「芸に生きるとは」さらば、わが愛 覇王別姫 かつのじょうさんの映画レビュー(感想・評価)
芸に生きるとは
1995年に初めて劇場で観た時は、感動(と充実した疲労感?)ですぐには席を立てませんでした。映画はたくさん観てきましたが、一生心に残るだろうなと思える作品はそう多くはありません。そんな名作を、去年に続き今年も劇場で、きれいな映像で観られるとは本当にうれしいことです。
この作品では「激動の時代に翻弄された京劇役者と周囲の人々の物語」という一言の説明では到底伝わらない、時代の空気や生活の生々しさと複雑な人間心理が、時間をかけて丁寧に描かれています。京劇の舞台の美しさと迫力と、その確かな芸・技術が子供のころからの厳しい修業の賜物であることも。修業がいやで逃げ出した少年が、すぐれた俳優の舞台を観て「彼はこうなるまでにどれだけ殴られたことだろう!」と涙する場面には胸を打たれました。
その後も登場人物たちの身に起こるさまざまな出来事に(共感するだけに)振り回されて、一緒にヘトヘトになる展開が続くのですが、今回私が一番感じたのは、京劇という舞台芸術にかける人々の思いです。
レスリー・チャン演じる主人公の俳優が日本軍のために演じたと裁判にかけられる場面で、京劇のスポンサーである人物が「我が国のすぐれた伝統文化である京劇を、いかがわしいとは何事か!」と一喝するのに感動し、また主人公が「日本軍は憎いけれど、彼らは自分に指一本触れなかった」と証言するのにも、保身のために周囲に流されない京劇への確固たる愛を感じました。まぁ結果的にそういった言動が彼らをさらに苦境へと押し流すのですが。
文化大革命の描写は何度みても本当に恐ろしく、こうやって多くの人々が暴力と吊るし上げで破壊されていったのだろうなと実感します。古き良きものが存在を否定されて、多くの伝統文化も途絶えてしまったのではないでしょうか。
もし戦後の中国が共産主義でなかったら、とふと想像しました。古代の日本がお手本にしたすぐれた文化大国には、広大な国土に多種多様な地域民族・伝統文化と歴史があり、まぁ王朝が変わるごとに絶滅するものもあったにせよ、現代の歴史家が政治の顔色をうかがわずに自由に研究・発表できればさぞかし歴史学業界は大賑わいで興味深いことでしょう。文化大革命がなかったら、歴史的に貴重なものももっといっぱい残っていたのだろうなぁと思うととても残念です。
また同時に、現代のネットの悪口社会は、この文化大革命に似た恐ろしさがあるように感じました。自分と異なる価値観や意見に対して、堂々と議論するのではなく、顔や名前を出さずに(集団にまぎれてリスクを冒さず軽い気持ちで)攻撃できて、時には相手に回復不可能なほどのダメージを与える。攻撃される側はきっとこの映画のティエイー達と同じような苦しみを感じるのだと思いました。
観る人によって印象はさまざまでしょう。いろんな角度から、いろんな見方を楽しめる、非常に味わい深い作品だというのは間違いなし!
私も最初に観たときは、登場人物たちの愛憎劇というところに注目していました。時間をおいて何度も観て、自分の感想の変化を研究するのもいいものですね。