「イスラエル人・パレスチナ人のメンタリティーを変える。私のも。」D.I. Socialjusticeさんの映画レビュー(感想・評価)
イスラエル人・パレスチナ人のメンタリティーを変える。私のも。
神がどう介入していくのか? くれるのか?
バカなことが罷り通る世の中とは一概に言えるだろうか?イスラエル兵とウエストバンクのパレスチナ人の間で起きていることはウエストバンク内のパレスチナ人同志間でも起きていることと類似する。イスラエルとパレスチナ間の影響が不幸にもパレスチナ人のメンタリティを変えてしまったと言うことだ。イスラエルのメンタリティーもかもしれない。それにパレスチナ人の男女の愛や親子の愛はパレスチナ・イスラエルの領土紛争なしには考えられないとしている。ここでわかると思うが宗教紛争ではない。土地問題におけるパレスチナ人同士のイタチごっこシーンもあるが、イスラエル兵の一方通行的行為もある。この監督の現状認識度は非常に高くその状況を滑稽に描いているが、我々の理解度によって考察が違ってくると思う。
下記はあくまでも私の理解。映画からいくつか例をあげて感想を書いてみる。時間があったらその当時の監督の趣旨を読んでみたい。
チェックポイントでのイスラエル兵士たちの横柄な態度。エルサレム行きのチェックポイントを超えた若い綺麗な女に興味あるイスラエル兵士たち(当時の軍隊は男だけの世界かも?)は滑稽で可愛いくみえる。女に弱い若い兵士の銃を構える目は女の美しさに釘付けのようだ。ここで見張り塔が倒れてきて彼女は許可証なしにチェックポイントを通過。冗談だよねこれ。
ここでイスラエル兵はパレスチナ人の検問チェックよりコーヒーを飲むことを優先する。最後は理不尽がもっとエスカレートしてチェックポイントを通るパレスチナ人の上着を奪い取ったり、運転手を交換したりしてイジメを楽しんだり、暴言を吐いたりして、面白半分に悪ふざけをして、パレスチナ人をモテ遊び時間をかけて通過させる。兵士にも悪人・善人もいるだろうが、やりたくない(やりたい人もいる)兵役義務中に、こういう形でストレスを解消しているようにみうけられる。パレスチナ人にとっては迷惑なことだ。
救急車も通過させず運転手を下ろして、後ろに救急病人がいるに開けて調べる。でも、イスラエルからウエストバンクに向かう緊急パトカーは止まらない。それに、イスラエルのナンバープレートは停めない。こんなところにでも監督は対比を上手に使う。イスラエルにコントロールされている全く抵抗しないパレスチナ人。抵抗したら、どうなるかパレスチナ人はしっているから。牢獄に入ったり、悪い結果をなん度も観てるからね。それをスレイマンは風刺描写している。
また軍隊で鬱憤ばらしをしているユダヤ人(「アヘドの膝 Ahed's Knee」という映画を見るといい)。島国のようなウエストバンク(ナザレンとエルサレムなど)でのパレスチナ人同志の小競り合い、悪行などもいつ爆発するかのように描かれているし、そこはイスラエルとパレスチナの縮小版にもなっている。
ウエストバンクに住んでいるパレスチナ人たちは小島の中に閉じ込められて、足を引っ張り合うような小競り合いをする。窓を閉めて車を運転し隣人に挙手で挨拶をしながら悪態を付いている男(後でわかるがスレイマンの父親役)が出るが、これは社会で生きる内と外の関係を見せている。外面はいいが内心は?それに狭い村社会に生きているからここで村八分になり締め出されても行き場がない。どこにもいけないんだよ。
バス停で待ってる若い男もバスに乗るわけではなく好きな人をみているか出てくるのを待っているのに、おっせかいな年配の人はバスはこないよと若い男に何度も家から出てきて言う。バスが来ないよと一度だけ言うなら理解できるが。そのうち女が洗濯物を取りこみに外に出てくる。年配の人の家の壁に「あなたに夢中なんだよ。」と落書きが。住む世界が狭いから細かいところも干渉したがる。でもこのお節介の人と若者の思惑とは違うね。それにストーカー的要素がアラブの文化にはあるんだよね。偏見かもしれないけど。
