ミスティック・リバーのレビュー・感想・評価
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運命に翻弄される者
大きな川が流れる街。
デイブ。11才の頃誘拐監禁された過去を持つ。
妻セレステと息子。
ジミーを怖がる?
性格上かふりかかる運命を仕方ないと受け入れがち?
事件の夜、酔って服を切られケガして帰って来て
男を殺したかもと言う。
新聞やTVでのニュースが無いので妻は不審に思う。
ジミー。前科者で愛娘ケイティーが殺された。
デイブが誘拐された時ショーンとその場にいた。
亡くなった前妻の忘れ形見で素直な娘だったので、
悔しくて警察より先に見つけ犯人を殺そうと考える。
妻アナベスの義理父に当たる、イライラが募っている。
ケイティーには父である自分しか血の繋がりはなくて、
ケイティーの身体にワンピースをかけてあげ嗚咽。
ケイティーはブレンダンと駆け落ち予定だったが、
執拗にブレンダンを嫌う父ジミー。
凶暴なサベッジ兄弟と義理兄弟
ショーン•デバイン。刑事、妻ローレンと別居中。
デイブが誘拐された時に居合わせる。
ジミー、ショーン、デイブの三人が子供の頃
よく遊んでいたストリート。
ここでデイブだけ連れ去られた。
事件が起こり、三者三様。
被害者の父、刑事、疑われた者。
思い込みが強くて間違いを犯す事もある、という戒め❓
デイブの妻セレステと
ジミーの妻アナベスが対照的‼️
セレステは、血をつけて帰ったこと、
デイブの誰か男を殺したかもしれないとの話、
男の殺人事件が報道されていない。
という点から、デイブが否定していたにもかかわらず、
ホテルで泊まり、ジミーに疑いの言葉を言ってしまう。
アナベスは、前科者の夫なら犯人の見当つけたなら、
どうするか大体予想しつつ、義理とはいえ愛娘の為ならありがたいことだと夫を讃える。
ジミーが娘の恋人ブレンダンを避けるのは、
理由があった。
犯人は意外な人物でありそれも偶発的。
セレステがアナベスのような考え方なら、
間違いは起こらなかったのか、と。
アナベスの考え方も相手がジミーだけに、
なんか怖い気もします。
さすがサベッジ兄弟と兄弟、ですよね。
パレードがあり、
その後、ジミーとショーンはどうするのか⁉️
結局3回観てしまったのですが、
ラストの意味深な様子。
キャスト三人のイメージで役に合っていたな、
と思いました。
ひどい
後味悪…。
最初はよかった。
少年3人が仲良くホッケー。
どんな人生が…?と。
そしてそこから車に乗った子、乗らなかった子達の人生が始まったわけか。
いや、車に乗ったデイブは確かに不幸だったと思うが、奥さんもいて、可愛い息子も。
そして子煩悩なパパだったのに。
過去のトラウマに苦しんでいたのかもしれないが、あの家族だけ一番貧乏くじ引かされた感じ。
最後のパレードでこれでもかと。
なぜショーンはジミーのことは見逃すのか?
少年達の犯行、というのもちょっと無理矢理感あり。
真相は川の中に
中学生の頃視聴した懐かしの一本。この作品でイーストウッドを知った。ティムロビンス、ショーンペン、ケビンベーコンという名優たちが演じる。
悲しい事件が3人の運命を狂わせる。その悲しみの連鎖は大人になった後も続く。終始重い空気が漂い、嫌悪が増長していく。悲しみは人間の判断を狂わせる。その結果取り返しのつかない事態となる。まさに負のピタゴラスイッチやよね。幼い頃の事件さえなければ、デイブは殺人まで犯すことはなかったやろうな…
今観ると、同級生を殺したジミーを正当化する妻に恐ろしさを感じる。ジミーはあのまま何事もなかったように生きていくのか、それともどこかで良心の呵責に耐えきれなくなる時がくるのか…破滅を感じさせるラスト。
重くて良い、、
ずっと気になっていたが中々見る機会がなかったやつ。
結構重くて悲しい、、
娘を亡くす親の話とか、私は絶対泣いてしまう。
ショーン・ペンの演技が良い。こういう役ハマる。ショーン・ペンには毎回泣かされてるかも。
割と自業自得な話ではある。
ティム・ロビンスはずっと可哀想な人生。
なんで自分が殺したって言ってしまったのか、、。
ショーン・ペンからしても意味わからないだろうな。
警察役のケビン・ベーコン良かった。
ティム・ロビンスが死んだこと勘づいているけど、そういうことよりやっぱり自分(妻)のことが大事なのか。
2人にとってもいい思い出じゃ無かったから、死んでくれてちょっとは荷が降りた感じなのかなぁ。
大人になってからの3人の関係性もそこそこ良かった。
ショーン・ペンの奥さん強い、、!かっこいい。
殺された女の子の彼氏はとことん可哀想。まさか弟が、、。
私は結構好きな映画。見応えがあった。
試験勉強で1ヶ月以上映画見れなかったからか??
