「ロンが輝いている」ハリー・ポッターと秘密の部屋 とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)
ロンが輝いている
この映画まではそれぞれの子どもたちがのびのびと感情豊かに生活・活躍していて、まだ群像劇の趣があります。
そんな中で、三人の中で道化回し的な役を担わされがちのロンの活躍・表情が映画を活き活きとしたものにしています。ロンという人物が物語に深みを与えるのは『死の秘宝part1』ですが、この映画では道化役ぽくもありながらも、ロンの表情を観ているだけでも楽しめます。
1作目より、映画としてのスト―リ―展開がうまく流れていました。それでいて、ホグワ―ツ等魔法の世界満載。ああ、こんな学校だったら面白いのに、と。
本当に細部にわたって、凝りに凝った原作。それを見事にヴィジュアル化した映画です。
階段下部屋からは昇格して部屋は貰えたけど実家では孤立しているハリー。対するロンの温かくも騒がしい家族。物語の中でロンの母親の編んだセーターを皆にからかわれる場面があるけど、そういうセンスでキタか!と唸りながらも笑っってしまう。そんな母がしつらえる、家族メンバーの服のセンスや家のエクステリア・インテリアも見事でした。家族の温かさをハリ―に与えると同時に忘れていた寂しさをも自覚させられます。息子同様に扱ってくれたって、息子じゃないもの。
そしてマルフォイ家のいで立ち・立ち振る舞い。嫌みたっぷりながらも、ダ―ズリー家とは違い、洗練された上品さ。どこかうっとりとひきつけられるものがあります。ドラコが「父上」と尊敬するに値するだけのものがありました。
ロックハート先生も見事です。アピール上手でちやほやされる人っていますよね。うん、この笑顔・立ち振る舞いならちやほやされてもしかるべきと思わされてしまう、一種のカリスマ性をふりまく、ふりまく。そんなロックハート先生に対するミネルバ先生やスネイプ先生のあの表情。そしてあの顛末。笑えます。なんで校長がロックハート先生を雇い入れたのかは私にとってまだ謎ですが(笑)。
屋敷しもべと魔法使いとの関係。
嬉しい気遣いと、大きなお世話。
純潔と混血、マグルからの突然変異。血統に対する想い。イギリスならではかなあ。
称賛、偏見、誤解。簡単に移り変わる人の心。変わらぬ心。
恐怖…。意志の力。
良いことばかりではない魔法。魔法生物。魔法がすべてを解決してくれるわけではない…。
ハリポタは、困難を克服していくだけのファンタジーではなく、作者の明確な意図による人物造形も魅力の一つ。ひとつひとつのエピソードも魅力。突っ込みどころもあるのですが、基本的に流れているのは弱者に光を、ずるいものには罰を。とこの巻あたりは、まだ明確でしたね。スネイプ先生もひいきするけど、本当にここはと言う時は、教員としても公平さと言うか、正義を示すし。
才能や血統で人は計れないという作者の想いには共感します。
でも、マグルに魔法使いが産まれるのなら、反対に魔法使いの家にマグルが産まれることはないのかなあ?魔法使いの家に産まれたマグルはどんな想いで育つのだろうと余計な心配をしてしまう。才能なんて関係ないよとはやっぱり持てる者の言い分?と思いっきり、やっかんだりして。
でも、持てる力を何に使うか、境遇の・運命の悲惨さに負けるか、自分の選択次第。病気とか選択しようがない境遇もあるけど、恨んで生きるか、少しでも意味あるものにしようと思うかで、人生の豊かさは別れてくるのかも。ハリーがダズリー家で過ごした11年でひねくれていたら、ホグワ―ツで親友も出来なかったかもしれないし。
作者ご自身が、一時期不遇な境遇にいらしたとか。だからか、不遇な境遇にいて頑張っている人への応援ともとれるメッセージが盛りだくさん。
謎解きはあるけれど、冒険ファンタジーとしては正直物足りない。まだ敵の存在が中途半端で迫力がない(当然ですが)。
これから始まる壮大な物語の序章であり、いろいろな伏線が散りばめられて、まだ種がまかれている段階。
『死の秘宝part1・2』でさくっと活躍してサクッといなくなる人物に対する思いを理解するためにも、この映画は外せない(って、『死の秘宝part1・2』は総集編だから、どれも外せないけれど)。
まだ世界は闇に染まっておらず、魔法世界の日常が丁寧に描かれていて、その世界に入り込みたくなるような魅惑的な映画です。