「果たして「冷血」の意味は、犯人か、カポーティか、はたまた社会か…」カポーティ KENZO一級建築士事務所さんの映画レビュー(感想・評価)
果たして「冷血」の意味は、犯人か、カポーティか、はたまた社会か…
アメリカ文学と映画の関係についての書籍を
読んで、まずは「冷血」を先行鑑賞し、
この作品も比較鑑賞した。
先に見た「冷血」は、カポーティが
“ノンフィクション小説”と名付けた原作
を元にしていることもあってか、
ドキュメンタリーのような雰囲気で
カポーティは登場しなかった。
しかし、この映画で分かったのは、
彼は犯人と密接に関係しており、
「冷血」の方は
“ノンフィクションだが、やはり小説”
であったのであろうことを想像させられた。
一方、この「カポーティ」は、
当然ながら彼が主人公として登場して、
「冷血」の作者の内面描写に
ウエイトを置いており、
フィリップ・シーモア・ホフマンの
アカデミー主演男優賞受賞演技と共に
見応えがあった。
また、この映画では様々なことを新たに
知ることが出来た。
・映画「アラバマ物語」の原作者が
女性だったこと。
・捜査官の妻がカポーティのファンだった
ため、犯人の処刑までの間、
二人は親しい関係だったこと。
・カポーティは「ティファニーで朝食を」で
著名だった作家の地位を使って
かなりの頻度で犯人に接見していたこと。
・カポーティが犯人のために弁護士を
雇っていて、裁判の当事者だったこと。
等々。
当初は、ただ作家としての成功意欲で
事件の真相を書きたかった
カポーティだったが、
彼の著作を判決に優位に使いたいとする
犯人の一人ペリーの思惑とは
ズレを感じながらも、
また、それを知りつつも、
彼と似た境遇に絆された想いを引き摺る中で
「冷血」を著した。
そして、この「冷血」経験によって、
この事件から亡くなるまでの19年もの間、
カポーティは一作も書き上げなかったように
この作品では示唆されたが、
実際はどうだったのだろうか。
また、“冷血”の意味をこの作品の中では、
犯人の冷酷な犯行か、
犯人と親しくしてまで進める冷酷な取材か、
と問われて
カポーティは前者の意味と答えた。
しかし、執筆スケジュールを優先しようと
する彼の気持ちが描かれたり、
弁護士手配が上手くいかないとの言い訳、
また「アラバマ物語」の作家から
“あなたは救いたくなかったのよ”の台詞から、後者の意味を完全否定はしなかった。
果たして真相は、と自分なりに考えたが、
よもや、カポーティや犯人の境遇を生んだ
“社会”を“冷血”
と言っているのかも、と想像もしたのだが。
映画「冷血」がこの事件の社会的意味性に
重点を置いた作品としたら、
映画「カポーティ」は事件を通じての
彼の内面の思索に焦点を合わせた作品
のように思えるカポーティ絡み2作品の
鑑賞となった。
お邪魔します。
「冷血」「カポーティ」
どちらも観てます。
裁判が長引いて弁護側に立ちつつも、小説を完成させるためには、
死刑を早くと望んで葛藤するカポーティ。
このことで書けなくなったというのは本当でしょうか?
いい映画でしたね。
(レビューは前のサイトで書きましたが、ここにはありません)