見応えはあったが
終わってみれば変な映画だった。 うまくいかなかった脚本を無理やり名作劇場 風に仕上げたみたいな。終わってみれば ネタもまたありきたりだったし。実は町のボスでしたってか・・はぁ~とため息が出るな・・イーストウッドの中途半端な名作劇場はもう見んでいい。
その川は全てを隠してしまう。過去も、罪も、命でさえも…。 俳優陣のアンサンブルに震える極上のサスペンス✝️
ミスティック川沿いの近郊都市で起きた殺人事件を契機に、疎遠になっていた幼なじみ3人の運命が交わり合う様を描いたミステリー。
監督/製作/音楽は『ダーティーハリー』シリーズや『パーフェクト ワールド』の、巨匠クリント・イーストウッド。
雑貨屋の主人、ジミー・マーカムを演じるのは『ゲーム』『I am Sam アイ・アム・サム』の、名優ショーン・ペン。本作でオスカーを獲得!
心に傷を負う男、デイヴ・ボイルを演じるのは『トップガン』『ショーシャンクの空に』の、レジェンド俳優ティム・ロビンス。本作でオスカーを獲得!
殺人事件を捜査する刑事、ショーン・ディバインを演じるのは『アポロ13』『インビジブル』の、名優ケヴィン・ベーコン。
ショーンの相棒である刑事、ホワイティ・パワーズを演じるのは『地獄の黙示録』『マトリックス』シリーズの、名優ローレンス・フィッシュバーン。
👑受賞歴👑
第76回 アカデミー賞…主演男優賞/助演男優賞!✨
第61回 ゴールデングローブ賞…主演男優賞(ドラマ部門)/助演男優賞!✨
第9回 放送映画批評家協会賞…主演男優賞/助演男優賞!✨
第29回 セザール賞…外国映画賞!
第47回 ブルーリボン賞…外国映画賞!
うぉ…!お、面白えぇぇ…。
クリント・イーストウッドが名監督であることはもちろん知っていたが、ここまで凄い本格派ミステリーを撮ることが出来るのか…。
しかも本作では音楽まで手掛けてるって、この人マジでなんなんだ。映画の神に愛されすぎている。
これまでイーストウッド作品では『パーフェクト ワールド』(1993)が一番だと思っていたけど、この作品はそれを上回るかも。いやとにかく凄いもん見させていただきました👏
派手なCGやエフェクトは一切無し。ある殺人事件の顛末を被害者遺族、容疑者、刑事という三者三様の立場から描き出す。
シンプルな映画ではあるのだが、この3人が幼なじみであり、幼少期の痛ましい事件がその友情を引き裂いたということが冒頭で提示されているので、とにかく興味の持続力が落ちない。この物語がどういう方向へ向かうのか、そしてどう着地するのかが気になりすぎて一分一秒も退屈している暇が無かった。
陳腐な虚仮威しや中身のないアクションで茶を濁すことなく、一つ一つ丁寧に人物描写を積み上げていく。それが生み出す圧倒的なリアリティが強靭な骨子となってこの物語を支えている。
無骨であり流麗。寡黙にして雄弁。一で十を語るかのような豊かさを持つ、まさにこれこそジ・映画!こういうのが観たかった♪
本作の登場人物には赤い血が確かに通っている。人物描写の細やかさもさることながら、俳優陣の熱演が本作のリアリティを格段に高めていた。
ショーン・ペン/ティム・ロビンス/ケヴィン・ベーコンというハリウッドきっての演技派である大物3人がグイグイ物語を引っ張っていく。この3人は年齢が近く、技量も拮抗している。同レベルの俳優が集うことで生まれるグルーヴ感が映画に満ちており、各人の持つ本来の力が増幅されたかのような迫力が演技に込められていた。
押しの演技で攻めるショーンを引きの演技で受けるティム。オスカーを獲得したことからも分かる通り、やはりこの2人の演技は目立つ。特に今回のショーン・ペンは鬼気迫るというか、こんなに上手い役者だったのかと改めて思い知らされた。顔ではなく肩。肩の演技で自分がヤクザ者であることを観客に分からせる。こんな演技普通出来ん。凄すぎる…😨
ただ、個人的にMVPはケヴィン・ベーコンに与えたい。
