サンセット大通りのレビュー・感想・評価
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A tale of a lost man caught in a ...
A tale of a lost man caught in a Venus fly trap with mortal consequences. The film has the quirk of Hitchcock film; You might think you are in the same mansion as Rebecca. The plot of a needy man in servitude to a royal middle aged woman might feel like an allegory to some. Art for art's sake at times. You can feel the speed of the Hollywood ages passing by in this time capsule-in-a-time capsule.
グロリア・スワンソンの名演技
この映画の魅力は何といってもグロリア・スワンソンの名演技につきる。
かつての大女優も映画の出演がなくなっても、かつての栄光をいつまでも夢見る姿がなんとも悲しい。映画での設定は50歳だが、実際の彼女もこの当時50歳なので本人の生き様とダブっている。今なら50歳なら現役でバリバリやれる年齢であるが、その当時はそういうことだったのかな。
なお、ベティ役のナンシー・オルソンはご存命のようで、96歳。
ブルーバードを青い鳥だと持っていた若い頃が私にもありました
ロサンゼルスにある大邸宅のプールで、男の死体が発見された。男は売れない脚本家だった。その殺人に潜むエピソードが明らかになっていく。
売れない脚本家のジョー・ギリスは金がなくて困っていたが、金貸しから逃げる途中で、ひょんなことから入り込んだ大邸宅で、往年の大女優ノーマ・デスモンドと出会う。ノーマに気に入られてそこに住むようになり、人生が変わっていく。華やかな映画界への復帰を目指すノーマに、パラマント社から電話があった。要件は車を貸してほしいことだったが、本人は自分への出演依頼だと思い込み、撮影現場に乗り込んでいく。旧知の監督や撮影スタッフと旧交を温める中で、ノーマはさらに復帰への妄想を膨らませて、エステに励むなどして復帰を目指す。一方のジョーは、婚約者がいるベティと恋仲になるが、召使のマックスからノーマにはくれぐれも知られないようにと忠告される。マックスはノーマの最初の夫であることも知らされる。しかし、忠告もむなしく二人の関係はノーマの知るところとなり、ジョーは事実を洗いざらいぶちまけて邸宅を出ていこうとする。ノーマはジョーにピストルを向けて数発発射して殺してしまう。すぐに警察、マスコミ、やじ馬が集まった。彼らが集まったところで、ノーマは2階から降りてくる。スターであるかのように自身が書いた脚本のサロメを演じながら。
アカデミー賞11部門にノミネートされて、主演女優賞を含む3部門の受賞にとどまったが、これは同年に公開された『イヴの総て』が強かったからのようです。アメリカ国立フィルム登録簿には、創立された1989年に登録されているとのこと。つまり、名作中の名作と呼べる作品です。
栄華を極めた人の執念、裏切ることへの報い、屈折した愛情といったあたりが作品のテーマでしょうか。普遍的なテーマなので今リメイクしても面白い気がしますが、オリジナルで完成度が高いので、リメイクする勇気が出ないかもしれませんね。
日本版を作成するなら、ノーマ役は誰でしょうか?女優さんではないのですが、私は小林幸子さんがフィットするのではないかと思いました。執念とか執着とか似合いそうですよね。
ところで、英語では大通りのことをBoulevard(BLVD)と表すが、初めてアメリカに行ったときはそんなスペルであることは知らないので、青い鳥(Blue Bird)にしか聞こえなかった。
変化を受け入れられない人間
ノーマは時代や周囲の状況の変化を受け入れ、自分を変えていくことができなかったのだろう。だから自分が活躍していた時代のサイレント映画を至高だと考え、音声有りの映画を否定するし、身の丈に合わなくなった豪邸(古めかしいが)に住み続ける。変化を受け入れられないから、主人公のギリスが自分の元を去っていくのも許せず、彼に執着する。そんな人間の暗部が描けているのが秀逸な映画。 時代の変化に合わせて新しいことを学ぼうとしなかったり、かといって変化していく現状も受け入れられない人間は、大なり小なりノーマのような人間になっていくのだろう。こういった人間は、まず現状を認識して受け入れるところからスタートすべきなのではないか。 人間の暗部を描くストーリーだったり、冒頭のプールの水死体から始まる構成だったりが、マーティン・スコセッシ監督を思わせる映画だった。彼もこの映画に影響を受けたのだろうか。
