「空っぽポットの苦悩。」ジャーヘッド すっかんさんの映画レビュー(感想・評価)
空っぽポットの苦悩。
◯作品全体
「ジャーヘッド」は海兵隊の刈り上げた姿がポットのようだからそうあだ名されているという。そしてもう一つの意味で「空のポットのように中身が空っぽ」というのがある。本作で描かれる「ジャーヘッド」たちも下品なネタで盛り上がり、上官を何度も怒らせる。頭空っぽな男子高校生みたいな彼らだが、そんなバカっぷりが愛おしく、そしてその陰に隠れた「空っぽの苦悩」がドラマに奥行きを作る。コメディもドラマもスケール感はまったくないが、俗物的な描写が普遍的なリアリティを生む。戦場という過酷で特殊な世界で登場人物たちの本音の部分を赤裸々にしているのがリアリティに繋がり、本作の魅力になっているのだと思う。
彼らの個人へクローズアップされるとき、「帰る場所」というのがテーマとしてあった。戦争映画にはよくあるテーマだが、ほとんどの場合の「帰る場所」は死地にいる登場人物にとって幸福にあふれる場所として描かれる。
しかしこの作品では「帰る場所」が一概に幸福な場所ではない。不倫した妻がいる場所であったり、精神の病んだ母や妹がいて、浮気した彼女がいる場所として描かれている。主人公・スウォフォードとコンビを組むトロイは、海兵隊所属を望んでいるものの犯歴詐称で解雇されてしまう。その先にある「帰る場所」には虚無だけが待っていて、結末は死だった。トロイの心情を考えると、狙撃を止められた将校に殴りかかろうとする姿が心に刺さる。トロイは自分がなにものでもなくなることをわかっていて、それでもそうではないと思いたくて、兵士としての結果を渇望していたに違いない。虚無の「帰る場所」が目前に控えた状況で、自分の望むものがあと一歩のところで阻まれたトロイ。序列さえも無視して子供のようにすがる表情が切実で、本当に響いた。
スウォフォードのモノローグで「すべての戦争は違っていて、すべての戦争は同じだ」というセリフがある。従軍した戦争は同じであるのに、その戦争を過ごした結果はそれぞれ異なる「ジャーヘッド」たちを語っているように感じた。
幸せな家庭がある人間もいれば望んで別の戦争に向かうものもいるし、戦争には行けずに虚無とともに過ごすものもいる。本作では戦闘描写ではなく、様々な人間が集まる兵舎の日常を映す時間が大半を占めるが、どれだけ一緒に居ても「帰る場所」は全く異なるところに本作の構成の面白みがあった。そして「帰る場所」に帰っても、「僕らは今も砂漠にいる」というラストのセリフのとおり、「ジャーヘッド」であることを忘れることが出来ない。それは「帰る場所」に帰っても空の状態にある「ジャーヘッド」の苦悩を鈍重に語っていた。
「戦士としての戦場」でなく「従軍兵としての日常」を描くことで、男社会のマッチョイズムの滑稽さと、その裏にある悲哀が描かれていた。そしてその悲哀は普遍的なもので、戦場という非日常の空間とのコントラストが他にない作品の魅力となっていた。
◯カメラワークとか
・序盤にモノローグで語られる、スウォフォードの家庭を映すシーン。「記憶の扉」を映像化しているような演出が良かった。辛い記憶として描かれた家族を「これはやめよう」といって閉じていく。
・日差しを反射する砂漠の強い白色が印象的。白飛びしそうな画面の中で訓練し、冗談を言い合う。決して言葉にはしないが、不安定な世界で互いに支え合う関係性のような気がした。
◯その他
・スウォフォードの彼女から浮気を示唆する手紙が届いた時の仲間の反応がすごく好きだ。落ち込んだスウォフォードに容赦ない冗談を飛ばすんだけど、ボソッと「後で電話してみろよ」とフォローして、また冗談を言って場を明るくする。嫉妬とからかいと励ましたい気持ちが入り混じってる感じがすごく人間味ある。不器用にも見える振る舞いがやっぱり男子高校生っぽくて、みんな憎めない。
・ジェレミーフォックスの軍曹がいい味出してる。先生みたいな存在だから基本的に鬱陶しがられるんだけど、面倒見の良さはみんな認めてるような。戦争に来る理由も家庭の状況もスウォフォードとは対比的に描かれてた。
・挿入歌が個人的に好み。初めて兵舎に入るスウォフォードを映すシーンの『Don't worry be happy』とか、一年生の不安感とマッチしてる。『Get It On』に載せた訓練シーンも倦怠感を少し感じる登場人物たちとよく似合ってる。