「春という字は三人の日と書きます♪石野真子談」ドリーマーズ きりんさんの映画レビュー(感想・評価)
春という字は三人の日と書きます♪石野真子談
古い映画に造詣のある方、これオススメです。
名画へのリスペクトを、劇中でベルトリッチ監督が“クイズ形式”で流し、フラッシュフイルムをふんだんに挿入します。
(ただし1930年代の作品が多い)。
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フランスの5月革命のころ、
世を憂う引きこもりの双子と、アメリカからの留学生が、映画同好会が縁で同居を始めます。
激動の時代に、「詩」と「映画」と「エロス」が三つ巴となり、あの時代の素晴らしい音楽が がっつりとストーリーを支えます。
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一卵性双生児ならば、イザベルの悦びはテオの悦びのはず。
でも、お遊びが破綻するのには、それほどたくさんの時間は必要なかったということですね。
ジェラシーが三人の関係を壊す。部外者のマシューを排除して、結局、再び兄と妹だけの一卵性双生児の世界に彼らは戻ったのだなぁ。
・ギリシャのゼウスとヘラ、
・エジプトのオシリスとイシス、
・日本でもイザナギとイザナミ。
・メソポタミアの神話では洪水後、人類再創造時のノアと娘の交合も。
神話の時代の、兄妹交歓や親娘の近親相かんは枚挙にいとまがない。
禁忌の恋は、禁忌と知られるがゆえに国生みという神聖の尖端で顕われて、特別に許される創造の関係。神の行為として聖俗が一体となったものと思われます。
混沌の中から新しい世界が開闢される、あの時代のパリです。
テオとイザベルの兄妹は、ついに闇の中から何かを生み出すことが出来たのだろうか?
⇒父親世代を拒む青年テオは、自身のセンスと似て異なるポリシーのマシューを、同年代の友人としても拒絶して遠ざけようとしたけれど。
⇒また、うわっ面の精神論を戦わす男たちの前で、人間の持つもう一方の要素=身体性を、血で表出しているイザベルはそこに居るけれど。
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あの時代、僕は小学生~中学生。家は国立大の敷地に隣接し、両親は大学の教員だった。
投石、バリケード、火炎瓶、機動隊の放水と催涙弾は僕の元体験だし、学生たちは語り合うためにうちに押しかけた。家族で一緒に参加するデモでは米軍の銃剣と催涙ガスの中、群衆ごと川になだれ落ちて片方の靴を紛失し、血だらけの学生たちと歩いて帰った。
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エンドロールがいい。
ああっ!やってくれた!初めて見た“逆回転”。あの時代に我々をぐいぐいと巻き戻して回帰させてくれる。
あの頃、自己の内と外の不条理とは命がけで闘ったが、いまでは子宮に戻ってしまった世代の、テオとイザベルとマシュー。男の闘士への、そして女の闘士への、
これは過去をつつく ちょっと痛い総括かも。
・
[The Dreamers]、2003年の制作。
舞台は1968年。そして
《Dreamer》とは、そう、紛れもなくジョン・レノンのあのイマジン(1971年)のキーワード。
《Dreamer》は、学生紛争に向けられた世間からの嘲笑と罵倒の言葉であると同時に、《Dreamer》は自虐と揶揄を込めた若者の反撃とプライドの言葉。
「お前は今もドリーマー=夢想家で居続けているか」と、鑑賞者のこちらに訊いてくる
ベルナルド・ベルトリッチ。
「外へ出ろ、外へ出ろ」のシュプレヒコール。
外へ出たフランス人のテオとイザベル。戸惑い叫ぶアメリカ人のマシュー。
使われたBGMで アメリカの男性ロック歌手への応答としてフランスのピアフが応える。そんな呼応がいい。
statue of liverty (自由の女神)をプレゼントし、それを受けたフランスとアメリカの両国の関係の妙も、この映画は彷彿とさせていていい。
ベルナルド・ベルトリッチ。
大家です。