわかったとしても、守り合えるシェルターの、動かぬ平和の下で、ずっと生きていけるだろうか。どこからともなく生まれる閉塞感。ありがたいシェルターさえ、檻になる。檻の鍵が開いていれば、ふらふらと出ていくだろう。それが、自然なことだから。
一緒にいたいと思える相手と、一緒にいられる時間を大切にする以外に、できることはない。ずっとは続かない。諸行無常。

本当に辛い映画だけれど、今の時代は、このような濃い作品は作られなくなった気がする。これを真正面で受け止めるには、精神力と体力が要る。ますます減っていくだろうか。
今回ギリギリだった...

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xmasrose3105

4.0自然の美しさと過酷さ

2020年1月20日
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鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

悲しい

怖い

知的

映像が綺麗。

ロケ地に行きたくなる。
あまりにも危険な事ばかり起きる旅。
走馬灯の様。

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R♪

1.0ベルトルッチと階段Ⅱ

2016年4月30日
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鑑賞方法:DVD/BD

悲しい

知的

 この監督の映画では、階段を降りる者には過酷な運命が待っている。
 この自らの仮説を検証。
 この作品では、階段ではなかったが、やはり梯子を降りて現地人の集落で女を買ったジョン・マルコヴィッチは酷い目に逢う。悲劇はこの買春の一件に終わらず、砂漠の真っただ中でチフスにより死んでしまう。

 はっきりと言及されてはいないが、舞台はモロッコ。彼らが到着して、最後にまた出ていく港はどこであろう。カサブランカかタンジェであろうか。

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佐分 利信

3.5シェルタリングスカイ

2012年12月29日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

知的

ラブシーン??じゃないな、セックスシーンかな。
やたら多いですね。18禁ほどでもないけど。。
音楽と映像が良いんですが、全体に漂う官能的な雰囲気が特徴です。
自分も旅行に行きたくなるけど、言葉が分からない異国の地は時に危険だという事を教えてくれました。
暗い感じの映画ですね。一人でひっそり観たい。

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ぢうり