バッド・エデュケーション(2004)のレビュー・感想・評価
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【「グレース・オブ・ゴッド」「スポットライト 世紀のスクープ」を彷彿させる内容なれど、声高にその問題を訴えず愛と秘密で織り上げるドラマに綴ったアルモドバル監督の手腕に唸る作品。】
■1980年のマドリード。
新進映画監督エンリケのもとに、神学校寄宿舎で親友だったイグナシオ(ガエル・ガルシア・ベルナル)が訪ねてくる。
エンリケはイグナシオの変貌ぶりに戸惑うも、彼が携えてきた脚本に惹かれる。
そこには、愛で結ばれるも引き裂かれた彼らの少年時代の悲劇が綴られていたからである。
◆感想が<Caution!内容に触れています。>
・ミステリアス要素を序盤では感じさせずに、進行するストーリー展開の上手さが、流石アルモドバル監督である。
・イグナシオを演じたガエル・ガルシア・ベルナルの七変化に近い演技にも魅入られる。
■幼きイグナシオが、マオロ神父の性的虐待を受けていたために、彼の人生が狂っってしまった事を、イグナシオの弟のファンは、神父の行いを白日の下に晒すためにイグナシオに代わり、エンリケに”訪れ”と言う脚本に認め、持参したのである。あくまで、自分は亡きイグナシオであるというスタンスを崩さずに・・。
<今作は、世に屡々出る聖職者の幼児虐待を隠れテーマとしながらも、新進映画監督エンリケと、”イグナシオ”の久しぶりの関係性を軸に、青年ふたりのスキャンダラスな愛と欲望の顛末を描いた作品である。>
心の中は複雑だね。
ガエル・ガルシア・ベルナルのインタビューを聞いた。彼の足跡をある有名なイギリスのインタビュアーが質問したものだった。子役、昼メロ、それから、アモーレス・ペロスでスターダムにのし上がったという実績で、1時間以上のインタビューだったが、深くないので飽きちゃったから全部観ていない。そこで、気になったのが、ガエルのトランスジェンダーの役で、どんな努力を重ねたかと言う質問だったようだが、ガエルは微笑んでいてよく答えていない。インタビューアーは『ジュリアロバーツにそっくりだが、どう?』 と言う質問にもあまりよくこたえていない。 その後、モーターサイクルダイヤリーの話になって、彼は大好きな役だったと言ってるが、具体的な説明が必要だった。 バッド・エジュケーションの映画の中で、アンヘル(弟)がトランスジェンダー役のザハラをやりたくて、その役を兄(イグナシオ)のカトリック学校時代の映画監督に脚本を渡して頼み込みこんだと言う内容なので、どう言う意味か知りたくてこれを観た。残念だが、私にとって、あまり面白くなかった。 1980年以降16年後くらいのイベントが舞台だ。印象に残ったことをいくつか書く。 ファン(弟、アンヘル役もする)この小さい村で、兄(イグナシオ)の存在は大変だった。トランスジェンダーで、麻薬中毒の兄を持つ弟はゲイの映画監督エンリケ(イグナシオの好きだった人)に言う。 これは言い訳に聞こえ、『どんな理由があっても、人の命をとることはできない』 と映画であるが、私は腹立たしく思った。エンリケ(フェレ・マチネス)は聞く耳を持たなかったし、ファンの『これ以上もっと先をいける』と言うエンリケのところに留まりたいと言う意志を拒否した。 それから、兄の手紙をエンリケに渡して、エンリケの元を去る。その手紙には一行しかかかれていなく、愛の告白の手紙でもなく、『親愛なるエンリケ、私は成功したと思う。』と言う風な意味だけ。 ここで、エンリケは心の中にあるイグナシオの思いを神妙に考えていたが、それを立ちきることができたと察する。 最後のシーンはエンリケの一番、素晴らしい心の動きだと思う。 やっと、これで、ザハラを演じたかった、ファン(弟、アンヘル)の気持ちが私は理解できた。それに、フィルムを撮り終わった時が大泣きした理由も。 意味が全て理解できた。
とても面白かった
クズのゲイばかりが出てきており、この題材は本当のゲイの人にしか描けない。ミステリーの構成も見事でとても面白かった。特に劇中劇と現実の過去の出来事との線引きが不鮮明で、スリリングで危うくてよかった。確か中村うさぎさんが大好きな映画でおすすめされていた記憶があり、ずいぶん経ったけどようやく見れた。面白かった。生きていくのは辛い、ヤクをやめたい、家族は大切というような渾然とした気持ちを抱えて生きている人を丸ごとの存在として描いていて見事だった。
アルモドバル監督の半自叙伝的映画
全体的には、『オール・アバウト・マイ・マザー』や『トーク・トゥ・ハー』のような映像によるインパクトは弱かったように感じた。『モーターサイクル・ダイアリーズ』でも素晴らしい演技を発揮したガエル・ガルシア・ベルナルが新境地を見せてくれたことや、後半のサスペンス映画のような展開のおかげ沈みかけた感覚も再浮上しました。 ゲイ映画はそれほど好きじゃないのですが、数あるゲイ映画の中ではかなり上位にくるかもしれません。エンリケとイグナシオの愛よりも、フアンとベレングエル氏との惰性的で打算的なラブシーンが衝撃的なのです。バッド・エデュケーションというタイトルを冠したことや、チラシや予告編で2人の少年がクローズアップされているため、映像化もやばいであろう少年愛が中心になるかと思っていたら、意外な展開に唸ってしまうほどです。 しかし、「この愛の物語を全ての人々に捧げる」という監督の言葉はいかがなものでしょうか。かなり見えにくくなっている愛のテーマ。もしかすると、「復讐がテーマなのでは?」と途中で感じてしまうほどドロドロした部分を見せておいて、監督対役者という構図の面白さと、ホモセクシャルへの偏見を無くそうとするほどの普遍的な愛情表現。物語の構成が後になって、計算されつくしたものであると気づいてしまいます。上手いなぁ・・・やはり。
今なら分かることがある
公開された頃に一度観ていたことを忘れて、も一度最近観たら、最初観た頃よりも、人間のどうしようもない部分やら悲しい部分に理解できた気がした。自分が歳を取ったからかな。 ショットの位置や角度、色使いが観てて飽きない。そして話が進むにつれて真実が分かっていく様がなかなかだった。
いままでで一番最悪の映画体験
アルモドバルは公然と自分がゲイであることを認めている。それはそれで構わない。表現の世界は基本的に平等だと思ってるからだ。 でも、いろんな人が集って宴をやるとしたら、当然守らなければならない一線はある。そこで制約が生まれ、制約の中で自由を見つけたからこそ本当の表現ができる。誰もが理解したいという気持ちになる。 前作「トーク・トゥ・ハー」でのぞかせた狂気はやっぱり伏線になって、次でこんな映画ができてしまう。たぶんそれなりの事言ってるのでしょうが、わたくしにはそれを集中して理解したいって気持ちはわきませんでした。自伝的要素が強いらしい。たしかに子供のころにひどい経験を実際にしたのなら、それは気の毒だが、だからといってそれを他人に押し付けるのはお門違い。子供じゃないんだから。
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