圧倒的に映画的な
圧倒的な脚本、圧倒的な演出、圧倒的な演技、映画史上屈指の名作です。 スワンソン先輩の神がかり演技も映画史的です。 (参考) 冒頭は、プールではなく死体置き場での独白でしたが試写会で酷評されて半年公開が延期されました。 ハリウッドの内幕を暴露したとして関係者にも評判が悪く、MGMの会長に面と向かって罵声を浴びせられた先生は「Fuck You」と言い返して周囲が凍り付いたそうです。 主役はMクリフト先輩の予定が契約廃棄にあって、代役の二流役者ホールデン先輩はこの作品から大スターになりました。
【”スター女優は年を取らないモノよ!そして映画こそ我が人生。”哀しきサイレント映画時代の大女優が夢にまで見たハリウッドへの復帰を望む過程を売れない脚本家との絡みを軸にシニカルに描いた作品。】
■ハリウッドの売れない脚本家ジョー・ギリス(ウィリアム・ホールデン)はある日、借金取りに追われて逃げ込んだ屋敷で、隠居生活を送る往年の大女優ノーマ・デズモンド(グロリア・スワンソン)と出会う。
彼女から脚本の執筆を依頼されたジョーは、住み込みで働き始めるが、やがて生活の全てを束縛されてゆく。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・今作を観て思ったのは、邦画が誇る大女優、原節子さんの生き方である。石井好子さんによる「原節子の真実」によると、彼女は自分の女優としてのピークを知った時点で潔く映画界を去ったとされている。
その後は、表舞台に一切出る事は無く、生涯を終えたと記されている。
この本は、時折目を通すのであるが、哀しい想いと女優として一世を風靡した方の見事なる生き様を描いた作品だと思っている。
・今作では、トーキー時代の大女優ノーマ・デズモンド(グロリア・スワンソン:実際に大女優だったそうである。)が、昔日の栄光を忘れられずに大邸宅に自らの若き日の写真を飾る姿や、ジョー・ギリスを抱き込み、再び銀幕のスターになるべく加齢に対し涙ぐましい努力をする姿が描かれている。
ー だが、彼女は徐々に過去の栄光と、現実との違いが分からなくなっていく姿が哀しい。-
■驚いたのは、後半明らかになる慇懃なまでにノーマ・デズモンドに仕えるマックスが、且つては彼女の夫であり、且つ映画監督だった事が判るシーンである。
<今作を観ると、多くの映画女優さんの加齢により美貌が失われて行く中、その立場を保とうとする姿を考えると、複雑な気持ちになってしまう。
私は、ゴシップ記事には全く興味が無いが、有名女優さんの加齢により容色が衰える様を面白おかしく書く記者には”お前は、年を取らないのか!”と思う時が偶にある。
少し、脱線したが今作はその様な視点で名女優だった女性の哀しき人生を描いた作品であると思う。
ラスト、ジョー・ギリスを撃ち殺したノーマ・デズモンドが、全てを忘れ螺旋階段を多くのフラッシュに映されながら、至福の表情で降りて来るシーンは名シーンだと思います。>
今更、南北戦争?
『映画は俳優だけで見せているのではない』と言う台詞があったが、どの場面だったか?
でも、それに共感する。映画を鑑賞する者に俳優の演技力なんか分かるはずもない。分かるとすれば、歌がうまく歌えるとか、踊りのキレが良いとかだろう。
パラマウントが『風と共に去りぬ』を選ばなかったのは『今更、南北戦争?』って凄く共感する。『MGM』も『パラマウント』もユダヤ系の会社であろうが、より多くのユダヤ系アメリカ人が活躍していたパラマウントでは、ナチス・ドイツへのレジスタンスでこう言ったアイロニーに満ちたセリフができたと思う。
パラマウントのオーナー(?)が金がない事を嘆くが、時代が遡るこの20年はそれでアメリカンドリームを藻屑にした者が沢山いた。最近の『バビロン』と言う映画にも描かれていると思う。
芸能界は群雄割拠な場所だ。映画賞をとっても、翌年には服役しているような者もいたと思う。つまり、尋常ではないお金が動く世界なのだろう。そう言う意味では日本もそうなのだろうが、日本は過去の行いや門地を問わない民主的でクールな業界なのだ。アイドルだった人が綺麗なおばあちゃんを演ずる事が出来る。見る者も作る者も、フトコロの深い人達が大変に多い。
ガキの頃 年末年始の特番とかで見た可能性があるが、ガキだったので、理解できるわけもなく。こう言ったストーリーは火曜サスペンス劇場を初め、色々な別のストーリーとして取り上げられている。だから、初見かもしれない。そう言えば、刑事コロンボにも全く同じストーリーがあった。
追記
この屋敷に出て来る駐車車庫は『サブリナ』の駐車車庫?
