「飛躍した現実」ラブ・アクチュアリー 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)
飛躍した現実
映画を愛するとは、けっこう、いいかげんな表現だと思います。
なにかのタイトル(映画、ドラマなど)を見て、救われたとか、立ち直ったとか、映画監督または俳優を志したとか、一念発起したとか──作品が人生の重大なきっかけになったことを、著名人が述懐することがありますが、わたしはそれらに懐疑的です。
むろん他人様のことですから、ほっとけよ──という話ですが、エンタメを見たことで、人生に対して、または自らの人間性について、ドラスティックな改革がおこったというのは、おそらく映えを狙った発言か、ポジショントークか、あるいは人生の岐路と作品がたまたま同時期にあっただけ、であろうと推察しています。
複合的な理由のひとつになり得ても、それが人生を方向性を決めたとは思いません。
──なんとなくそう思っているという軽い話です。
──作品によって生まれ変わったと主張する人を否定はしません。
新型コロナウィルス。
それによって、生活基盤が失われているとき、わたしたちが「愛している」と豪語してきた映画(もしくはエンタメ、もしくは文化)が、なんの役に立つかについて、多少、考えます。
たとえば、たとえばの話ですが、梁にロープをかけて、目の前に、首の入る輪っこをつくって、スツールの上に立った時点で、まわりを見回したとき、書棚の本たち、あるいは映画のDVD群が目にとまった──とします。
培ってきた文化や教養は、何だったのか──と思うんじゃないでしょうか。
ようするにいま世間的には、映画なんぞ見ているばあいではありません。ですが、もはや吹っ切れているひとも多いはずです。もうじぶんはおわこんだから、好きに生きるわという感じになっているひとも、しばし現実逃避するために、エンタメを享受しつづけるひともいるかもしれません。
映画のひとつの見方として、好きな映画を繰り返し見る──があります。わたしもそんな映画が幾つかあります。
子供は、好きな映像作品を一日中眺めていることがあります。わたしは子供がいないので子供のことを知りませんが、姪にそれを実感したことがありました。
わかりきっているのに、おもしろいということは、わかっているからおもしろい──わけです。わかっていることが、裏切らないことに繋がっているはずです。
裏切られない──これはとても好ましいエレメントです。
裏切られずに楽しいことがたくさんある。そして色々な人たちと、色々な様態があるとなればLove Actuallyに敵う映画はありません。
そもそもLove Actuallyの根底にあるのは「逃避的な飛躍」だと思いませんか?わたしは現実から逃れる目的でこの映画を繰り返し見てきた気がしています。まさに新型コロナウィルス禍下にお奨めできる最高の映画と言えるのではないでしょうか。
映画はグランドホテル形式です。映画にくわしいわけではなく、たまたま知っているに過ぎませんが、むかしグランドホテルというオールスター出演のアメリカ映画がありました。ホテルに宿泊した人々の群像劇です。それぞれ、まったく他人としてはじまり、展開のなかで、大なり小なり関わりも生まれます。
ですが、相互の関係性は小さくてもかまいません、群像劇であることが重要です。この連鎖性のある群像劇をグランドホテル形式と呼ぶのです。
ただしRichard Curtisの本作Love Actually(2003)に勝るグランドホテル形式はありません。
この映画のもっとも楽しい要素は、現実が、飛躍によって救われるというエレメントです。ありえないシチュエーションや人物像が、丁寧に描かれていることで、いわば「夢のような現実」になっていることです。悲しいエピソードもありますが、バランスとして、アクセントとして効いていると思います。
すべて好きなエピソードですが、わたしがいちばん好きなのは「性の神」コリン様が、アメリカで享受する僥倖です。
わたしたちの、ガンとして動かない、重苦しい日常が、飛躍によって救われるならば最高だと思いませんか?
Love Actuallyは2017年に、チャリティイベントRed Nose Dayに寄せたショートフィルムをつくっています。成長して凜々しくなったサムThomas Sangsterが出ていました。
新型コロナウィルスが終焉したら、その歓びをLove Actuallyの面子で、ロンドンの街並みで、つくってほしいと思う。ほんとにそれが見たい。