劇場公開日 2004年7月24日

シュレック2 : 特集

2004年7月21日更新

前作ファンならご存知の通り、「シュレック2」はヒット映画のパロディ満載で、映画を知っていればいるほど楽しめる。さらに業界通ならご存知の通り、本作は製作総指揮のジェフリー・カッツェンバーグの経歴を押さえて観るともっとおもしろい。このカッツェンバーグと、ディズニー会長マイケル・アイズナーは、ハリウッドでも有名な犬猿の仲なのだ。(文:編集部)

「シュレック」はカッツェンバーグを押さえて見るとオモシロイ

■カッツェンバーグはディズニー再興の貢献者

「ディズニーのお題目は“子供たちと、大人の中にある子供心ための映画”だ。だからドリームワークスは“大人たちと、子供の中にある大人心ための映画”を作るんだよ」

「シュレック2」のキャンペーンでも たびたび来日しているカッツェンバーグ(右)
「シュレック2」のキャンペーンでも たびたび来日しているカッツェンバーグ(右)

これは「シュレック」公開時にカッツェンバーグが言った有名なセリフ。なぜこの人がそんなにディズニーのことを気にするのかというと、落ち目だったディズニー・アニメを89年の「リトル・マーメイド」を皮切りに「美女と野獣」(91)、「アラジン」(92)、「ライオン・キング」(94)などを世に送り出して立て直したのがこの人だったからだろう。そして、こうした貢献をしながら現ディズニー会長のマイケル・アイズナーにクビにされたからに違いない。そもそもドリームワークスという会社が設立されたのは、カッツェンバーグがディズニーをクビになったからなのだ。

それまでのカッツェンバーグは、ヤリ手人生一直線。伝説では14歳のときからニューヨーク市長の下働きとなり、75年に22歳でパラマウントに入社、郵便係から初めて経営陣になり、マイケル・アイズナーの右腕としてともにパラマウントの立て直しに貢献する。そして84年にアイズナーがディズニーに移る際には彼を右腕として連れて行く。カッツェンバーグによれば、初めて2人がディズニーの社屋を訪れた際、アイズナーはアニメ部門の建物を指さして「さあ、あれが君の胃痛のタネさ」と言ったそうな。それまでテレビや映画は手掛けていたカッツェンバーグだが、アニメを手掛けるのはこの時が初めて。しかし、アニメ製作部門の最高責任者となった彼は、ディズニーの古株をどんどんクビにして若手を起用、先述のような大ヒット・アニメを次々に産みだし、ディズニーの第2次黄金時代を築いていく。もちろん、アイズナーの経営手腕も評価される。

「シュレック2」
「シュレック2」

しかし、カッツェンバーグもアイズナーもその人柄の評判はよろしくない。アイズナーがディズニーに移った際、経営陣のひとり、ロイ・ディズニーはワーナー・ブラザースからフランク・ウェルズを引き抜きトップの座を提供しようとしたが、アイズナーの人柄を知るデビッド・ゲフィンがウェルズに「マイケルが君のために働くことは絶対にない」と助言し、その助言が腑に落ちたウェルズはアイズナーの上ではなく下で働くことにしたと言われている。カッツェンバーグはそのウェルズに続く、ディズニーのナンバー3だったが、94年にウェルズがヘリコプターの墜落事故で急死したため、映画部門全体の総責任者になる。

が、ここで起きたのがカッツェンバーグのクビ事件。ウェルズの死後ほどなくしてアイズナーが急に心臓手術をすることになり、入院中にカッツェンバーグのクビを決意したと言われている。アイズナーは「カッツェンバーグは完璧にスポットライトを浴びていることを望み、キャプテンでなければチームにいることができなくなっていた」と語っている。また、ロイ・ディズニーもカッツェンバーグがアニメ部門の業績を独り占めしていることに不満を抱いていたとも言われている。事情はいろいろあったのだろうが、カッツェンバーグは急遽、クビを言い渡されてしまう。

>>次のページ

関連ニュース

関連ニュースをもっと読む

映画評論

「シュレック2」の作品トップへ