群衆のレビュー・感想・評価
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【”孤独なる民衆は”感動的なスピーチ”により群衆となる。”一人の男が容易に英雄となる現代アメリカを見越したかの如き社会派作品。だがフランク・キャプラ監督は人間の善性を信じるラストを用意するのである。】
■経営者交代を受けて会社をクビになった新聞記者、アン(バーバラ・スタンウィック)は、怒りに駆られジョン・ドウという架空の人間を創り上げ、クリスマスイヴの夜に市庁舎から飛び降りるという記事を執筆し、発行部数を伸ばすという約束で復職を果たす。
そして、ジョン・ドウ役を募り、元地方野球選手のウィロビー(ゲイリー・クーパー)が抜擢され、政界進出を企むD.Bノートン(エドワード・アーノルド)はアンにジョン・ドウ役のウィロビーのスピーチ原稿を依頼する。
ライバル社の脅しを受けるウィロビーだが、アンの原稿を震える手でラジオで読み上げ、”隣人を大切にしよう”というメッセージが受け、民衆のヒーローとなる。
だが、ウィロビーに笑顔はなく、彼の連れの”大佐”(ウォルター・ブレナン)は、ドンドン不機嫌になって行くのである。
◆感想
・今作を観ると、直ぐに想起するのはナチスドイツのヒトラーの狂的な扇動演説に熱狂するアーリア人であるドイツ人の白黒映像であり、現代で言えばトランプを熱狂的に支持する一部の共和党員の姿である。
今作との違いは、ウィロビーが群衆の支持を集める事に悩む姿とは正反対に、民衆の熱狂する姿を満足気に見下ろすヒトラーとトランプの姿である。
■それにしても、アメリカ人の一部(特にプアホワイト層が多いと感じる。)は何故にトランプの様な浅薄で息を吐くように嘘を平気で突く男を熱狂的に支持するのであろうか。
日本とは桁違いの数の、大統領選挙戦の際に赤い帽子を被り満足気に彼らを見下ろすトランプを見上げながら支持する姿。
更には、自身に有利と見ればトランプ支持を打ち出し、チャッカリ要職につきコストカット政策を推し進め、政策が自身の事業に合わないと見るや、さっさと離れるイーロン・マスクの愚かしき姿には呆れかえる。
トランプを買う点は、その行動力とタフな精神力だが、今のところパフォーマンス程度で(彼はパフォーマーとしては一流である。)大した成果はない。
・アメリカでは、選挙の際、もしくは大統領のスピーチ原稿はスピーチライターが作るが、ジョン・F・ケネディの頃は自分で筆を入れる事が多かったそうだが、今ではどうなのであろう。
どちらにしても、今作のアンは近現代の政治家のスピーチライターの走りであろう。それもこの作品を観ると、皮肉に思えてしまうのである。
・今作の印象的な人物としては、ウィロビーの連れのウォルター・ブレナン演じる”大佐”であろう。彼のみが”自分の言葉ではないスピーチを読みヒーローになった”ウィロビーと民衆に対し、絶望する人物として描かれているのである。
だが、彼は一時ウィロビーを見捨てるが、彼が民衆に”詐欺師”と呼ばれ、突き上げられた時に助けに来るのである。
彼こそが、自由民主主義の恐ろしさを知りつつ、それでも人間性を保つ人物として描かれるのである。
■D.Bノートンの企みにより、ウィロビーが付いていた虚偽が群衆から突き上げられ、”市舎から飛び降りろ!”と迫られた時に、アンは涙を流し絶望する彼を説得し、その言葉を聞いた”群衆”は”民衆”になり、彼を再び支持するのである。