追追記
最初に戻るが映画は『俳優ばかりで。。』って、この映画はある意味アイロニーなんだと思った。監督が二人も出演し、無声映画役者が多数出てセリフを喋り、おまけに演じた監督はアカデミーまでとっている様だ。
あの人は今・・・〜ハリウッド残酷編〜
この作品はハリウッドの残酷すぎる内幕を描いた傑作なのですが、映画業界に限らず、全ての業界において現代に至るまで現実に起こっている悲劇なのではないでしょうか。人気の絶頂にあったサイレントの大女優が、トーキーの台頭、そして"老い"によって、表舞台から締め出され、次第に人々の記憶から忘れ去られてしまう。しかし当の本人は自分はまだ人気があり、いつでも復帰ができると信じ込んでいる。そこに新人の脚本家が突如現れたことによって起こる悲劇を、天才ビリー・ワイルダー監督がとてつもなく冷酷に冷酷に描いてます。実際に主人公と同じような経歴をたどったサイレント時代の大スター、グロリア・スワンソンを起用したワイルダー監督も凄いですが、役を引き受けたグロリア・スワンソンが一番凄い‼️そのサイレント映画的演技は背筋が寒くなるほどで、ラスト、カメラに向かってポーズするシーンはホントに恐ろしい・・・
虚構と現実が入り乱れるかたちでハリウッドの現実を描いた怖さまでを感じさせる映画
ビリー・ワイルダー監督による1950年製作のアメリカ映画。原題:Sunset Boulevard。
著名だがビリー・ワイルダー監督による作品は、何と初めての鑑賞。コメディのイメージが強く意外感も有り。アカデミー賞で、脚本賞、作曲賞、及び美術賞の3つを獲得。無名だったウィリアム・ホールデンの言わば出世作らしい。
主演のグロリア・スワンソンが、過去の大スターであった栄光の日々の延長線上で夢見る様に生きている元大女優を、とても痛ましく見える圧巻の表現力で演じていた。ウィリアム・ホールデンを引き止めようと、チャップリンのモノマネまで上手に演じていて驚かされた。彼女は1899年生まれで、映画の役通りに、セシル・B・デミル監督(本人役で出演)に見出されたサイレント時代の大女優というから、半端でないリアルさ。役柄を考えると、よくぞ出演したと思える。
若い貧乏な脚本家役ウィリアム・ホールデンはあまり良い演技には思えなかったが、グロリア・スワンソンの豪邸プールで死体となって浮かんだところから、自分語りで物語の語り部となる展開は、とてもユニークに感じた。
グロリア・スワンソンの召使役(元映画監督でノーマの最初の夫で有ることが明かされる)のエリッヒ・フォン・シュトロハイムは、サイレント時代の巨匠監督とのことで驚かされる。撮影中にスワンソンと衝突し撮影中止の過去も、事実として有るらしい。そういえば、喜劇王バスター・キートンもスワンソンのトランプ仲間として本人役で登場していた。
ナンシー・オルソンはホールデンに恋する脚本家志望の娘役で、唯一の普通のヒトで、言わばハリウッドの異常社会との対比を強調する役回りか。好感を覚えたが、残念ながら大女優には成らなかった様だ。
最後、殺人事件に押しかけたマスコミに、銀幕復帰が叶い撮影が始まったと、演技をするスワンソンの姿、その気持ちに応えて撮影指示を出す元監督シュトロハイムの姿を映す映像が、痛ましい・狂気の様相を抉り出す。
楽しい或いは面白い映画とは言えないが、虚構と現実が入り乱れるかたちで、ハリウッドの現実を描いた映画で、そこまでやるんだという怖さを感じさせる驚きの映画であった。
製作チャールズ・ブラケット、脚本チャールズ・ブラケット、ビリー・ワイルダー、D・M・マーシュマン・Jr、撮影ジョン・F・サイツ、音楽フランツ・ワックスマン。
出演は、ナンシー・オルソン、ウィリアム・ホールデン、グロリア・スワンソン、エリッヒ・フォン・シュトロハイム、セシル・B・デミル(本人役)、バスター・キートン(本人役)。
もう駄目っ!幸せすぎてっ!サンセット大通り10086にて
