エコールのレビュー・感想・評価
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ミステリアスなセンスが光る作品
タイトルはこの物語の学校名で、原題はイノセンス(無垢)
いくつかある似たような作品の中でも異例の難解さが漂う作品かもしれない。
特に冒頭から時折挿入される水泡のモチーフが何を象徴しているのか?
ここに大きな疑問が残ってしまった。
さて、
棺の中に入って登場した少女イリス
彼女は最も年下の女の子
最後に似たような女児が似たように登場することから、彼女らは誘拐されて来たのではないかと想像する。
誘拐という概念のない女児だけがこのエコールのターゲットなのだろう。
彼女たちの言葉がフランス語で、この作品がベルギーとフランスの合作であることから、エコールのある場所とは違ったフランス語圏の場所から誘拐されたのかもしれない。
彼女らの養育費用は「観客」からの観劇費用から賄われているというセリフがあるが、それはその一部でしかないと思われる。
年に1度の校長による視察によって、1名だけが外に出られる権利が与えられるというが、彼女らが結局どこへ行くのかは謎のままだ。
しかし、「服従こそが幸福への道」という徹底した教育とまるで品評会のような品定めから、女児がその手の趣味の男に売られるのは明白で、それこそがこの施設最大の資金源だと思われる。
つまりエコールでのその年のNo,1は、誰かの奴隷となることであり、同時に施設の最大の資金源でもある。
表面上の教育とその裏の設定こそ、ダブルスタンダードというこの世の中の仕組みであり、作者の言いたいことがもしかしたらここにあるのかもしれない。
そして教師は、蝶をモチーフに性教育をする。
性に目覚めた少女のシーンも登場する。
このことから、彼女らの基本的な将来が一般的な結婚だと想像するが、なぜ敢えて性教育のシーンがあるのだろうという疑問が残るのだ。
そしてこの物語には歴史上の裏の世界観があると思われるが、その実在を臭わしながらもそれを物語として表現していることで、彼らヨーロッパの裏歴史を物語に乗せて描いたのかもしれない。
さて、
クリスマスという設定はないが、大みそかの設定がある。
おそらく年1度の豪華な夕食会だが、バレエ教師のエヴァは涙を見せる。
彼女の涙の理由はいくつか考えられるが、謎のひとつだ。
クリスマスという日が、No,1が決められる日で、誰かが去る日なのかもしれない。
エヴァはつい先日選ばれた女児にもバレエを教えていた。
彼女にとって、女児が連れ去られていく日ほど悲しい日はないのだろう。
そのわずか数日後の豪華な夕食など、彼女にとって楽しめるはずはないのだ。
また最後のシーンでエヴァは、ビアンカの「これからどこへ行くの?」という質問に対し、「すぐに私たちのことを忘れるわ」と返事をする。
これは外の世界の素晴らしさに、少女時代の変な体験はすぐに忘れるという意味だろうと思われる。
夜中に汽車に乗って連れてこられた場所には温かい陽が差し、それは彼女らの将来を表現している。
彼女らは付き添いによって広場に出て噴水のある公園に着くが、ここですでに付き添いが姿を消している。
周りには男の子たちがいて、噴水の中ではしゃぐビアンカに近寄ってくる男の子がいる。
新しい出会い
男子との出会い
彼女らは完全にフリーになったのだろうか?
あの場所で置いていかれても、夜になればどうするのだろうか?
あの場所で誰かに拾われることが、彼女たちの運命を大きく左右するのだろうか?
もしかしたら、エヴァとエディットは誰にも声をかけてもらえず、結局あの公園から汽車に乗って再びエコールに戻ってきてしまったのかもしれない。
さて、、
描かれない謎が、クリスマスだ。
その前に、
描かれないという意味合いで、この物語の最大の謎は「キリスト教」の存在だ。
なぜ教師らは神やキリスト教を教育しないのだろうか?
この隠された場所を紐解くと、
これこそが完全なるタブーだが、
これをしているのが教会、またはバチカンなのではないだろうか?
この当たり前の習慣がまったく描かれない彼女らの生活こそ、この作品最大の謎であり、秘密だと解釈した。
タブーという実在を描かないことで表現したのだ。
また、
この作品の原題はイノセンス
無垢というのは同時に「無知」も表現していたのではないかと思った。
この無知は、物語の中の女児たちを表現すると同時に、何も知らないでいる視聴者にも向けられているように思う。
そして水は、純水という言葉と共に「循環」というニュアンスもあることから、この仕組みが循環していることを臭わせている。
つまり、無知なままではこの世界は変えられないということを作者は言いたかったのかもしれない。
いずれにせよ、ぜんぶ私の妄想に過ぎないが、想像させる手法ほど面白いものはない。
良くわからん
まぁ、成長がテーマでは有るんだろう、蛙(冬眠に失敗して溺死?)や脱皮した蛇、イモムシから蝶への羽化など、分かりやすい映像があちこちに入っているから。
もしかして、これは単なる精神的な描写だけで有って、少女たちは実際には、少なくともあの場所には存在しない?