今回のベーコンは他の2人と比べるとどうしても目立たないポジションの役を演じている。そのため印象には残りづらいものの、職人的とも言える堅実な演技で主軸となる2人をしっかりとサポートしていた。
ショーンをガンガン攻めるストライカー、ティムをガッシリとゴールを守るキーパーと例えるのなら、ベーコンは他の役者を活かすためにボールを送るパサーと言ったところだろうか。地味な役回りだが、彼がいたからこそこの映画の役者陣のアンサンブルは生み出されていたのだと思う。
早撮りで有名なイーストウッド。この映画でも1テイク主義は健在だったようで、それが生み出す緊張感もまた役者の力を120%引き出すことに一役買っていたのだろう。
面白いのは、演技上でのアクシデントをそのまま映画内に組み込んでしまっていること。
例えば安置所でのショーンとベーコンのやり取り。過去を掘り起こされたことに激昂したショーンがテーブルを叩き、その拍子にベーコンが手元のコーヒーをこぼしてしまうというシーンがあるがここは意図した演出ではない。ベーコンは本当にコーヒーをこぼしてしまったのである。しかし、このシーンがあることでベーコンの動揺が観客にも伝わってきたし、この2人の関係性のようなものも浮き彫りになっていたように思う。
ポーチでタバコを吸うティムとショーンのシーンにもアクシデントがある。
タバコに火をつけようとするティムは、背後からのショーンの声かけに驚きマッチで指先を焼いてしまう。ここも実はミス。火を確実につけるためマッチを3本同時に擦ったことで起こったアクシデントだったのだが、これもまたティムの常に何かに怯えているかのような性格を表わしているかのように観客の目には映る。
事程左様に、本作にはイーストウッドの1テイク主義が生んだ怪我の功名が散見される。この役者のナマの姿がキャラクターたちの血肉となっており、ひいてはそれがこの映画の持つ圧倒的な説得力に繋がっているのである。
物語自体はシンプルなのだが、この映画が一筋縄でいかないのは表層的ではない部分に数多くのテーマやメタファーが隠されているから。描かれたディテールをひとつひとつ考えていったら頭がパンクしそうになるくらい、数多くの含みがこの映画には仕込まれている。正直言って全然読み解くことができなかったので、プロの批評家が書いたこの映画のしっかりとした論文を読んでみたい。
ただ、この映画が宗教的な要素を多分に含んでいるというのはなんとなく分かる。
まず気になるのは冒頭、誘拐犯の1人の指に十字架の指輪が嵌っているということ。
カトリック司祭による児童への性的虐待をボストン・グローブ紙がすっぱ抜いたのが2002年。この一連の出来事は『スポットライト 世紀のスクープ』(2015)というタイトルで映画化もされている。
この記事が掲載されたのは2002年の初頭。本作の撮影時期が2002年の9〜11月、場所はボストンであったことを考えると、この誘拐犯はカトリック協会のメタファーとして描かれていると考えてまず間違いないだろう。
そしてこの映画のクライマックス。
服を脱いだジミーの背中に彫られていたのは大きな十字架。この映画は十字架で始まり十字架で終わるのである。
DVD特典のオーディオコメンタリーでも触れられていたが、ジミーと妻のやり取りはおそらく「マクベス」からのリファレンス。この場面は、物語の後に訪れるであろうジミーの破滅を予感させるものになっている。
中盤、デイヴは吸血鬼や狼男について言及する。「死して今とは全く違うものに生まれ変わりたい」と。
反キリスト的な存在を十字架を背負ったものが殺す、という描写には中世の魔女狩りや十字軍遠征を連想させられる。「汝殺す勿れ」と説いておきながら、その実態は血みどろの歴史に彩られているキリスト教。ジミーはそのメタファーであり、戒めを自ら破るこの宗教の行末には破滅しかない、ということを彼の存在は表しているのかも知れない。
内に秘められたテーマやメッセージだけでなく、構造的にもこの映画には目を見張るものがある。
