劇場公開日 2006年2月4日

「イスラエルとパレスチナの対立。長い歴史の中で流されてきた夥しい血。...」ミュンヘン supersilentさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0イスラエルとパレスチナの対立。長い歴史の中で流されてきた夥しい血。...

2018年2月22日
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悲しい

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イスラエルとパレスチナの対立。長い歴史の中で流されてきた夥しい血。被害者感情に訴えれば、控えめに言っても、"自分たち"を正当化するだけの犠牲はいくらでもある。

しかし、被害者意識に駆られた報復は、なんの解決にもならない。暴力が生むのは暴力だけなのだ。暴力は被害者を新たな加害者にするばかりか、加害者自身から人間性をも奪ってゆく。

国家や民族、信仰、組織のために奪い合う命。その闘争は遠くから眺めれば、誇り高い英雄譚として人の心を惹きつけるものになるんだろう。でもその闘争の当事者になった時、人は初めて気づく。そこには何もないと。

親イスラエルであるアメリカ、特に映画産業において、イスラエル、およびユダヤに批判的であることは、容易なことではないだろう。とくにユダヤ系アメリカ人、つまり完全に当事者であるスピルバーグ監督が、反ユダヤ的な作品をつくるということは、日本人が考える以上に覚悟のいることだということは想像に難くない。

暴力で解決できることはなにもない。しかし、現実の脅威に対抗する手段としての軍事オプションという暴力装置が必要なのも事実。問題は装置が装置として機能しない時。アメリカが撤退したイラクは崩壊し、イスラム国が壊滅したはずのシリアでは今日もなお空爆が行われている。トランプが首都発言をしたイスラエルのエルサレムでは、デモ隊と警察との衝突が激化し、パレスチナ市民が数十人殺害された。

ミュンヘンオリンピックから46年。北朝鮮が平昌で微笑み外交をする裏では、いよいよ米朝の軍事衝突が懸念されている。暴力で解決できることはなにもない。それでも暴力を選ぶ覚悟が僕らにあるのだろうか。

supersilent