劇場公開日 2007年3月11日

ヒストリー・オブ・バイオレンス : インタビュー

2006年3月10日更新

「裸のランチ」「ザ・フライ」の鬼才デビッド・クローネンバーグが、同名のグラフィック・ノベルを映画化し、クローネンバーグ監督の最高傑作とも名高い「ヒストリー・オブ・バイオレンス」。本作について監督が語った。(聞き手:町山智浩)

デビッド・クローネンバーグ監督インタビュー
「どんな善良な人も、実際は誰かの暴力によって守られている」

――初めてタイトルだけ聞いた時は、「暴力の歴史」というドキュメンタリーかと思いました。

撮影中のデビッド・クローネンバーグ監督
撮影中のデビッド・クローネンバーグ監督

「英語には『彼にはヒストリー・オブ・バイオレンス(暴力事件の履歴)がある』という言い方があるんだよ。でも、『暴力の歴史』でも間違ってはいない。この映画はひとつの物語を通して、個人にとっての暴力、社会にとっての暴力、国にとっての暴力、それに人類にとっての暴力も論議しているんだ」

――監督するはずだった「トータル・リコール」や「アメリカン・サイコ」とは裏返しの話ですね。

「『トータル・リコール』や『アメリカン・サイコ』は私のように平凡で静かな男が暴力を夢見る話だった。『ヒストリー・オブ・バイオレンス』は暴力に生きてきた男が平凡で静かな夫として第2の人生を生きようとする。妻にも20年間知られずにね」

――「ヒストリー・オブ・バイオレンス」の舞台は現代ですが、ストーリーは西部劇を思わせますね。

「ああ。西部劇には昔から珍しくない話だ。かつて早撃ちで知られたガンマンが殺しに疲れて引退し、名前を変えて田舎で百姓として静かに暮らしている。そこに悪党どもが襲い掛かる」

トム(左)は過去を隠し、 妻子と穏やかに過ごしていたが…
トム(左)は過去を隠し、 妻子と穏やかに過ごしていたが…

──でも、普通の西部劇と違うのは、主人公トムが悪漢の頭を撃つとゴボゴボと血が噴き出す強烈な描写ですね。

「普通の西部劇やアクション映画では、正義の味方に悪漢が撃たれても血を吐いて苦しむ悪漢の姿を見せたりはしない。たとえ正義の暴力だろうと暴力は暴力だという真実を隠して観客にカタルシスを与えるためだ。『ヒストリー・オブ・バイオレンス』でも、2人の強盗が退治される場面で観客は喜ぶだろう。その前に強盗が子供を殺す残虐ぶりを見せているからね。観客は『いいぞ! やっちまえ!』と喝采するだろう。でも、私は正義の暴力の結果を見せる。銃弾で撃たれた人間がどうなるのか、特に誇張もせず、医学的な事実を見せる。それはおぞましく、痛々しく、気が滅入る現実だ」

──でも、スプラッター描写を喜ぶ客もいるでしょう。

「実は、トムが悪党を撃つ描写はもっと血まみれだったが、私はそれをカットした。一瞬だけ見せて嫌な気分が残るように加減したんだ。人体破壊も見すぎるとショックに慣れてしまって、スプラッターのように快感に変わってしまうからだ」

暴力描写は一見すると衝撃的だが?
暴力描写は一見すると衝撃的だが?

──主人公トムはいつも首から十字架を提げているし、人を撃つ時に「ジーザス」とつぶやいたり、キリストと重ねられているのはなぜですか?

「私は無神論者だがね。毎週教会に通うような信心深い人々の多くが、同時に『家族を守るためなら暴力も辞さない』というアメリカの西部劇的考えを支持しているのは事実だ。04年の選挙でブッシュに投票した“赤い州”の人々だ」

──すると、自らの暴力の歴史のために暴力から逃れられない主人公トムはアメリカを象徴しているのでしょうか?

「アメリカに限らないよ。暴力の歴史を持っていない国なんて存在しないんだから。ただ、私はこの映画のラストで問いかけてみた。善良な町に住む善良な家族であろうと、実際は誰かの血によって、暴力によって守られている。それはしかたがないことなのか?と」

インタビュー2 ~マリア・ベロ インタビュー
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