十字架の件だけではなく、この映画では象徴的な前半の描写が後半でまたリフレインされる。
例えば、前半に描かれたショーンの娘の初聖体のシーンと対応するように、デイヴの息子が参加する街のパレードがエンディングに描かれているし、人を殺したと告白したデイヴが妻と接吻する場面と対応するように、デイヴ殺しを告白したショーンを妻が愛撫する場面が描かれている。
特に印象的なのは「車」の描き方。冒頭、少年時代のデイヴは刑事と偽る者の車に乗りんでしまい悲劇的な”死”を迎える訳だが、ショーンがデイヴをバーまで誘き出した手口はこの時の犯人のそれに酷似している。車に乗り込んでしまった時点で、デイヴの末路はもう決まってしまっていたのである。
このように、本作ではデイヴとショーンそれぞれに対応するようなシーンが存在しており、それが前半と後半に配置されている。このことが、物語に一冊のアルバムをパタンと畳んだ時のようなまとまりの良さ、収まりの良さを生み出している。
この構造的な美しさが、本作と凡百の映画を隔てる最大の違いなのではないだろうか。
これほど見事な映画には久しぶりに出会った!!
ミステリー映画という枠においては、オールタイムベスト級の一作になりました。観て良かった♪
嘘をついても真実を話しても殺される。後味は良くないが、人生とはそういう遣る方ないものなのかも知れませんねぇ🌀
アメリカ自体を描いているのかも
この映画は確か2度目だったかと思います。一度見では、なかなかわかりづらいと思いました。イーストウッドの他の映画や彼のこれまでの経験などから判断して、アメリカ社会を描いているのではないかと思いました。いくつかの感想、評論等を参考にさせていただきましたが、自分にはしっくり来ませんでした。
3人の主な登場人物が、階層化されていることからも、アメリカ社会の縮図を描いているのだと思います。ジミーは、政治、暴力、権力の象徴。ショーンは、アメリカの中産階級、知的な存在、一般市民。デイブは下層階級。ジミー、ショーンは、少年期、嘘をついたことで犯罪から逃れる。デイブは、本当のことを言って犯罪に巻き込まれる。現在のアメリカも、上層階級が、マスコミを使ったりして情報操作をして、自分たちの利益が最大になるようにコントロールしています。娘が殺され、ジミーは、あらゆる手を使って復讐をしようとする。それはアメリカの国家、政治の姿とも繋がるように見えます。9.11以降の動き然り。大量破壊兵器はなかったわけですし。愛するものが殺されたりすると、アメリカは国家として敵国にそれ以上の報復を行ってきました。ショーンは、ジミーの嘘に気づきながらも、自分たちの幸福を守るために、積極的に行動しない。つまり、国家の嘘に気づきながら、自分の利益を守るために行動しない。デイブは、下層階級で、病んでいるうえに自らも犯罪を犯し、更には殺されてしまう。(アメリカでは、貧しいが故に、犯罪に手を染めてしまう人が多い。と同時に戦争に行かされるのは、カラードや貧しい階層)後で、間違いだったとしても、上層の人間は、自らの罪を反省することなく、愛する者を守るために仕方なかったのだと正当化する。女性もそれを支持する。
ジミーは、二つの殺人を侵しながらも、罪を悔やみ謝ることなく、自ら十字架を背負って生きていこうとしている。ショーンは、妻からの無言電話に、「俺が悪かった、すまなかった」と自分の至らなさを認めることによってハッピーエンドに導かれていく。実に好対照だなと思った。
それぞれの人生、社会には、皆、見えない部分、秘密の部分がある。その見えない部分によって、現在が条件づけられていることはままある。それと向き合うことが大切なんだよと言っているように思えた。
※イーストウッドのインタビューでは、現代アメリカ的なシェークスピア劇だと言っているようだ。オセロに見られるように、登場人物の設定や一言一言が、悪い方に悪い方に転がっていく悲劇を描いたとも思える。
