珈琲時光のレビュー・感想・評価
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確信を得た
やはりこの人、かなりの電車好きだ。これまでの台湾で撮ってきた作品にも当地の鉄道と、それが溶け込んだ風景が映されていた。今回は東京。子供の絵本にもよく出てくる御茶ノ水駅の立体的なショットが何度も出てくるのが象徴的で、都電、山手線(と並走する京浜東北線)、東急洗足池駅など、登場人物はフィルムの大部分を電車に乗っている。
鉄道に乗るということは、通勤通学のような日常生活の側面と、見知らぬ土地や懐かしい土地へ向かう非日常の側面を併せ持つ。一つの車両に、その両方の乗客を乗せているという意味でも、一人の乗客にとってその移動が持つ意味が両方であるという意味でも、この二側面は常に同時に現れるのだ。
主人公の一青窈は、結婚する予定のない相手の子を身ごもっている。しかし、彼女は以前と変わることなく、台湾の昔の作曲家について調べるという、フリーライターの仕事を続けている。自分の運命を受け入れて淡々と過ごす彼女に対して、両親は沈黙という形でその妊娠の事実と彼女の決断を受け入れるのだ。
この一青窈の生活自体が鉄道に乗る二面性を持つ。変わらぬ日常生活を生きる中で、父親のいない子を産むという非常な決心を抱いているという意味で、日常と非日常が同時進行するのである。
穏やかな日常に含まれる、その日常そのものが崩れ去る契機。それを淡々と受け入れる人々。多くの小津作品で描かれてきたドラマがここに再現されたのならば、本作は成功作と言えるのだろう。
母の映画
【72点】
この作品のテーマとして監督の語る「珈琲を味わうときのように、気持ちを落ち着け、心をリセットし、これからのことを見つめるためのひととき」という言葉通りの、穏やかな雰囲気の佳作でした。この作品のオマージュ元である小津安二郎『東京物語』を、残念ながら私はまだ観ていないのですが、それでも十分楽しめました。
物語は、一青窈演じるヒロインと浅野忠信演じる友人の交際を軸に進行していきます。浅野忠信が登場するたびにBGMとしてピアノ曲が響くのですが、この作品内でのピアノは、台湾出身の作曲家・江文也を表しています。つまり一青窈と浅野忠信の関係が、江文也と(インタビュイーとして作中に登場する)江乃ぶ夫人との関係のようにこの先進展するであろうことが暗示されているのです。
ヒロインの一青窈が妊婦であることに表されるように、この作品の主題は「母」だと思います。作品全体を通じて、胎内を意識したような逆光のライティングが多用されていました。また、登場人物もさまざまな「母」の属性を持っています。妊婦である一青窈はもちろん、一青窈の母親(父親に殆ど台詞がないのは象徴的です)、マザコンの彼氏(彼の作る傘は外界を遮る子宮の象徴でしょうか)、そして、電車のガタゴトいう振動音を、母の心拍を慕う胎児のように追い求める浅野忠信です。彼が胎児と関係していることは、中盤で提示される絵を見れば明らかです。
将来、一青窈が出産するときには、胎児であった浅野忠信もまた新しい行動を起こすのでしょうか。そうした変化が起こる前のひとときの準備期間が、この作品ではゆったりと描かれていました。この作品の舞台である古い町並みが感じさせるノスタルジーというのも、我々日本人にとっては一種の母親なのかも知れません。
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