「蝕まれたい貴方の愛で。主題歌すげ。」愛の流刑地 さぽしゃさんの映画レビュー(感想・評価)
蝕まれたい貴方の愛で。主題歌すげ。
その手で
その手で私を汚して
何度も
何度も私を壊して
汗ばむ淋しさを重ね合わせ
眩しく見えない闇に落ちていく
いつか滅び逝くこのカラダならば
蝕まれたい貴方の愛で
「蝕まれたい貴方の愛で」とか。なかなか出てこないです。平井堅って凄い。
あ、すみません。平井堅「哀歌(エレジー)」です。
この曲は、ご存じ、渡辺淳一先生原作の映画化「愛の流刑地」の主題歌です。
以前は売れっ子恋愛小説家だったが、現在は落ち目の村尾(豊川悦司)が、友人の紹介で知り合った人妻の冬香(寺島しのぶ)との情事に溺れる。結果、予想しなかった結末が。
「この純愛が理解できないのは感性が劣っている」と、先生は生前に仰っていたようです。冬香に溺れて、段々情けなく、滑稽になっていく村尾に対して、性の歓びを知って、女として美しく開花していく冬香。寺島しのぶは、けっして美人ではないですが。真っ白なワンピースを着て、ある決意を胸に鏡の前に立つ姿は、はっとするほど美しかったです。
仕事でやむなく原作も読んだですが、明らかに映画の方が文学の香りがします。あ、先生すみません。でも、先生本人も、映画化作品の中では一番気に入っていたとか。
ある決意とは、村尾に自分(冬香)を殺させること。その真意は、後半分かります。
逮捕されてから村尾は、冬香の、自分達の、愛の純粋さを証明することに拘ります。
検事(長谷川京子)に、「愛しているから殺した」と主張する村尾。また検事側がいう「過失致死罪」ではなく、あくまで「委託殺人罪」を主張。
「冬香を情事の果てに殺された愚かな女にしたくない」
「冬香はそんな女じゃない」
一環して、そう言い続ける村尾ですが、周囲の見解とは大きくかけ離れています。当然です。
さて、ここまで書きましたが。あ、今更、言うことではないかも知れませんが。この映画に共感する為には、あるポイントをクリアする必要があると思うのです。それは以下の通りです。
1、バーのママ(余貴美子)が言います。人間は二種類だけ。「それ(性の歓び)を知ってる女と知らない女、そしてそこに導ける男と、そうじゃない男」
2、自分達の愛情の純粋さを主張し続けていた村尾ですが、裁判が進む内に、客観的に事件を見つめ始めます。そして、やっと気付くのです。何故冬香が、自分を殺せと言ったのか。つまり、自分を殺させることで、村尾を自分に縛り付けることができる。究極の束縛なんです。それを知って、「選ばれた殺人者」と、何故か歓びの境地に辿り着く村尾。
つまり、知ってる女と、導ける男と、この究極の束縛と、村尾の歓びの境地が理解できないと、なかなか共感できないと思われるのです。先生に言わせれば、それは「感性が鈍っている」のかも知れませんが。ぶっちゃけ、私は1はクリアでも、2がクリアできません。故に、裁判で情事の録音テープを聞かされる冬香の夫(中村トオル)の、苦渋に満ちた表情だけが強く記憶に残りました。酷い。酷すぎます。
究極の束縛と言いましたが、私はそこに先生がいうような純粋さを見出すことはできませんでした。しかし、恐らく冬香自身も、このテンションでずっと永遠に村尾と会い続けることが不可能と気付いていた。精神的にも、肉体的にも。だから、この関係が終わる前に、先手を打ったように思えました。それは純粋さというよりは、寧ろ狡く、そしてとても愚かに思えました。
けれど恋愛の前では、少し愚かな女でいたいような気もするから、困ります。