(グラントリノでは、自らの戦争体験を客観視し、現在のアメリカの姿に反旗を示し、自らがその盾となろうとしているように見えた。その流れから類推して、上記のような意味が隠されているのではないかと思った。)
※三度目に見て、ただのレイは、ジミーを売って、刑務所暮らしを逃れ、雲隠れしたものの、後でジミーに殺されていたこと。そして、そのレイの拳銃が、ジミーが嫌っていた口を聞かないレイの息子に使われて、娘を殺すことになったこと。デイブは、昔の誘拐、性的暴行のトラウマがあって、事件の晩、少年を犯していた暴漢を殴って死に至らせていたこと、その罪悪感から、おかしくなって、疑われてジミーの殺されるきっかけを作ったこと。 この二つの流れが通底に流れているのが、三つの殺人に繋がるっていうのが、改めて因果だなあと思った。
※三度目を見て、アメリカ社会に多い小児性愛者が出てくることに震撼した。デイブを連れ去った二人組は、逆さ十字のリングをしていた。小児性愛者の餌食にあって、その後、病んでしまって、人生を転落させてしまう人も多いことを知った。さり気なく登場させているところにも、客観的に扱おうという意図を感じた。ピザゲート、アドレナクロムなども、イーストウッドは、知っているのかもしれない。
イーストウッド監督の描く『罪と罰』
2003年。クリント・イーストウッド監督作品。原作・デニス・ルヘイン。
ジミー(ショーン・ペン)ショーン(ケビン・ベーコン)
デイブ(ティム・ロビンス)の3人は幼なじみ。
その3人がデイブの誘拐事件から25年後、ある事件をキッカケに再会します。
ジミーの19歳の長女ケイティが殺されたのです。
ジミーは繁盛する食料品を経営する子煩悩で敬虔な父親です。
しかし犯罪歴があり2年間の服役経験がある男です。
背中に黒い十字架のタトゥーを背負っています。
娘のケイティの恋人ブランドンを毛嫌いしています。
恋人の父親ロイは遠い昔の不良仲間で、ロイは行方不明。
ケイティの殺人事件をキッカケにして、パンドラの箱は大きく開くことに・・・。
ジミーの娘が殺された、その夜デイブは血だらけで帰宅したのです。
そしてケイティの事件を担当するのは、殺人課の刑事になった幼なじみのショーン。
恋人ブランドンの父親ロイとジミーの深い関係。
ロイはジミーの犯罪を警察に密告した相手。
ジミーの2年間の服役後、ロイは忽然と姿を消しているのです。
ジミーがどんな男か、薄っすらと浮かんで来ます。
ジミーはモンスター。怪物なのです。
背中の十字架のタトゥーは凶々しい。
(とても神を信じる者の印には見えない)
そしてひとりの不幸な少年。
25年前に警官を装う男の車に乗せられて、4日間の虐待を受けたデイブ。
デイブはこの事件を忘れることも、乗り越えることも出来ずに大人になった。
見た目だけは大男だけれど中身は吸血鬼に怯える少年。
映画のラストに驚きます。
ノー天気にパレードの喧騒と、見物するジミーと妻。
デイブを探すデイブの妻。
車からジミーに指で射殺の真似をして笑うショーン。
『罪と罰』
まるで神になった気で、自ら邪魔者を裁く男ジミーの『罪と罰』
神に愛され過ぎて『罰+罰+罰』の幸薄き男デイブ。
世の中は絶対的に不公平だ。
罪なきか弱者に不平等な災厄が課せられる。
それが「原罪」なら、デイブは可哀想過ぎる。
デニス・レヘインの原作で、ジミーは雑貨店のオーナーではなく、
ギャング、として描かれている。
罪が償われないラストが重くて切ない。
2020年。天災が全世界を覆いました。
神が存在するなら、そしてこれが人類への「罪への罰」だとしたら、
その「罰」はあまりにも過酷で容赦ない。
なんだかなあ。
エンディングの描写から察すると、デイヴの遺体は発見されないようらしい。また、ショーンはジミーがデイヴを殺したと気づいているが、捜査や逮捕をするつもりはないらしい。さらに、ジミーは真相を知ってデイヴ殺害を後悔するが、自分の家族の為に自首はしないらしい。
まるで作者がジミーを守っているかのように感じて釈然としない。
河の底に流れる、静かなる鎮魂歌
