「淀川さんの名批評が思い出される。」シェルタリング・スカイ 詠み人知らずさんの映画レビュー(感想・評価)
淀川さんの名批評が思い出される。
1947年、NYからアフリカ北岸のフランス植民地にやってきた作曲家ポートと劇作家キットの二人は、特に仕事がなくても困らない富裕層。キットに好意を寄せる青年タナーを伴っていた。二人は、近代社会の中で、孤独に苛まれて行方を見失い、何とかして愛を取り戻したいと心のなかでは、願っている。シチュエーションとしては、少し前の時代のロスト・ジェネレーションに相当するのだろう。ポートには、ある種の性癖があるようで、一方、キットは陽気だが、コケット(浮気性)。
決定的に美しいのが、ビットリオ・ストラーロの撮影によるアフリカ北岸からサハラ砂漠にかけての情景。「アラビアのロレンス」を彷彿とさせる。
しばしば背景に流れるアフリカン・リズムも素晴らしい。これらの激しい太鼓のリズムは、すでに、北米でジャズとして花開いていたが、また中南米に戻って、ラテン音楽となり、ロックの成り立ちに一役買っている。このリズムは、生命そのものの輝きを表しているのだと思う。私にとっては、映画「アルジェの戦い」のなかで出てきた、高い裏声で、長く続く、まるでヨーデルを思い出させるような独特の叫び声を聞くことができてよかった。
やがて、ポートはタナーが遠ざかるように仕向けて(この段階で、ポートのキットに寄せる思いは明らか)、さらに二人で、気候も厳しく、不潔極まりない奥地を目指す。その結果、倒れてしまったポートを(愛に目覚めた)キットは献身的に看病する。どんなに苦しくても、ポートは嬉しかったに違いない。キットに見守られたポートの幸せを思うと、心が熱くなる。その後、キットがどうなるかは、容易に想像がつく。
ちょっと残念だったこと、迂闊なことに、音楽が坂本龍一によることに、最後まで思い至らなかった。それだけ、アフリカンのリズムに比べて、印象が薄かった。坂本の映画音楽としては、同じベルトリッチ監督の「ラスト・エンペラー」などと比べても、はるかに優れていると思うが。彼が「教授」と呼ばれるようになったのは、いつ頃からだったか。音楽を映画の一部と考える監督と自分自身の音楽との間で、相当苦しんだのではないか。
もう一つ困ったことは、原作者のポール・ボウルズが映画の冒頭と終局で、ナレーターを務めるところ。彼は、自分の出演した映画の末尾を嫌悪しているようだ。彼を出演させたのは監督の好意以外に考えられないが、原作者のナレーションは不要で、映像で描くとの方針を最後まで貫いてほしかった。