ゴミを投げ捨てる男がいる。どこに投げてるのかと思うが、これが繰り返し繰り返し起こる。イスラエルの侵入やパレスチナの自爆のように。隣人の女性(パレスチナ人に例える?イスラエル人に例える?)は自分の敷地のゴミの始末をしている。とうとう女性は堪忍袋がキレてゴミをこの男の家の庭に全部投げ返す。男はなぜゴミを投げるのと、女はあんたがゴミを私の庭に投げたじゃないのと。水掛け論さ。この男はよく理解していなようで女の行動を恥だと言う。そして隣人はお互いに尊敬しあうべきだと。問題があったらそれを俺に言うべきだと。だから神は我々に舌を与えたんだよ、と。笑っちゃうねこの男。女は何も言えず黙っている。この男が仕掛けたんだよ。この男はイスラエル軍かパレスチナ人かの典型を示していると思う。ウエストバンクという外に出るには許可書がいる島の中で、それはまるで狭い会社社会のようで、体制(この場合はイスラエル)からの押し付けである。時々限界が来て、ストレスが溜まり、どこかで鬱憤バラシをしたくなるね。
子供から、大人までサッカー熱は高く。子供の一人でのボール付きは上手だったね。しかしこれを楽しそうにみてる老人二人はいいが、他の年配者は自分の家に侵入したボールを敵対ししてナイフでさく。自分の土地に(領土に)敏感である(になる)。そして、極端な反応をしめす。それでも子供は新しいサッカーボールを探して遊ぶ。イスラエルの攻撃の中でも子供は子供の世界があると言うことだと思う。
中盤からスレイマンがパレスチナ特産?のアプリコットを食べながら車の運転を........バーン! 冗談でしょう。
スレイマンの父親は自動車板金工場を経営していてタバコ吸いで、息子からの便りを待っているように見える。Al-Rama check point in East Jerusalem 超えてスレイマンはラマラアRamallah に向かって走っていく。この当時は「隔離壁」ができていないのでチェックポイントも車が運転している道路も広々としているね。チェックポインとがあり迂回しているし、すぐそばでも簡単に行けない。
そこでガールフレンドにあう。そこはチェックポイントの近くでもありイスラエル兵が見張っている。二人の行為はパレスチナの隣人に見張られなくないし......チェックポイントの近くに来たがここでも事情はおんなじさ。
病院では父親はタバコを吸えなくなって死が近づいている。当時は喫煙文化だったのかも。スレイマンのガールフレンドに対する愛の告白の仕方がいいねえ。「あなたに夢中なんだよ。」と車の窓ガラスに。ここでも繰り返し.....愛の言葉も。アラファットの守りによって彼女は許可書なしにチェクポイントを通過し、スレイマンの家に行く。父親の死期が近づいていて気分的にガールフレンドとのひと時を過ごせないようだ。それとも彼女は自爆する戦士なので、情が移るのを恐れたかよくわからない?
振られてしまったスレレイマンがチェックポイントで彼女を待つシーンがあるが。毎日待っていたようだが、彼女は来なかった。彼女はイスラエル軍と戦い自爆兵士なろうと心に決めているようだ。
一番好きなシーンで愉快なのは:彼女が覆面をして刀を自分の胸に向けているビルボードをスレイマンがみて、彼女が自爆兵士になるとスレイマンが感じたシーン。信号で止まったスレイマンの車の左隣はユダヤ人が。そして右窓からビルボードに彼女がいる Come Shoot if You Are Ready!! の看板が見える。
スレイマンは怒りが込み上げたようで、カセットをラジカセに入れて窓を開ける。そうすると
I put a spell on you 魔術をかけるよと。そこですぐユダヤ人が睨みをきかす。
Because you're mineあんたは俺のもの。つまり魔術をかけたからイスラエルは何もできない。パレスチナのコントロール下におかれるよ。
You better stop the things you do 領土に侵入するのはやめろよ。
I tell you, I ain't lying 今言っとくよ。嘘じゃないぜ!
I ain't lying
最高にタイミングがよく,笑わせるよね。