静かにかつ無慈悲に語られる悲劇に、ただ息を呑むばかりでしたね。目障りなカット割りや興醒めなCGもない。ストーリーと役者の演技で真正面から描き切ったイーストウッド監督、神がかってますね。アカデミーこそ逃しましたが、監督作品としてはベストではないでしょうか。
出演陣の巧さは言うまでも無いですが、個人的にはケビンベーコンの抑えた演技が頭一つ出てた印象です。役柄もあるのでしょうが。作品としてはほぼ満点ですが、ラスト近くのショーンペンとローラリニーの会話がイマイチよく分からなかったのでマイナス。イーライウォラックの出演にはニヤリとしてしまいましたね。
「セブン」、「ミスト」の次くらいに・・・・・
「セブン」、「ミスト」の次くらいに後味の悪いラストだった(ただその2つは飛び抜けて後味が悪いので、後味の悪い映画ワースト3に入れることにはちょっと気が引けるが)。
サスペンスとしてはいい映画だが、クリント・イーストウッドらしい。つまり、後味が悪い。
デイブが、娘を殺したと勘違いしたジミーに殺されるのは、見ている観客の感情を踏みにじるようなものだ。
百歩譲ってデイブが殺されたとして、その後の子供たちのパレードはいただけない。
デイブを殺した翌日のジミーが道端に憔悴した様子でたたずんでいて、そこにショーンが現れ、娘を殺したのがレイの子供たち2人だったと告げる。そこでデイブを殺したのが間違いだと分かった複雑な表情のジミー。デイブに最後に会ったのはいつと聞かれたジミーは25年前と答える。そこで25年前にデイブが連れ去られたような道を1人とぼとぼと歩くジミーがいたが、そこで自殺するのであればまだ納得ができた結末だったが。
あの最後のパレードでは、ジミーとショーンは楽しそうに見ているが、デイブの奥さんだけは悲しそうだったシーンは何だったのか?結局、子供の頃から死ぬまで貧乏くじを引いたのはデイブだけだったと言いたいのか?
<その他気づいた点>
・デイブが変質者を殺した時間と、ケイティが殺された時間がほとんど同じと言うのはあまりにも偶然すぎないか?あえて、デイブがケイティを殺したように観客に思わせたかったためだろうか?
・ショーン・ペンの演技が素晴らしい。
・音楽は特に印象に残らなかった。
後悔先に立たず
誰かの選択肢が違っていたらこんな結末にはならなかったのかもね。
特にデイブの妻。夫に対する不信感をよりによってジミーに話すかよ。その後に何が起こるかなんて容易に想像できるだろうに。
それと警察。通報テープをもっと早く聞いてればな。
ショーンにデイブの事を聞かれて『25年前に……』と車を見送ってジミーが歩いて去っていくシーンだけど、あそこで終わっておけば良かったのに。
正直パレードのくだりはいらなかったと思う。っていうかジミーが妻の慰めで開き直ってる感じなのが腹立つ。
それとショーンの妻だけど、あの人必要だったかな?無言電話の意味もわからなかったし。謝罪するまで喋らないよってやつ?
ラストは三者三様の夫婦の姿を写したかったとかかな?
それとジミー妻の慰めの長台詞。イラク誤爆の正当化の意図があるとか聞いたけど、そういう情報があると見方がまた違ってくるよな。正直聞かなきゃ良かった。
タイトルが「?」
冒頭、11歳の幼なじみの少年3人がホッケーで遊んでいるのだが、ボールを下水口に落としてしまう。慌てて手を入れて取ろうとするんだけど、ダメー、危ない、ペニーワイズに噛みちぎられちゃうよー😱とまず思ってしまった😬映画違うし💦
3人で悪戯していた時にニセ警官に注意され、デイブだけが連れ去られ、暴行を受ける。何故自分だったのか、その過去を引きずり、35年後に同じ様に少年に悪戯をしている男に逆上して殺してしまう。偶然同じ日に幼なじみジミーの娘が殺される事件が起きて、、、。
デイブの奥さんは血を流して帰って来たベイブを疑い、ジミーに「あなたの娘を殺したのはデイブかも」と打ち明けるが、ジミーの過去の仕事や犯罪歴を知っているのに、そんなことを言ったら夫が危ないとは思わなかったのか?