内容は、映画の都Hollywoodに取り憑かれた元有名人の夫婦と売れない脚本家とチャンスの無い舞台裏方の女性が繰り広げる半年間の夢見たいな出来事の一部始終。好きな言葉は『もう駄目っ幸せすぎてっ!』最後の締めの言葉に痺れる様な台詞を持ってきて驚いた。主人公女性ノーマ・デズモンド25年も前に映画の変化に耐えかねて映画界から離れても離れきれない呪われた元大スターヒロインが最後にスポットライトを当てられた時の演技の異常性とそれでも至極の喜びでスポットライトを浴びて正直に語るところが認識の違いで面白い。初監督が最後の監督というところもシナリオの締まりが良くて心地よい。個人的には『紛い物の町を通って戻ろうか』が好きです。創作世界に生きる人々は、あくまで作り物の世界の中でしか生きられないし一度味わえば忘れる事が出来ないほどの優越感と恍惚は、映画の世界問わずメディア業界全体に言える事でありある種の呪いにも似た感覚を監督なりに繊細に表現している所が面白買ったと思います。最後にとった映画🎞『サロメ』にも時代性が感じられ魔性の女に見えてくる所と同情してしまいそうな所に引き込まれました。正に顔で喋ってました。70年前の作品でありながら色褪せない脚本とキャラクターの出来には脱帽します。大きくニ軸の人間を中心として物語を進めながらも絡める周りの人々も味があり群像劇にも見える構成は素晴らしく分かりやすい作品だと感じました。一番に感じたのは映画の世界を捨てたのに映画の街近くで25年も住んで皆から疎ましがられながらも固執した執念で返り咲きを諦めなかったノーマの本当の救いは最後への伏線!これが凄いと感じました。
13年前の感想
古い映画で、白黒です。 過去の栄光をいまだに引きずって、 現実を見ない女優と売れない脚本家の話し。 女優が書いた脚本を映画化するために、 脚本家の男が手直しして、女優主演で映画を撮ろうとする。 ドラマなんですが、ちょっとホラーチックというか、 怖いです。女優が怖いです。 「ミザリー」的な「人間の怖さ」が出ている映画です。
チンパンジー
観客をストーリーに引きつけるテクニックは最高です。最初から台詞が多いということもあるが、笑わせるテクニックやサスペンス要素(チンパンジーが最高だ)満載だからですよね、これは。また、他の映画のタイトルがいっぱい出てくるのも興味深い。 それより何といってもデミル監督やキートンがそのまま本人として出演ってのも面白い。チャップリンのパロディーもいいし、女優にこだわり続ける狂気とも言える演技が最高でした。
日の沈むところに巣食うものの物語。 自分とは何者なのか。
サンセット大通り。ロサンゼルスに実在する道路。 そんな通りをタイトルとした映画。 『ようこそ、革命シネマへ』で、映画クリエイターたちが、嬉々として真似をしていた映画。 さぞかし、心躍る名画なのだろうと、鑑賞。 こんな映画だったとは…。 『妖怪人間ベム』のイントロが聞こえてくるようだ…。「早く、○○になりたい」と。 ファンの期待に応え、自分を主役とした映画を創作したい女。 脚本家として、映画を創作したい男。 ほころびかけている自分だけの夢の世界を、必死に創作し続ける男。 創り出す喜びを手放せば、違う幸せも見えてくるだろうに。 贅沢し放題。だが、それだけでは満たされぬ心。 万人からの「いいね」を欲し、愛し方を知らぬ女。 支配・所有ー被支配・被所有。 まるで息するコレクション…。 かっての自分にとらわれた女。 自分の立場をもかなぐり捨てても、自分の夢を守り通したい男。 夢を巡って、自分の生き方に迷う男。 夢にまっすぐな瞳に照り返される自分の姿。あえて眠らせていた志がうずきだし…。 そして…。 Wikiや、いろいろなレビューを拝見すると、まるでドキュメントにもなりえるようなキャスティングだとか。その役柄を嬉々として演じる役者たち(「蝋人形」と称される人物をまことしやかに”蝋人形”らしく演じるとか)。 また、映画の中に出てくる映画の企画『サロメ』とも、幾重にも重なるプロット・演出。 ノーマがマックスをどう思っているのか、どういう経緯でこのような境遇にマックスがなったのかの説明はない。ないにもかかわらず、たった一言の説明と映画全般の演技で、二人の関係性と境遇が納得できてしまう。 圧巻…。 過不足の無い脚本・演出。 ゴシック形式の仰々しいインテリア。