ブラウン・バニー : 映画評論・批評
2003年11月18日更新
2003年11月22日よりシネマライズほかにてロードショー
ギャロは逆説的なコントロール・フリークなのだ
「バッファロー'66」がアメリカで公開された時、ギャロはあるインタビューで自分のことを‘コントロール・フリーク’というように表現していた。「ブラウン・バニー」は、そんなギャロが、製作、監督、脚本、主演、撮影、編集、美術などを手がけた作品だが、彼のコントロールへのこだわりは、作家としての完全主義だけを意味しているわけではない。
「バッファロー'66」の主人公は、娘を拉致しようとしているのに、フロントガラスの汚れを取らずにはいられないし、自宅の寝室から仲間に電話した後で、ベッドカバーにできた皺を直さずにはいられない。筆者がインタビューしたときギャロは、「主人公の行動はまるで精神病者だが、それは同時に自分をコントロールする行為でもある」と語っていた。
ギャロは、コントロールしがたい屈折や衝動に深く囚われているため、コントロールすることに執着し、「ブラウン・バニー」が物語るように、コントロールしようとすればするほど、それが不可能な内面が浮き彫りになる。そういう意味でのコントロール・フリークであるからこそ彼は、ナルシズムに陥る瀬戸際で踏みとどまり、人間の弱さ、脆さ、惨めさ、痛みを赤裸々に描きだすことができるのだ。
(大場正明)