予想通りにジミーはデイブを問い詰め、デイブが否定しても信じず、殺してしまう。
デイブはなんて気の毒なんだろう。11歳で辛い体験をして、トラウマを抱え続け、奥さんに信じてもらえず、友達にも信じてもらえず殺されて。
ジミーの奥さんの言葉も理解しかねる。おそらくデイブを殺したのではと知りながら、「あなたはこの街の王様。私や娘を愛していて優しい」優しい人間が人を殺すか?過去にも人を殺している。自分達に優しければ、他人に対してどうであろうと関係ないということか?うーん😔
最後が街のパレードで終わる。妙に平和な雰囲気で終わるのがしっくり来ない。何故ジミーが逮捕されない?デイブを殺したと、もう1人の幼なじみの刑事もわかっているのに。
所々で川が映る。デイブも殺されて川に捨てられるのだけどタイトルに使われる程、重要に思えなかった。原作ではもっと何か関わりがあるのかな?
デイブが殺されるまでは面白かったけど、ラストに向かって一気に下がった。個人的な感想ですが。
観た後で思い出した。映画館に観に行ったんだ、忘れていた😅
救いがないと思った
観終わって、デイブ夫婦可愛そうだなと感じ、悲しいラストだと思った。
子供の時のトラウマを引きずって生きるデイブが死ではない方法で、救いのある展開があったらなと思った。
セレステは夫が犯人なのではないかと疑い、結果として信じることができず後悔するという役だけど、演者がちょっとイマイチだった。
幼馴染の数奇な運命
小児性犯罪事件や少年の犯罪など病的な米国のリアルをモチーフにした社会派サスペンス。少年時代に受けた暴行に苛まされ一生引きずるPTSD、幼馴染の数奇な運命・・。
後の「チェンジリング」や「グラントリノ」にも通じる青少年の絡む犯罪へのクリント・イーストウッドの強い憎悪、問題意識が伺える。
ただ映画としては捜査も進まずひたすら陰鬱、所詮アメリカの闇なのだからと興醒めしかかるし観ているのが苦痛だった。
救いのない世界
少年時代のある経験から疎遠となった3人の人間の悲しい物語。
その経験がそれぞれの人生に影を落とし数十年の経験がその性格と行動に影響をあたえる。
ある悲劇を切っ掛けに、ボタンのかけ違いがなければ、起こらなかった悲劇。
ひとりは刑事として犯人を追い。
ひとりは被害者の肉親として犯人を捜す。
ひとりは被害者の最後の目撃者として(また少年時代のトラウマによる)罪の意識に悩まされる。
神の視点にいる私たちはは本当にじれったく感じてしまう。
といった、イーストウッドの映画に共通の「退屈な」「黙示的な」映画です。私は好きですが。
人生の残酷さ
逆らうことのできない運命という河に流されて、必死にもがきながらある者はトラウマから抜け出せず、ある者は罪を犯し、ある者には光が差す。その運命の分かれ道が、ごくありふれた少年たちの悪ふざけから生じたものであることが悲しい。
その悲しみの符号が、犯人の指輪にあり、ジミーの背中にあった十字架なのでしょうか。
しかし私たちは同じように抗いがたい運命の河に流されながら生きている。
目の前に突きつけられる人生の不条理と悲哀が胸に刺さる素晴らしい作品。
人生の俯瞰、運命の達観
決定的に損なわれてしまったデイヴ。何よりも尊い存在を損なわれたジミー。損なわれつつあるものを抱えているショーン。
少年時代の書き込みがやや浅いことは否めない(この点、原作に完全に負けている)が、そこは、役者でもっている。
ティム・ロビンスとショーン・ペンは極めて妥当な選択だが、隠れたファイン・プレーはむしろケビン・ベーコンだろう。『インビジブル』や『ワイルド・シングス』といったB級映画においてもそうなのだが、彼は際どいところで作品を救う救命士のような活躍を見せる。
加えて、ローレンス・フィッシュバーン、マーシャ・ゲイ・ハーデン、ローラ・リニーといった脇の配役も完璧と言って然るべきで、あらゆる意味合いにおいてキャスティングは突出していた。
映像は、この作品におけるイーストウッドの視線を静かに物語る。
