さすらいのレビュー・感想・評価
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まさにさすらい
冒頭からほとんど会話のない白黒の映像で睡魔が襲います。しかし途中からいろいろな人間との出会いや会話があり、何とか3時間寝ないで見通しました。
さて、内容は性器を出したり等のスキャンダラスな映像とは裏腹にピュアな主人公二人とその他途上で出会う人々の静かな群像劇です。
ドイツの映画って思弁的で哲学的でなんか単純に楽しめないな~というのが多いと感じるのですが、こちらはその気はあるものの人々のメッセージは結構ストレートですっと頭に入ってきます。
今回記憶に残ったメッセージは2つ。1つは妻が自殺した男の言葉で、人生は一回しかないのにみんなそれぞれだ、ということ。本当そうですね。2つ目は主人公の最後のほうのセリフ、女性みんなに対する欲望を持っているから、一人の女性とは暮らせない、というもの。なんてピュアなお方なのかしら、と。
まさにさすらいの映画なのですが、原題はIm Lauf der Zeitで時間=過去、現在、未来を意識させる内容を暗示しています。しかしドイツが統一された今となってはこの点は現代の、さらに外国の一視聴者としてはそこまでピンと来ないところでした。
一歩引いた目線
ヴィムヴェンダース作品が好きな理由でありますが、結構重い事情を背負った人々を、一歩引いたところから見守る目線、がいいんです。
言葉少なくたって、LINEのアカウント交換しなくたって、生まれる、続く友情があるのです。
過去と現在の分断を超えて
ヴェンダースのロードムービー三部作の三作目。これも初見。
二人の男がたまたま出会い、ともに旅して別れるまでを、あらかじめ決められたシナリオなしに、行き当たりばったりで描いているよう。
ただ、全体を通してみると、過去と現在の分断、そして国家の分断という当時の西ドイツの切実なテーマが見えてくる。
映画、車、鉄道、電話、ガソリンスタンドなど、ヴェンダースならではのアイテムが満載。例のとっぽいサングラスをかけてバイクとサイドカーに乗るシーンは、後半になってからだったんだね。
映像と音楽は、やはり良かったが、編集のリズムには今一つ乗れなかった。ロベルトと父親のシーン、ブルーノと映画館の女性のシーンをカットバックにしたのはどうしてだろう。既存の映画っぽくしたくなかったのかな。
かつてのヴェンダースファンとして、念願の作品を観ることができたわけだが、あの頃観ていたら、どのように観えただろうかと思う。また、次に観る機会があったら、どのように観えるかとも。
過去、現在、未来は、分断できるものではないだろう。
映写機と印刷機
それとジュークボックスとコンパクトレコードプレーヤー、ミシュランのランプ
なんか、最高に素敵なロードムービーだった…
あたしも今度、男に生まれ変わって、こんな旅がしたいな
走る列車と並走したトラックがクロスしてエンディング…スッキリした
【ロードムービー三部作の③/対立と、変化と】
ロードムービー三部作の最後で、三部作中、おそらく唯一、国際的な賞を獲得している作品だ。
公開当時の日本向け映像には、おちん〇〇や、ウン〇にボカシが入っていたと思うが、このレストア版は、ハッキリ映っていて、特に脱糞場面には驚く。
おちん〇〇は負けるが、ウン〇のサイズはどっこいどっこいだなとか思う(ごめんなさい。いきなり下品で......)。
さて、この作品は、1970年代であることからも分かるように、引き続き、西ドイツが舞台だ。
ドイツが東西に分かれていて、まだ、緊張感の高い時代だった。
この作品の終盤で、東西国境で米軍が使っていたと思われる掘っ立て小屋の中の米軍兵士の落書きを眺めながら、アメリカの文化に影響を受けていると思索する場面があるが、ドイツ人のアイデンティティに思いを馳せるような雰囲気があると同時に、実は、この映画自体、ロードムービーで、ロードムービーはアメリカ作品の「イージー★ライダー」で大きく注目されるようになったことからも分かるように、他の文化を受け入れ、変化していくということを肯定していることが推察される。
この肯定感が、やっぱり、ヴィム・ヴェンダースの真骨頂でもあると思う。
実は、この場面を最後に、「変化は必要だよ」というメモを残して、いわゆる”カミカゼ男”は、短いが旅を供にしていたブルーノのもとを去る。
この作品が良い作品だなと思うのは、”東西ドイツ”の国境での二人のやり取りを終盤で見せるのだが、実は、カミカゼ男の母親の死をめぐる父親との対立と和解、ブルーノの現在と過去への郷愁は、明らかにドイツの東西対立との対比として見せているし、序盤の、映画館は廃れるんだろうかという映画館オーナーとの会話は、さまざまなものや関係自体、変化し続けるという、この作品のテーマで、ブルーノとカミカゼ男の関係も、二人の今後の生き方も、ドイツ文化も、そして、もしかしたら、東西ドイツの関係も変化していくんだということ示唆し、どこかに希望を示唆しているところだ。
ロードムービーの結末は、実は、続いていくということではないかと思う。
そして、それは希望の方向を向いていることが重要であるように思える。
ヴィム・ヴェンダースの三部作を改めて通して観て、異なる特徴を持たせながら、様々なことを肯定して見せようとしたのだろうと想像する。
さすらい
映画館から映画館へ
街から町へ
移動していく映写技師と同情することになった男が
文字通りさすらう映画
ストーリーらしいストーリーはなく
全編移動しながら色々な人に会い会話を交わしていくだけだが
どこか自由奔放さを感じる
映写技師の目を通して最後には現代の映画批判をチクリとする
産業化された映画に対して想う事が色々とありそうな感じだったな
俺はこの特に誰が何をする訳でもない映画を観て
穏やかな気持ちになった
人に何かをさせようとする映画ではなかったね
バイクだけは乗りたくなったが・・・
"カミカゼ"
序盤と終盤で"映画"を語るヴェンダース。
二人の男が淡々と旅を続ける姿を映し出し、三時間弱の長丁場。
二人が親しくなって行く過程やその都度、訪れた映画館の映写技師にため息を漏らすような態度など、観ていて気付いたら時間も経過し、退屈に思うことも無い。
そんな風に単純な考えで本作を鑑賞、ヴェンダースだしドイツの歴史や古い映画、新しい映画、色々な思いで撮られた作品だろうけれど、そんなことはお構い無しに楽しく清々しく観れた!?