この描き方に、フランク・キャプラ監督の人間の善性を信じる基本姿勢が見て取れるのである。
<今作は、一人の男が容易に英雄となる現代アメリカを見越したかの如き社会派作品でありながら、フランク・キャプラ監督は人間の善性を信じるラストを用意した作品なのである。>
シリアスさとユーモアを併せ持ったヒューマンドラマだ。
解雇を通告された新聞の女性コラムニスト、アンは、社会への抗議のためにクリスマスイブに自殺をすると予告する、「ジョン・ドウ」と名乗る失業者の投書をでっち上げる。
彼女は競合紙に採用され、元野球選手ジョン・ウィロビーを、「ジョン・ドウ」役として雇う。やがて彼の活動は、全国的な草の根運動に発展する、、、。
道徳的な教訓と感傷的な感動に満ちた作品だ。長い演説でも知られる作品だが、甘美的なヒューマニズムにあふれている。暗いテーマだが、明るい希望をもたせる結末まで、軽妙なタッチで温かく描いている。
本作の米国公開=1941年は、日米開戦の年だし、1930年代は米国内で深刻な恐慌に襲われている。そうした時代に、本作が生まれたのも偶然では無い。
社会の利己主義に対する怒りや、市井の人々への優しいまなざしは十分に理解できる。シリアスさとユーモアを併せ持ったヒューマンドラマだ。
アメリカ国民の底力
『オペラハット』に続き、フランク・キャプラ監督の作品ということで鑑賞。
彼の作品は、痛烈な政府批判を行いつつも、その根底には強い愛国心があるのが、色々と観て分かってきた。その上で、今作はタイトルの『群衆』に表れているように、アメリカ国民の底力を表現できている。ジョン・ドゥ(名無し)はゲイリー・クーパーだけではなくて、彼の運動に共感するアメリカ国民全員なのだという気持ちが伝わってきた。
また、ゲイリー・クーパーはジョン・ドゥと自分という存在を切り離して考えていて、あくまでジョン・ドゥという作られた人物像を演じているだけという姿勢が一貫していたのが良かった。
ウィキペディアによると、今作は「感動の映画ベスト100」というのにランクインしているらしい。しかしストーリーは同監督の他の作品と比較すると見劣りする印象。でっち上げの存在であるジョン・ドゥの投書に、アメリカ国民があそこまで熱狂するのが不自然に思えた。また、ヒロインとのミッチェルも、いつの間にか恋愛関係に発展している感じがいまいちだった。
戸惑うクーパー先輩
アメリカでは1941年 公開
この後 戦争が起きた
大衆の力は無力であった。財閥や政治家の力によって貧富の差は是正された。・・日本人の多くは戦争によって日本の貧富の差が是正されたことは知っている。 しかしアメリカの方が日本以上に貧富の差がひどかったことはあまり知らない。
太平洋戦争は結果的には財閥の利益になったと思うが貧富の差が是正されたということはそれ以上に国民の利益になった。あれは ニューディール政策だったのだ。大勢の人が死んだのは仕方がなかったのだ。アメリカ国民を救うためだったのだ。
と当時の大統領=財閥の傀儡は語ったことであろう。
それは国民を救いたいという財閥の良心なのだ・・ということをまるでこの映画が予告しているかのようだ・・と感じた。いや、感じさせられた・・と、いうことは、この映画は財閥が作ったいやらしい言い訳映画か?それとも本当に財閥に良心というものがあって、それを描いた映画か?