彼らの「運命」を、包み込むと突き放すの中間で捉えたかのような色彩と明暗は、本当に美しい。
イーストウッドは「運命」の物語に圧倒的な影を落としつつも、同時に祝福の光をも当ててみせる。
本作はある意味で確かに悲劇だが、イーストウッドが人間たちに向ける眼差しは、悲劇的とか喜劇的とかいった言葉では言い表しきれるものではないとも思う。
その眼差しで、イーストウッドは、あまりに的確に人間たちの痛みを切り取って見せる。
言い訳しようのない悪を抱えつつも確かに愛を知っていた悪党が、先妻の残したたった一人の娘に向かって叫ぶ、永遠の喪失の痛み。全てを狂わせた少年時代の自分に向かって「逃げろ」と叫ぶ、叶えられようのない哀願の痛み。おどけるようにしてしか何かを伝えることもできない、友情と呼ぶにはあまりに複雑すぎる、不完全すぎる、銃に見立てた指から放たれた、言葉にできないその痛み。
それでも、現在は我々の目の前を歩いてゆく。パレード。
本作のテーマの一つは、「罪」という問題ではなかろうか。
イーストウッドは観る者に、「罪」は果たして何処にあったのか、そして誰のものなのかを問いかける。
何を責めればいいのか。そして、何を悔やめばいいのか。
デイヴを連れ去った男たち、悪事に手を染めていたジミー、彼を裏切ったレイ、過去から逃れることができなかったデイヴ、ケイティを殺した少年たち、一手遅かった警察の捜査、夫を信じてやれなかったセレステ、夫の殺人をゆがんだ論理で受け入れ、小さなファミリーだけを守ろうとするアナベス、ジミーの殺人を確信しつつ、彼を野に放つ(と僕は解釈した)ショーン……。
避けられた過ちは何なのか。本当に罪深きは誰なのか。そして、与えられるべき罰は何なのか。
イーストウッドが構築したのは、様々な人々を損ない、また損ないつつある「罪」というものが確かにありながら、おそらくもはやそれを誰にも問えないという、圧倒的な痛みを伴う世界なのではなかろうか。
問いかけつつも、実は答えはないのではないか。
諸悪の根源みたいなものは何処にもない。
究極的には誰をも裁くことができない。
罪を抱えているのはジミーであり、デイヴであり、ショーンであり、アメリカであり、私であり、あなただから。
それでも「運命」とでも呼ぶしかない暗い力はときとして人を激しく翻弄し、それによって確実に誰かは傷つき、損なわれてしまう。
そういう世界の中で、両手に余るほどのやり切れなさを抱えながら、無力なまま何かを守り、裁かれぬまま背中に十字を背負い、そんなふうにして人が生きてゆこうとするとき、そんなふうにして生きていくしかないとき、善は、悪は、罪は、そして罰は……その所在、その責任、その是非、その価値、そういった全てを、イーストウッドはミスティック・リバーに流すようにして、そっと観る者の手に委ねたのだと思う。
優れた作品はいつも、答えではなく、問いを残すものだ。
それはたとえば殺人を是とするというような価値転換ではなく、社会的な倫理観を捨てても構わないというようなある種の放棄でもなく、「救い」なるものを全面的に否定するような諦念でもなく、答えなき現実に真摯に向き合った上での、静かな達観だったのだと思う。
ときどき、ラスト・シーンのパレードを観ながら、イーストウッドはこの映画の中で全てを「許して」いるのではないか、と感じることがある。だからこの映画は、とても残酷であるのと同時に、信じられないくらい優しく、美しい。
人生は完璧ではあり得ない。幾多の傷と嘘と暴力を抱えて、僕たちは、どう生きてゆくのだろう。
デイヴのように、過去に喰い散らされてゆくのだろうか。
あるいはショーンのように、未確定の柔らかい未来を抱えて、現在を許すのだろうか。
それともジミーのように、「Who fuck knows?」と両手を広げておどけて見せるのだろうか。かつて友が永遠に連れ去られてしまった路上で、片手には酒瓶を下げたまま、背中には十字を背負ったまま。
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