それらに負けていない女主人。 否、ノーマを配することによって、ひそやかに息づく家。 なのに、現実世界とのズレ。見えてくるほころび。その狂気。 もどかしさ。あはれ。世間と断絶された空虚感・焦り…。みじめさ。怒り。 何かをしたい。それによって、世界とつながりたい。承認を得たい。 ただ、時間を費やすのではなく。 湧き上がって千々に乱れるその情熱。どこにぶつければいいのか。 様々な感情に揺さぶられる。 ゴシック形式の前時代的な有様なはずなのに、 現代に染み出てくる。 それは、”過去”の物語なのか。 足元の陰に潜む誘惑なのか。 お金があっても、制約(口出し)が多すぎて駄作となる映画。…皮肉? 重苦しいだけでなく、そんなシニカルな(笑)も散りばめられている。 だが、それだけではない。 意表を突くフィナーレ。 このシーンだけでも、ものすごいシーンを鑑賞した気になり、お腹一杯。息を飲む。 映画を通して、このフィナーレを鑑賞するとき、この映画が忘れたくとも忘れられぬものになる。 《蛇足》 『蜘蛛女のキス』でブラガさん演じる、モリーナが語る映画の中の女優の佇まい・所作のモデルって、この映画のノーマ?
執事マックスが作り上げた「大女優のためのアクアリウム」としてのゴシック屋敷。
改めて映画館で観て、やっぱりこの作品は映画館で観ないとな、と。 だってこれって、エーリッヒ・フォン・シュトロハイムの「アクション!」の声を聞いて、 並みいるキャメラが階段をしずしずと降りてくるグロリア・スワンソンを捉えて、 「それを客席で我々が観る」ことで、初めて完結するギミックなんだから。 圧倒的な完成度を誇る、ビリー・ワイルダーの代表作にして、ハリウッドの内幕物としても、フィルム・ノワールの到達点としても、ミステリー映画の精髄としても、時代を超えて語り継がれるべき傑作だ。 とにかく脚本の精度が只事ではない。 間断するところのないサスペンスと、ラストシーンから始まりながらなお先の読めない展開、 人間ドラマとしての充実ぶり、小気味のよい台詞の数々。何より、「リズム」が素晴らしくこなれていて、唐突なところや雑なところが一切ない。 配役の底意地の悪さも、いかにもビリー・ワイルダーらしいえぐ味があって良い。 落ちぶれた大女優役に、実際の落ちぶれた大女優グロリア・スワンソン。 まさかの前職&前肩書きが衝撃的な執事に、実際にスワンソンを●●したことがあるエーリッヒ・フォン・シュトロハイム。 スワンソンのブリッジ仲間でジョーから『蝋人形たち』と馬鹿にされているメンバーに、バスター・キートンを筆頭とする零落したサイレント時代のスターたち。 で、スワンソンに表面上優しく接しながら、映画人として切り捨ててみせる大監督に、実際にかつてスワンソン主演で何本も映画を撮っているセシル・B・デミル。 一方で、名もない三文脚本家の若いふたりには、当時まだ無名だったウィリアム・ホールデンとナンシー・オルソン。 つまり、本作は今でいうところの「当の本人が当人役で出演する〈実録再現〉ドラマ」であり、 良識派なら眉をひそめるような、下世話で露悪的なキワモノ演出のゴシップ話なのである。 それを、これだけ普遍的な悲劇へと高めてしまうワイルダーの手腕たるや、もう言葉もない。 構造としては基本、フィルム・ノワールの文法に則った作劇が成されているのだが、それと同時に、典型的な「オールド・ダーク・ハウスもの」の怪奇映画の枠組みが踏襲されているのも注目に値する。 すなわち、怪しいゴシック調のお屋敷にたどり着いた旅人が、得体の知れない主人と執事が世間から隔絶した生活を送るその屋敷で、恐怖の夜を体験する、という一つの類型である。 要するに、ワイルダーはハリウッドの内幕物を描くにあたって、ノワールの手法に、お屋敷ホラーの手法を組み合わせて、おどろおどろしいサスペンスを醸成しているわけだ。なにせ、あの怪優シュトロハイムが、オルガンでバッハの「トッカータとフーガ」を弾くんですよ。これが怪奇映画じゃなくてなんだというのか(笑)。 さらには、作中でグロリア・スワンソンが執筆している「サロメ」のストーリーラインと、映画のプロットがシンクロしている点も見逃せない。