サンダーボルトのレビュー・感想・評価
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大型車しか登場しないのも、もう若くもなくなった落ちこぼれの朝鮮戦争世代が銀行強盗するのも、そこにベビーブーマー世代のベトナム帰りのプー太郎が加わるのも、監督には意味が有ることなのだと思うのです
サンダーボルトは主人公の名前です
もちろん機関砲の名手だからついた渾名で本名では無いでしょう
題名とポスターをみると、イースウッドが大型拳銃を撃ちまくるわ、果ては20ミリ機関砲を持ち出して大暴れの巻と思い込んでワクワクしてしまいますが、肩すかしを食らうことになります
確かに大型拳銃を持ちますし、機関砲も撃ちます
だからポスターは詐欺ではありません
じゃあ、どういう映画なんだよ?と問われると、んー何だろう?となります
そんな映画です
単なるお気楽なロードムードぽい、銀行強盗の映画?
もちろん、そう見えます
ニューシネマっぽさが濃厚です
しかし、なんかそれをわざと装っているようにも感じる
何か空々しい
違和感があるのです
無邪気にニューシネマのど真ん中にいない
こういうのがウケるんだろ?という皮肉さを感じるのです
ロードムービー?
ロードムービーとは、出発点から帰着点までの間に登場人物が様々な出来事を経験するうちに、成長し変化していくことを描くものです
主人公の心の持ち方が変わり、人生の新しい出発点に立てるようになっている、そんな映画が殆どだと思います
本作はそれに当てはまりません
主人公は少しも変わらないのです
レッドは主人公サンダーボルトを殺しに序盤から登場すますが、本気で殺そうとはしていないことはすぐに気づくことです
単に脅かしているだけなのです
粗暴なレッドも、頭の弱いグーディも最初から、最後まで変わらず退場していきます
若者ライトフットも同様です
結局、変わらないまま主人公だけが死体を乗せて次の土地に向かっていくのです
マイケル・チミノ監督作品
監督は1939年生まれだから、公開当時は35歳
サンダーボルトとライトフットの中間です
本作が監督デビュー作
そして、次回作があの映画史に残る名作「ディア・ハンター」になるのです
本作は一体何がテーマだったのでしょうか?
何を監督は表現したかったのでしょうか?
大型車しか登場しないのも、もう若くもなくなった落ちこぼれの朝鮮戦争世代が銀行強盗するのも、そこにベビーブーマー世代のベトナム帰りのプー太郎が加わるのも、監督には意味が有ることなのだと思うのです
大型車
それも呆れるほど馬鹿デカい車ばかり登場します
マッスルカーと言われる大排気量、高馬力の大型車です
アメ車と言ってイメージする車そのものです
1970年に排ガス規制のマスキー法が制定
1973年は石油危機
石油危機は数カ月であったものの、ガソリンが記録的な高価格にりました
これがきっかけで連邦政府の燃費規制も始まります
なにより、アメリカ国民の感覚が変わったのです
排ガスがクリーンで、もっと燃費の良い、もっとコンパクトな車が求められるようになったのです
その結果、本作に登場するようなマッスルカーのほとんどは、新車販売から次々と消えて行ったのです
それが本作公開の1974年頃からのこと
本作は恐竜のようなマッスルカーが最後の時代を迎えている、その姿を伝えようとしています
ベトナム戦争
完全終結したのは、本作公開の半年後の1975年4月末のサイゴン陥落です
でも実際には、1974年3月頃には米軍の撤退は完了していました
だからライトフットは、おそらくベトナムから復員してきたものの、仕事もなく、あってもする気も起きずフーテンしてたのだとおもわれます
こんな若者は当時アメリカには溢れていたのだと思います
ライトフットも渾名で本名では無いでしょう
軽率ものとか、粗忽ものという意味だそうですから
彼は演じたジェフ・ブリッジスと同じ年齢とすれば25歳
日本で言えば団塊の世代、アメリカではベビーブーマー世代です
朝鮮戦争
1950年から1953年にかけて朝鮮半島で行われた戦争
主人公のサンダーボルトは演じたクリント・イーストウッドと同じなら20歳頃から23歳頃に掛けて従軍したことになります
劇中の現代では44歳ということです
もう若くはないと自覚する年齢です
まだまだやれるという自負はある
しかし残された時間はそうないという焦りを感じ始める年代です
サンダーボルトと同年代のレッドとグーディは朝鮮戦争での戦友
主人公は戦場では英雄で、二人から尊敬と信頼を得ています
そんな英雄であっても、戦争から復員しても働けるのは底辺の仕事だけです
でも真面目に働くのは、戦争時代の仲間とやる次の銀行強盗までのつなぎとしてのみのようです
つまり、朝鮮戦争帰りの兵隊くずれが社会の落ちこぼれとなってしまったように、またもベトナム帰還兵から、多くの社会からの落伍者を生み出してしまうだろう
それを本作は言わんとしていると思うのです
ライトフットの運命が、ベトナム帰還兵達を待ち受けている運命なのではないのか? そんな不安が覆うラストシーンでした
しかし荒野の一本道は、あくまでも明るく青い空の下どこまでも続いているのです
結局主人公は、死んでしまったライトフットを乗せてその一本道を大型車でいずこともなく走り去っていきます
大金を得ていますが、虚しく苦々しくなにも楽しくも嬉しくもないのです
大型車はアメリカの暗喩そのものです
つまり、ラストシーンとは1974年のアメリカの姿だったのです
ベトナムから引き上げて平和を得たのは良いことだ
でも、それが一体何なんだ
戦地で悲惨をなめ尽くして帰還した若者たちに、これからアメリカは一体どうしてくれるというのか
本作はそういうメッセージだったのだと思います
それが本作のテーマだったのです
このテーマが次回作「ディア・ハンター」につながっていくのだと思うのです
サイゴン陥落のニュース映像と、この間のアフガンのカブールからの撤退はスケールを大きくした相似形でした
テロ戦争の20年は、ベトナム戦争と同じくむなしく無に返ってしまったのでした
20年、ほぼまるまる一世代
一体何だったのだと虚しく、苦々しくその映像を視る21世紀の私達は、公開当時に本作を観人々と同じ思いであるのかも知れません
エンドクレジットに流れる曲は、「Where Do I Go From Here」
ポール・ウィリアムスの1972年のアルバム曲
ここから俺達はどこへ行くのか?と監督からのストレートなメッセージでした
21世紀の私達もまたここからどこへ行くのでしょうか?
ずいぶん前に見て、午後ローで録画していたのをまた見た。その間に阿...
ずいぶん前に見て、午後ローで録画していたのをまた見た。その間に阿部和重さんと伊坂幸太郎さんの『キャプテンサンダーボルト』を読んで、見返さなくてはならないと思っていた。
雰囲気やテーマはとてもいいのだが、モヤモヤすることがたくさんあった。
わざわざ、トイレに侵入して女装する意味あったのだろうか、家で変装して車で行けば済んだでのはなかっただろうか。巨大な機関銃が大活躍するかと思ったら2発打っただけだった。確かにすごい破壊力だったが、もっとすごい破壊を見たかった。車の後ろに乗ってずっと隠れているのは意味があるのか? そのせいでいろいろおかしくなっていた。
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