「漂流したのは無人島ではなく現代という皮肉」キャスト・アウェイ 徒然草枕さんの映画レビュー(感想・評価)
漂流したのは無人島ではなく現代という皮肉
よくわからないのだが、フェデックスはこの映画をどう思ってるんだろう??
海外の映画ネットによると、フェデックスはこの作品に1セントさえ出資していないという。さもあらん。この映画はフェデックスの価値観を根底から否定しているから。
物流時間を最短にすることに価値がある、とフェデックス社員のトムはいう。
それは当然だ。ただ、それがすべてか? まさか!
そんな経済的価値しかみない主人公が、次に置かれるのが、時間を価値とする世界と正反対の世界なのだ。
無人島の生活の描写は、けっこう楽しい。とくにいいのが火を起こすシーンと生活の不足をさまざまな工夫で補っていくところだが、ま、とくに目新しいものはない。ウイルソンがどうしたとか馬鹿々々しいシーンは、冗長だった。
無人島生活の意味は、価値観の変換ということだ。フェデックス、はい、お疲れさんです。
しかし、救出されてみると、どうか。彼はフェデックスの世界に舞い戻り、分単位でさまざまなイベントのスケジュールに組み込まれ、無人島では口にすることさえできない豪勢な食事の山に、はやばやと飽き果ててしまう。
それは彼が求めていただけに、二重の意味で皮肉なことだ。彼は自分=価値観が根底から変わってしまったことを苦い思いで確認し、残飯となる食事のテーブルを見渡す。
そして、婚約者との再会。それは、古い価値観との最後のつながりを求めてのことだったが、もはや彼女は結婚しており、子供もいる。それが「現代社会の価値観」との別離を、彼に決定させる。
ラストシーンで、フェデックスの荷物を配達したり、そこで美形の独身女性に道を教えてもらったのは過剰なサービスにすぎない。十字路で憂愁に満ちた表情を見せるトムとそのバック音楽が、「現代社会の価値観」に対する疑念を表現している。
トムの表情は、「おれは無人島ではなく、このたくさんの人間に囲まれた現代社会で漂流してしまったよ」と皮肉な事実を語っているのである。