東西と過去の二重の分断と鉄道とトラックの寓意
何故に白黒なのか?何故に冒頭でモノクロ作品だと見れば分かるのに断りをいれるのか?
しかし、音だけは何故に妙にハイファイなのか?
何故東ドイツ国境付近で撮影したと冒頭でわざわざ断りをいれるのか?
1976年製作、当時のドイツは東西に分断され冷戦の最前線だった
数万人以上もの米軍が国内に駐屯し、ソ連軍を中核とするワルシャワ軍事同盟軍の侵攻に備えて対峙していたのだ
原題はIm Lauf der Zeit、その意味は「時の経過」だ
「過去には興味がない、現在何をしてるかだけを知りたい」
この巡回映写技師の言葉は、冒頭の老映画館支配人の「昔はナチス党員だったから映画館ができなくなった」というシーンは対になっている
つまり、ドイツは東西だけでなく過去からも分断されているのだ
そして米国に無意識まで占領されてると自嘲するのだ
その中で主人公ともう一人の男との旅の物語が語られる
旅のトラックの横を走るのは鉄道だ
敷かれたレールを快調に走るその姿は普通の人生
トラックを走らせる自分は自由に生きる戦後のドイツ人の人生の象徴だ
もう一人の男は鉄道から降りた男だ
ドイツ国民を象徴する彼のフォルクスワーゲンは暴走し川に飛び込み沈んでしまう
つまり敗戦したドイツ人そのものを表しているのだ
二人の旅は、結局二人それぞれの過去を再確認する旅となる
しかし結局、その旅は東西ドイツの地雷源の野原で分断された国境で行き止まりとなる
そこで彼らは、無意識までも占領され、自由であるように思っていても過去も東西も分断されているドイツの現実を思い知しらされることになるのだ
ドロップアウトした男は、行き止まりの現実を理解し鉄道に戻ることを決意する
トラックの男は結局行き場もなく、宛どもない旅を続けるのだ
二人の人生は戦後ドイツの姿そのものであったのだ
だから音だけは現実感のあるハイファイなのに、映像はモノクロなのだ
分断を解かれたとき彼らの意識も色彩を感じることになるのだとのメッセージなのだ
トラックと鉄道は並走し、踏切で交差して遠ざかっていく
私達は東西冷戦下に分断されたドイツ人の心境風景を知るだけでなく、誰にも共有可能な人生の生き方の余韻を噛み締めて、この3時間近い映画を見終わっているのだ
21世紀の現在、ドイツの分断はすでに30年も昔の事になっている
ソ連は崩壊し、ワルシャワ軍事同盟も消え去った
しかし米軍の駐留は今も続いており、最盛期からすれば大きく削減されたとはいえ、今も数万の兵が駐留し続けている
ソ連の脅威はロシアのそれに変わったに過ぎないからだ
それでも東西分断は解消された
今ではドイツはEUの中核、心臓となり全ヨーロッパを牽引しているのだ
過去との分断は続いているがそれは既に終わった歴史なのだろうか?
果たして二人の今は色彩がついているのであろうか?
そして日本人は本作に対応するような映像作品を作り出せているのであろうかという疑問が去来するのだ
二人でいるということ
男と男が二人でさすらう。ワゴンで二人は並び座り、サイドカーで風を切る。この二人が時に黙り込み、ふと笑顔を見せ、そしてお互いの故郷を、決して相手の領域に踏み込むことなく、歩み、過ぎていく。
ただこれだけで、なぜか私は涙してしまいます。こうした友が確実にいて、そして「これでいいんだ」と言って別れた友がいたのだと思います。最初から決して続くはずがないと分かりながらも一緒にさすらっていたのだと思います。
この映画は、私の中にひっそりと隠され、守られ続けていた何かに触れる、そんな映画でした。そしてそんな映画は間違いなく正しい映画なのだと思います。
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