脱走しようとしてボートが沈んで溺死したり、塀を乗り越えて脱走(その後は不明)。この辺は親への反抗などを象徴してるのか。塀がさほど高く無く、少女一人で登れる程度なのが、本当に隔離している様には見えない。
何しろ、冒頭に棺桶に入れられて上半身裸の子は「此処は何処?」状態では有るが、幼いのに「ママ、パパ」などは言わない。
自分で考えてね、想像にお任せします系映画なんだろうけど・・・・・好みじゃない。
それに、必要以上に少女の半裸、時には全裸で鏡の前に立つので、鏡には全裸の正面が映るなど、結局ロリコン向け?とも思えたり・・・・・
大丈夫?この映画…(汗)
マリオン・コティヤールつながりで鑑賞したが、始まって5分でこのまま鑑賞し続けてよいものかと大いに悩んでしまった。
観てはいけないものを覗き観てしまったような激しい背徳感…ヤバくないですか…この映画…。
そんな背徳感から、鑑賞記録を残すのにもちょっと抵抗を感じてしまったわ(汗)
とはいえなんだかんだラストまで観届けてしまった訳だが…結局なんだったの?あの緊張感は…。
結論、やはり全然いまひとつ。どの層向けに作られたの?この映画…。
現代では作れない映画
何気なく配信をうろうろしていたら、どこかで見覚えのある映画を見つけました。
2006年発売のドール雑誌「Dolly Bird」に載っていたこの映画「エコール」
当時は配信はもちろんなくて、上映してる映画館も少なかったので、スルーしてた映画でした。
雑誌の中では、人形作家の陽月さんの球体関節ドールで5人を再現してるものでした。
映画の中に出てくる少女達が着てる服は「アニエス・ベー」がデザインしたものらしくて、同じものが人間用にも販売されてたようで、載ってました。
少女達は年齢毎にリボン🎀の色が変えられていて、真っ白な服を着て、まるで本当にドールみたいでした💕
特に最年長の紫色リボンのビアンカと、青いリボンのアリスが可愛かったですね。
原題が「innocence(イノセンス)」でロリータ好きにはたまらない雰囲気です✨
さて映画の感想ですが、全編フランス語です。
原作はドイツの劇作家、フランク・ウェデキントが100年以上前に書いた小説「ミネハハ」らしいです。
原作と本筋は変わらないらしいですが、よくわからない映画でした💦
少女がどうやって選ばれて、連れてこられるのか?
なぜ外界から遮断して、こんな事をしているのか?
イノセンスと言う題から、大人になってしまうと汚れてしまうのから、卒業していくのか?
本当に意味不明でした。
少女の成長を、生物の蝶が🦋サナギから羽化して、外に飛び立っていくことに例えて、「交尾する相手を見つけに行く」と言っていたのは、少し気持ちが悪かったですね。
それとドールぽくて可愛い🩷と思って観てる分にはいいのですが、少女の肌の露出も多く、ロリコン映画なのかな?と思うと、気分が良いものではないです。
20年前の製作作品なので、現在同じものを作るとなると難しいかもしれないです。
この映画からは、女は純粋無垢がいいという、女性蔑視みたいにも感じられました。
鬼才監督とされていたギャスパー・ノエの妻が「エコール」の監督なので、なんか納得という感じです。
観る人によって感じ方が変わるような気がします。
ホラーではないが
リラックスしながら観られる不気味さ
出てくる女の子たちが可愛い
最終的には外に出られるのに、それまでずっと隠しておく理由はなんなのか
純粋無垢なまま外へ出て、男たちの視線を浴びながら水遊びしている描写が心痛い
ロリコン向けかと思ったら
やはりロリコン向けだったかもしれない。パンチラ、上裸に留まらずフルヌードまである。20年近く前の映画だが、この内容をもし今日本で作ろうとしたら無理だろうな…
とはいえ美少女たちが伸び伸びと生活し、遊んだり踊ったり泳いだりしている様子自体は微笑ましいし映像も綺麗で見応えがある。ストーリー自体も予想の範囲内というかんじ。あと先生役でマリオンコティヤールが出ていたのでラッキー!
エコールは楽園だったのか、すぐに忘れてしまう人生の通過点に過ぎないのか?青いリボンの選抜者や脱走者にはどんな結末が待っていたのだろうか?そして彼女たちはどんな大人になるのだろう…?
