「海の映像と、音楽に癒される。」ファインディング・ニモ とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)
海の映像と、音楽に癒される。
海の映像。
潮の流れ他で、たゆたう水。
水の中に漂うプランクトン。
光と影。
それを眺めているだけで、癒される。
そして、大活劇のあとに流れる小粋な『La Mar(海)=Beyonnd the sea』の心地よさ。
いつまでも、身をゆだねていたくなる。パッションフルーツのカクテルかノンアルコールフルーツポンチか何かを片手に。
子ども向けのアニメのエンディングに、こんな大人の音楽を添えるなんて。そのセンスの良さ。こんな風に、子どものころから本物の音楽にふれる機会があるなんて。良いものを子どもに届けようという意気込みがうれしい。しかも、エンディングに添える映像もまた、小粋なこと。ラストのラストに思わず「ナイス!」と声に出して笑ってしまうオチまでついてくる。小気味のいい映画。
エンディングの音楽だけを取り上げたが、劇中も素晴らしい音楽の数々。セリフを消して映像と音楽だけを堪能しくなるほど。
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父とその道連れになった相棒と、息子とその仲間の冒険談。
”字”が読める魚とヒトデ等、各場面、ツッコミどころありまくりの冒険談。
一難去って、また一難。鯨のくだりの頃には、まだあるの?これ、子どもには長すぎない?と思ってしまった。よほど、疲れているのかなぁ。
と、海のエピソードに飽きてくるころ、空の疾走感。メリハリもいい。
1時間42分強の映画。でも、エピソードごとの区切りが良いから、チャプター機能使ってお気に入り場面ごとにも楽しめる。
各キャラクターの表情・言動描写も見事。
前日譚。コーラルの危機感あふれる表情。それだけで「やめて!」と叫びたくなる。
事の始まり。最初、ビビッて、父の言いつけを守ろうとしていたニモだが、マーリンの「お前にはできない(思い出し引用)」等という心配のあまりの言葉に反発して、船に近づく。その時のニモの表情。ピシッと幸運のひれで、ボートの底をたたく時の視線。なのに、人間につかまってしまった時のパニック状態。そこに、本当の子どもがいるようだ。オリジナル・吹き替えともに声もいい。
他にも他にも。
クラッシュは田中邦衛さんが出てきたかと何度も見てしまった…(笑)。
DVDにて、字幕⇒解説⇒吹き替えの順で鑑賞。
DVDの解説によると、監督の実体験から生まれた物語だそうだ。
息子と散歩を楽しみたいのに、危険回避のために叱ってばかりの自分。監督の化身であるマーリン。
だからか、父と子の関係、それぞれの成長譚がメインのストーリー。
「何もないようにしたら、子どもは何もできなくなっちゃう(思い出し引用)」とか、心に留めたい台詞にあふれている。
”安全”な勉強だけをやらせて(机に座ってドリルだけしていれば怪我はしない)、失敗しないように、レッドカーペットをひく親が増えている中、耳が痛い格言が多い。
典型的に描かれた3人の父による子育ての比較。マーリン自身の不安から、心配性で過保護で、ニモを束縛し、ニモができるようになったこととできないことを冷静に見極められずに、守ることに熱心で、できるようになるための躾ができないマーリン。「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」ようなギルは、自分の欲求のためにニモを使おうとする(後で反省するけれど)。子どもの力を信じて放任主義のクラッシュは一見、理想の父に見えるけれど、海岸に産んだ卵で成亀になれるのは何匹かという現実問題にはこの映画ではふれない。
加えて、サメ・パーティは、アルコール依存者の回復のためのAAミーティングのもじり。
一歩間違えると、説教臭さが振りまかれるストーリー。
そこを破壊してくるのが、ドリー。
一気に説教臭さを蹴散らしてくれる。室井さんの声もいいけれど、オリジナルに比べると落ち着いている。やはりオリジナルのデジェネレスさんの魅力!!!パンチある弾けっぷり!!! スピンオフが作られるのも納得。実際に、こんなドリーみたいな人が近くに居たらイライラしてしまうのに、この映画では最高!!!
解説では、「マーリンとドリー、ギルとニモの疑似親子が、それぞれその関係性の中で成長する」と言っていたけれど、私には、ドリーが”母”のように、マーリンを包み、導いたようにも見える。もちろん、マーリンはドリーの面倒を見て振り回されていたから、魚群と出会う前に、別々の道を行こうとしたのだと思うけれど。
と、教訓も得られて、コンビの珍道中や冒険活劇を楽しめて、映像・音楽にも癒され、と賛辞を贈りたい映画なのだけれど、環境保護の点ではマイナスをつけたい。
ギルの言う「トイレは海に繋がっている(思い出し引用)」。脱出劇のための設定なのだと思っていた。
ところが、製作スタッフが下水道関係者に確認したところ、現実でも可能とのコメントをもらったと解説で言っていた。
ということは、生活排水がそのまま、海や川に流れ込む?
どおりで、映画でも、シドニーに近づいた途端、視界が悪くなり「あのゴミさっきも見たぞ。同じところを回っている(思い出し引用)」となるわけだ・
昭和時代の、もっと言えば、足尾銅山時代からの公害史を思い起こして、悲鳴を上げてしまった。
東京湾もヘドロだらけだったのが、今では釣りもできる。
隅田川も、荒川も、神田川もひどいにおいを振りまいていたのに、今では川床やクルージングもできるくらいにはきれいになった。秋葉原や上野はまだ臭うところあるけれど。
日本・東京の下水処理の仕組みを確認したら、”上澄み”の部分の居続けられたら、可能なんだろうけれど、幾つものタンクを経て浄水される、そもそも海水じゃないし、日本なら無理だ。
願わくは、日本の子どもがマネをして、シンク・洗面所・トイレ・風呂場に魚を流そうとしませんように。
オーストラリアやUSAの下水が、公害にならないように処理されて排水されていますように。
スタッフは、親子愛を描くことに夢中になって、環境問題は忘れていたようだ。
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ところで、「この映画には悪役はでてこない」というレビューも見たけれど、マーリンとニモを引き離す歯科医や、魚をあんなふうに扱って死なせるダーラは悪役ではないのか?
一応、解説では「ニモを助けたつもりの勘違い歯科医」と言っていたし、ダーラと言う悪役に名前を使われたプロディーサーへのインタビューもあったから、制作としては、人間=悪役扱いらしい。
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ツッコミまくりの設定、記憶にとどめておきたい台詞。
もう少し短くできると思うけれど、海の総てを描きたかったんだろうな。
海の匠な描写と、音楽と、登場人物に言動・表情に癒されます。