いずれにせよ 私はこの映画から何かしら ヘビーなものを食らった気がする。そして 多くの人に この映画を見てもらいたいと思った。
マスコミの政治利用の凄まじさ、熱しやすく冷めやすい大衆、されど米国の民主主義を信じたい・信じられる
少々口惜しいが、最後見事に泣かされてしまった。
新聞がでっちあげで、隣人を愛せという草の根運動のヒーローを作り出す様は、今でもさもありなんで恐ろしいとともに、これを題材にする目の付け所がとても良い。
主人公ゲーリー・クーパーは、この運動の政治利用が分かって反抗するも、でっち上げがバラされ詐欺師裏切り者と攻撃されてしうまう展開が落差があってとても良い。誠実で裏表が無く、でっち上げ記事書いたヒロインのバーバラ・スタンウイックへの打ち明けられない恋心が、不器用に立ち振る舞うクーパーにはとてもお似合い。
バーバラ・スタンウイックも、有能でお金目的と自ら言うタイプの女性記者であるが、クーパーの誠実さに惹かれて愛していく様に意外と説得力が有る。また演説原稿作成に苦しんでいる時、亡き父親の手記をネタにして名演説を創作できたエピソードは興味深い。多くの人間が欲する様な、言葉にパワーが有るスピーチであった。キャプラ作品の常連、脚色のロバート・リスキンの力量が最大限に発揮か。
最後クリスマス夜のビルの屋上、ハッピーエンドは分かっていても泣かされる要素として、敵方集合及びヒロイン登場にプラスして、詐欺師と糾弾した一般人たちが飛び降りないでと訴えたことがある。移り気で頼りにならない群衆であるが、数は多く政治的パワーは有り、彼及び彼女らによる民主主義の威力をもう一度信じたい、信じることができるとの監督らの思いに涙が誘われる。マスコミの政治利用も凄まじいが、この時代(1941年公開)の米国の大衆、そして民主主義への信頼を羨ましくも思う。
民衆とマスメディアの暴走の怖さを描いたアメリカ民主主義の危うさとキャプラ監督の愛ある回答
第二次世界大戦中の1941年に制作され日本では10年後の1951年に初公開されたフランク・キャプラの隠れた傑作。戦後のリアリズム主流の映画界でその理想主義を説得力持って描くのが時代遅れになってしまった巨匠キャプラではあるが、名作「毒薬と老嬢」「素晴らしき哉、人生!」と共に後期の代表作に挙げていい内容と演出力を持っている。さらにキャプラファンだけのものではなく、主演のゲイリー・クーパーとバーバラ・スタインウィックの代表作としての魅力もあり、ロバート・リスキンの脚本含め見応えのある社会派映画となっている。
女性記者が捨て鉢で書いたフェイク記事の反響の大きさから始まり、新聞社の商業主義に巻き込まれた無職男が民衆とマスコミから祀り上げられて行くアメリカ民主主義の危うさ。その虚構に押しつぶされる主人公と彼を救う女性記者との愛ある結末。同じ浮浪者の友人役ウオルター・ブレナンの設定がいい。金の魔力に負けて嘘の道に丸め込まれる物語全体を客観視して批判する。人間界の異常な作り話に半ば諦めきった神様のようなキャラクターで、作品の甘さを引き締める塩味の役割をする。ここにも脚本家リスキンの上手さが光る。
「オペラ・ハット」「スミス都へ行く」そして「素晴らしき哉、人生!」に続く、窮地に立たされた主人公がその正義感と行動力で再び生きる喜びに包まれるラストシーンは、ハッピーエンド映画の模範であり、地に足の着いた理想主義の映画として普遍的価値を持つ。益々フランク・キャプラが好きになる。
1997年 2月17日
アメリカの大統領選挙を見ると、その異常な興奮振りに日本人として驚きを隠せない。その一つのヒントになる作品です。イタリア・シチリア島出身のキャプラ監督は、マフィア映画に代表されるアメリカ映画のリアルな暗部に対して、民主主義に最も必要な人道主義を問い正義と博愛を感動的に描き、アメリカ映画に輝きを与えた素晴らしい監督でした。
ゲイリー・クーパーに初めて会えた。
クビを言い渡された女性記者が、腹いせまぎれに書いた記事が群衆心理を捉え、
社会的ブームとなったことから、その捏造に火をつけ、加速していくことに。
コメディタッチで進んでいきますが、群衆を巻き込んだ労働者問題にまで発展する社会派作品で
内容も濃くラストまで観せます。
ゲイリー・クーパーに会ってみたくて鑑賞しました。
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