意外と今後も何回も観てしまうかもしれない、余韻を残すタイプの映画でした
素朴
この作品は監督自身の経験を織り込んだものだという。
同監督の『エヴォリューション』を観てこちらも観てみた。
映像について。
カメラは定点的である。つまりカメラ自体はあまり動かない。しかし、ある程度カット編集がされているため退屈する映像というわけではない。カメラに無駄な動きがなく、素朴な画になっている。
なによりも映像に退屈しないのは、映されるものが美しいからである。舞台となる学校がある森、川、建物、踊りのステージ、そして主役の少女たち。少女各々のリボンの色、innocenceを象徴するような白の衣装。美しかった。静かで素朴なカメラ回しと相まって映像全体として純な感じがある。
音楽について。
全体的に音楽が少ない。そのため、この映画で流れる数少ない音楽が印象に残る。少女たちが踊るときにかけるピアノ曲がそのひとつだ。この曲は初めから終わりまでフォルテで力強く流れる。まだ幼く華奢な少女たちとは対照的である。このコントラストもこの曲をより一層印象的なものにしている。
イリスは覚醒した・・・
秘密の地下通路を通って棺桶が運ばれてくるのです。その中には眠った6歳くらいの少女イリスがいた。もしや邪神?などと考えてはいけません。彼女たちは皆純粋無垢な少女なのです。新入生が入ってきたので、リボンの色はそれぞれ昇格。年長者(12歳くらい)が紫のリボンをつけ、新入りは赤色のリボンだ。森に囲まれた学校と5つの寮。一体ここはどこなのか?育てて芸者にする置屋?、『ソルジャー』とか『あずみ』とか『レディー・ウェポン』のように女ファイターを育て上げる地下組織?、それともオペラ座のエトワール養成秘密組織か?などと観客はこの謎の設定に魅了される。
日本人がこんな作品を作ろうものなら、たちまちロリコン性犯罪者としてブラックリストに載ってしまうのではないでしょうか。何しろ幼女、少女、熟女と揃ってますし、終始耽美的な世界観と萌え系コケティッシュによって、ぐいぐい映像に引き込まれるんですから。さすがに水浴びシーンでは子供ばかりだったのでホッとしましたが、年長者のビアンカちゃん(ベランジェール・オブルージェ)のヌードは危険です。DVDが出る頃には闇で取り引きされそうな予感さえします。
映像は独特すぎるし、争いごとなどほとんどない純粋な登場人物。外の世界を体験したいと言って脱走する子もいましたけど、従順さとか服従することの美徳を教える学校ですから、少女たちは皆不思議な学校に慣れてしまいます。
外界とは高い塀で遮断されているのですが、なんとなく『ヴィレッジ』をも思い起こさせる。そのため、ひょっとするとラストには仰天するほどのどんでん返しが用意されているのではとドキドキしてしまうのです。しかし、その期待は裏切られ、水に絡めたバブル映像だけでごまかされてしまう。それに、バレエにしても小学生のお遊戯程度だったし、印象に残るほどの特記すべき映像がありません。1人くらいエロオヤジがステージに乱入すれば面白かったのに・・・
不穏なガールズファンタジー
全体的に不穏な空気感が漂う作品。
まるで抽象的な絵画のような雰囲気がありますね。
少女から大人へと羽化する際の
不安定な心の揺らぎなんかはよく表れてたと思います。
ただ、全体的に非常に解りにくい作品であったかなと。
セリフも少なかったり、なぜ少女たちはこの学校へ来たのか
そもそもこの学校は何のために存在しているのかなど
見た後になってもわからないことだらけです。
しかし、そんなものは意味がないのかもしれませんね。
とにかく感覚を研ぎ澄まして、何かを感じ取ってほしい。
そこで初めてこの映画の意味が生まれるのかも。
ついてまわる水の気配
森の中の学校、少女、12歳まで、緑、水、リボン、白い制服、とかそういうにピンとくる人は、見てみましょう。
内容は深く考えれば深くなるのだろうけど、私はあえて考えない方向で。
耽美が好きなので雰囲気重視で。
音楽が好きです。
こういう映画も世界に1本はあってもいいのかな
少女から女性への成長を描いた、ともいえない。
もっと下の年齢、第二次性徴期に入っていく少女を描いた作品。
猥褻な内容ではないが、実際問題、不要と感じるほど上半身裸な画が多いので、
なんらかの性的意識を踏まえて撮影しているのだろう。
話自体は可もなく不可もなくという感想だけど、
現代まだこういう作品が一般映画として存在できていること自体に、表現の自由的な意義はあるのかなと思う。
不愉快な作品
人は思考を凝らせ、趣向を凝らす。
今作においては皆無。
二歩ほど遠回りした表現で写すのみだ。
噴水、手袋、溺死。
学生監督の自主制作かなにかなのか?
監督は恐らく少女の無垢さ、美しさを表したかったのだろう。
枝のように伸びる四肢を写し、裸体を写し、くすぐりあいを写す。
それは果たして本当に必要だったのか。
別の表現はあったのではないか。
様々な疑念が過る。
なによりも子供を性的に撮影するその感覚に、個人的であるが嫌悪感すら覚える。
必要とあれば子供の裸だって撮さなければならないだろう。
だが、前述の通り今作は必要性を感じさせないものばかりだ。見事に目的と手段が入れ替わっている。いや、入れ替わっていても面白ければいい。ところが、まるで、面白くない。延々と写される少女の裸体とレオタード。
これじゃあ、児童ポルノだ。
児童ポルノを見せつけられた気分だ。
これを持上げる人の気持ちが知れない。
タブーを犯したから、雰囲気がいいから、子供たちの美しさと儚さを描いたから、なんでもいい。どんなに美しい理由があれども、描かれているのは裸体である。少女の、裸体だ。
では星二つの理由はなにか。マリオン・コティヤールのレオタード姿が良かったのである。
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