「現実をフィクションで押し戻そうとする意思」ビッグ・フィッシュ jin-inuさんの映画レビュー(感想・評価)
現実をフィクションで押し戻そうとする意思
自分で見たものしか信じないリアリストの息子は、作り話ばかりするノー天気な親父を嫌っています。何度も同じホラ話を聞かされて、うんざりしています。ホントのことを話さないのは、浮気して他所に家族がいるせいだろうと疑っています。
父が癌で余命幾ばくもないことを知らされた息子は、身重の妻をつれて帰省します。病床の父は、息子の嫁を相手に、改めて自分の一生の物語を話して聞かせます。
川に住む巨大魚、人の死に様を教える魔女、気の良い巨人、心の故郷みたいな閉ざされた町「スペクター」、伝説の無能詩人、湖の裸女、狼男、二人で一人の女…。
ユアン・マクレガー演じる若き日の親父の生き生きとした冒険譚とアルバート・フィニー演じる年老いた父の日常が交互に描かれます。本作のユアン・マクレガーははまり役で、出てくるだけで画面に活気が溢れます。魅力あふれる若き日の親父と精彩を欠く息子の対比が鮮やかです。
息子はある手がかりを元に、父の秘密を知る人物を探し当てます。そこで彼は父の本当の姿を聞かされます。その姿とは…饒舌で、社交性があって、妻に一途で、快活で、愛されキャラで、人情家で、他人のために苦労を厭わない利他的な人で、作り話が好きで、見た目で人を判断しない、勇気がある、行動力がある、大柄、友達が多い、人を傷つけない、冒険好き、日曜大工好き。なんともお茶目で魅力的な男でした。きっと親父のキャラクターには監督の理想の男像が反映されているのでしょう。作り話が好きなところ以外は共通点がなさそうに見えますが。
ティム・バートン監督は前作「猿の惑星(2001)」で“火星ガール”リサ・マリーと別れヘレナ・ボナム・カーターとの交際を始めていたそうですが、本作ではヘレナ・ボナム・カーター演じる美女の誘いをこの親父に断らせました。監督はヘレナ・ボナム・カーターとの間に2児をもうけますが、現在はモニカ・ベルッチと暮らしているそうです。この物語で描いたような夫婦関係は現実には難しいようです。本作の親父の温かな最期には監督の希望も詰まっているのでしょうが、はたして現実はそういくのでしょうか。
息子の世代から見ると、父親の世代の話しは現実感に乏しく、まるで作り話のように聞こえてしまうのはあるあるだと思います。特に戦争の話などは平和な時代に育った若者たちにはフィクションのように思えるはずです。逆に父の世代から見ると、息子たちの話は現実的で面白みがありません。ルールを守り、型破りなこともせず、スマートで、株価や経済やITに詳しくて、人情味がなくて、画一化された規格品のロボットみたいで…。どちらが正しいというわけでもなく、育った世界があまりにも違うということ、たった1世代の間にあまりにも世界が大きく変わってしまったということでしょうか。そしてその変化は今後ますます激しくなり、親子の間の断絶はさらに深く大きくなっていくのでしょう。その時にはこの映画も「古くてつまらない映画」として忘れられているのかも知れません。あらゆるフィクションは現実に押し負け、追い越されていく運命なのかも。
不況の煽りを受けて破産し、町ごと競売にかけられてしまった「スペクター」。他人事のはずなのに親父は駆けずり回り資金を調達し町ごと買い取ってしまいます。荒廃しきった町を、また元通りの姿に再建します。まさに力ずくで“現実”を押し戻し、“心の故郷”を守り抜く男。感動的なストーリーではありますが、その町には彼を慕う者たちがいつまでも変わらぬ姿で彼の帰りを待ち続けています。それはそれでホラーです。