ヘロデ王によって古井戸の底にとらわれた若き預言者ヨハネ(ヨカナーン)に、王の娘であるサロメは岡惚れするのだが、「年の差がありすぎて」相手にされない。結局サロメは、ヨハネの首を父親に斬らせて、首に口づけをして歪んだ愛を成就させる。 本作のラストシーンでは、リヒャルト・シュトラウスのオペラ『サロメ』の「七つのヴェールの踊り」が鳴り響く。スワンソンにとっては、これは「セシル・B・デミルによるサロメ」がクランクインすると同時に、「サロメ」の悲劇が成就する瞬間でもあるのだ(ちなみに、サロメはだいたい16歳くらいのタイトルロールを「オバサン」歌手が若作りして演じることが多い)。 それに改めて考えてみると、『サンセット大通り』のメロドラマ的要素自体、悲劇へと転じてゆく展開や構造がとても「オペラ的」な気がする。 個人的には、本作のすべてが好きだし、すべての要素に優劣をつけがたい。 だが強いて言うなら、エーリッヒ・フォン・シュトロハイム演じるマックスという執事を創造したことこそが、『サンセット大通り』最大の功績ではないかと思う。 なにせ、本作は一見グロリア・スワンソンの物語であるかのように見えて、その実エリック・フォン・シュトロハイムの物語なのだ。 グロリア・スワンソンが生きる、時代に取り残されたゴシック・ハウス。 ここは、グロリア・スワンソンが自身の力で作り上げた世界ではない。実際は、グロリア・スワンソンを「生かす」ために、シュトロハイムが献身と妄執で作り出した、噓と虚構の「仮想世界」なのだ。 それは、ネイチャーアクアリウムのように、すべてがしつらえられ、塗り固められた、幸せな閉鎖空間。希少種を保護するかのように、執事は究極の愛情をもって、彼女の誇りに餌を与え、夢に酸素を供給する。その小さなアクアリウムに、一匹の金魚――外界を知り、若さを誇る金魚が闖入してくることから始まる悲劇。 そう、これは一人の男が何十年もかけて築き上げてきた虚構の「幸せの王国」が、外から入ってきた新しい血によって、崩壊に至る物語なのだ。 だからこそのあのラスト、ということもできるだろう。 あの瞬間、シュトロハイムは、短くともひととき、彼の「偽りの王国」を取り戻すのだから。
過去の大スターの孤独
顔面が恐ろしすぎて殺されかけたの初めて。グロリア・スワンソン怖すぎ。あの階段を仰々しく下ってくるラストシーンは忘れられない。でも、過去に売れていた俳優がかつての戦友にも相手にされなくなるということは身近に起きていたりするので、残酷なリアリティもありました。
ニュース映画「サロメ」で名演遺すノーマ・デズモンド
多作な上バラエティに富んだジャンルに傑作を遺すビリー・ワイルダーは、ストーリーテラーの達人。恩師エルンスト・ルビッチと映画の王様アルフレッド・ヒッチコックを足して、さらにダークにした感じの独特な演出タッチを持っている。コメディー映画でもアメリカナイズされた明るさより、ドイツ風な暗さを感じさせます。その中で、一番の特長は、映画を愛していること、映画に携わっている人たちを大切にしていること。その一端はキャスティングだけで十分に窺える。
セシル・B・デミル監督の「男性と女性」などに主演したサイレント映画のスター、グロリア・スワンソンが演じるノーマ・デズモンドが放つ不気味さ。忘れられた大女優役を堂々と演じる誇り高きスワンソンの女優魂が凄い。同じくサイレント映画の巨人エリッヒ・フォン・シュトロハイムの冷徹と献身を兼ねる執事の存在感。さらにサイレントから活躍を続けるセシル・B・デミルが本人役で温厚な人格者をみせて、哀愁漂うバスター・キートンもカメオ出演。ユーモアを完全に排したシニカルな内幕暴露映画で”映画”を賛美するワイルダー監督独自のユーモアが素晴らしい。
ラストは、報道人からフラッシュを浴びてサロメを演じる、狂気のデズモンドに圧倒されます。ヨカナーンことウィリアム・ホールデンを殺めてニュース映画のサロメを実演する物語の結末まで、練りに練られた脚本の完全な映画化。
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